--第96話 黒鋼戦線の遺魂-ガルド=ベルムの守護者
石階を降りるたび、空気がひとつずつ層を変えるようだった。
湿った冷気。
次に、金属の匂いを帯びた硬質な風。
そして――耳の奥に響く、低い共鳴。
断崖の内部は、まるで古代戦場の記憶そのものが封じ込められたような、息苦しいほどの圧を放っていた。
「……見て、ハルヒ」
先を照らすセリナの光術が、広い空洞を照らした。
そこには――
黒鋼の巨兵たちが、壁一面にずらりと並んでいた。
人型だが、表情はなく、目は空洞。
鋼で造られた守護像。それはすでに動くことはない……はずなのに、どこか生々しい“気配”がある。
ハルヒは思わず息を呑んだ。
「これ……全部、ガルド=ベルムが造ったの……?」
「記録では、彼は英雄の中でも“広範囲攻撃”に長けていたそうよ。
戦場では絶大な信頼を得ていた」
セリナの声にも微かな震えが混じっていた。
黒鋼の兵は、まるで迎撃の体勢のまま固まっている。 今にも動き出しそうな圧迫感。
足を踏み出すたび、音が響いた。
その瞬間――
空気が反転した。
風が瞬時に冷え、黒鋼兵の目に青白い光が灯る。
「ハルヒ――!」
「くる!」
壁に並んでいた黒鋼兵が、乾いた音を立てて首を動かし、一斉にふたりへ向き直る。
その背後――さらに奥の影の中から、ゆっくりと“本体”が歩み出た。
黒鋼の鎧に包まれた巨躯。
戦斧を片手に、胸部にはガルド=ベルムの紋章。
しかし顔は――他の兵と同じように、空洞のまま。
セリナが吐息のように呟く。
「……これが、“ガルド=ベルムの守護者”……?」
黒鋼の巨兵――その存在は、封印を守るためだけに残された“戦線の遺魂”。
六英雄の残影が失われつつある今でさえ、この守護者だけは機能し続けていた。
巨兵がわずかに腕を上げ、戦斧が空気を唸らせる。
そして、空洞の口が、言葉にならない音を漏らした。
『■■■■■■――』
声にならない声。
クロノ=シーアの干渉によって、言語そのものが削れた叫び。
だが、ハルヒには――ほんの一瞬だけ、意味が“届いた”。
――《ここを、通すな》。
「……戦うしかないみたいだ」
「でも、守護者は本来、封印の“鍵”でもあるはずよ。
完全に壊したら――」
「分かってる。
“止める”んじゃなくて、“道を開く”んだ」
黒鋼兵たちが一斉に動き出し、金属音が洞窟に散る。
先頭の一体が斧を振り下ろした瞬間――
ハルヒは前に出た。
時の刻印が光り、軌道が“遅れて見える”。
回避し、斬り返すと、黒鋼の胸部に罅が走る。 しかし倒れない。
罅の間から青白い光が吹き出し、また形を再構築する。
「自己修復……!?」
「英雄の遺産だもの……安易には壊れないってことね!」
セリナが杖を構え、風の刃が音もなく飛ぶ。
しかし黒鋼兵の防御で軌道をそらされ、火花だけが散った。
その一瞬の隙を逃さず、巨兵――守護者が動く。
戦斧が横薙ぎに振るわれ、空気がひずむほどの衝撃が押し寄せた。
ハルヒは地面を蹴って飛んだ。
その背後で壁がえぐれ、岩片が雨のように降る。
「ハルヒ、下!」
「……分かってる!」
黒鋼兵三体が同時に突進。
だがハルヒは、逆に“落下する石片”を利用して跳び、彼らの頭上に着地。
剣を振り抜いた。
時の刻印が閃光となり、三体は一斉に停止した。
動きの止まった兵たちは、まるで時間を奪われたかのように色を失い、その場に崩れ落ちる。
セリナが驚きに目を見開いた。
「……刻印が、彼らの“時間”と干渉した?」
「守護者の核と近い仕組みなんだ。
本体にも――効く、かもしれない」
視線を前に向ける。
巨兵は、ただ黙って立っていた。
その空洞の目が、さらに深く青く光る。
――《来い》。
そう聞こえた。
「行くよ、セリナ。
ここを抜けなきゃ、ガルド=ベルムの封印に辿りつけない」
「ええ……あなたの後ろは任せて!」
ふたりは駆け出した。
守護者が踏み出す一歩ごとに、大地が震える。
古代戦線の遺魂と、時を宿す少年の激突が――
断崖の深奥で、いま始まろうとしていた。




