--閑話 帰還の灯-次なる戦線の前で
地底洞窟を包んでいた黒鋼の光が消えたあと、しばらく――
ふたりは、ただ岩肌に背を預けて呼吸を整えていた。
ガルド=ベルムの《遺託》は、まだ胸の奥に熱源のように残っている。
それは戦斧の石核でも、封印の一部でもなく……
“声”と“記憶”の名残だった。
「……戻ろう、ハルヒ。ここに長くいると、また時の乱流が来るわ」
「うん。ガルドの言葉も……早く学院に伝えないと」
黒鋼の守護者の残響が完全に消えた洞窟は、
もはやただの静かな地底空洞――のはずだった。
だけど、背中に落ちる風はわずかに震え、
岩壁の影が一瞬だけ“揺らいだ気がする”。
六英雄の封印は、すでに三つが崩壊しはじめている。
ただ戻るだけでも、危うさと隣り合わせの帰路だった。
洞窟を抜けた瞬間、刺すような冷気が頬を撫でた。
北壁山脈の断崖は、すでに夕紺の色を濃くしている。
崖上の空は澄んでいるのに、風は妙にざわついていた。
まるで、ガルドの残影が消えた空洞を埋めるように――
見えない者たちの声が寄せてくるような、落ち着かない気配。
「早く山を下りましょう。……嫌な風の流れね」
「セリナにも、分かる?」
「ええ。ガルド=ベルムの封印が“抜け落ちた”分、
この地域の時圧が低下してる。時の干渉が入り込みやすいわ」
六英雄の封印は、世界の“根”を押さえる杭のようなものだ。
一柱が揺らげば、周囲の時空は脆くなる。
その証拠に、崖沿いの石階は来たときよりもひび割れ、
細い雪片が時折、逆流するように落ちてくる。
ハルヒは足を速めた。
麓の街に戻った時には、街灯に灯が入りはじめていた。
冒険者たちのざわめきや、鍛冶炉の赤い炎の匂い。
この街の喧騒は、洞窟で聞いた死者の息遣いとは対照的だ。
「なんだか……戻ってきたって感じだね」
「ええ。あの静寂からすると、ここは眩しいくらい」
学院への臨時連絡所へ足を運ぶと、
担当の魔導士が慌てて立ち上がった。
「おふたりとも! 北壁の調査結果は……?」
セリナが静かに報告書を差し出した。
北壁山脈断崖での封印の崩壊、
ガルド=ベルムの残影との接触、
そしてハルヒだけに届いた“忠言”。
『時が裂ける前に、“彼女”を探せ。』
魔導士は思わず言葉を詰まらせる。
「“彼女”とは……先代英雄の誰かでしょうか?」
「特定はできません。けれど、
六英雄の封印には、まだ秘匿された系譜があるはずです」
セリナの声は低い。
学院も、すでにこの問題をただ事ではないと理解している。
「学院宰相からも指示が出ています。
次の封印地点――“旧戦線跡地下墓域”への調査を急ぐように、と」
やはり繋がった。
風鳥が示した次の行き先と、学院の指示は一致している。
「準備には……一晩で足りる?」
「うん。道具も整ってるし……
でも、セリナは?」
「私は大丈夫。逆に急がないと――
残った封印が次々に崩れていく可能性があるわ」
死線を越えた直後のはずなのに、
セリナの瞳は研ぎ澄まされた光を帯びていた。
ガルド=ベルムの“誓い”が、彼女にも確かに届いているのだろう。
宿に戻る頃には、風は夜気を孕みはじめていた。
ハルヒは窓を開け、遠くの山影を見つめる。
薄い霧が山を覆い、その奥に――古戦場の気配が眠っている。
ふと、ポケットの中の《黒鋼の欠片》が震えた。
「……まだ、何か伝えたいの?」
石核は、風を切るように一瞬だけ光った。
だが、言葉にはならない。
ガルド=ベルムという英雄の記憶は、完全には残っていないのだ。
それでも――
ハルヒは確かに感じていた。
次の封印には、“彼女”に近い影が潜んでいる。
「ユグノア=オルディス……
六英雄の中でも、もっとも記録が曖昧だった人……」
名前を呟いた瞬間、黒鋼の欠片がわずかに震えた。
まるで肯定するように――
翌朝。
荷をまとめたハルヒとセリナは、学院前の転移魔方陣へ向かった。
風の歌は止み、山脈の方角には重苦しい雲が垂れこめている。
「行こう、セリナ。
……旧戦線跡へ」
「ええ。次の封印――ユグノアの眠る場所へ」
青白い転移光がふたりを包み込む。
封印の崩壊は、すでに四つ目へと連鎖しようとしていた。
六英雄の“真実”に触れる旅が、次の扉を開こうとしている。




