--第92話 風哭の奔流 ― 歪んだ時響
封印核に触れた瞬間、世界の“縫い目”が破れた。
風裂の庭を満たしていた静かな風は、わずか数秒で性質を変え、まるで巨大な嵐の心臓が目覚めたかのように逆巻く。
縦に裂けていた空間の亀裂はみるみる広がり、庭全体がひとつの巨大な渦へと姿を変えていく。
「セリナ、下がって!」
ハルヒの声が風に引き裂かれそうになる。
封印核の光は暴走し、周囲の大気から“時間そのもの”を吸い込むように震えていた。
そのとき——。
空間が、低く唸った。
風でも魔力でもない、もっと根源的な“何か”が崩れ落ちる音。
渦巻く亀裂の中心から、透明の奔流が吹き荒れた。
——《時響》の発生。
目に見えない時の破片が、風と混ざり、光のように姿を変えて溢れ出す。
それは風と違い、触れれば時間の流れそのものを歪める暴力の奔流だった。
「……時間が、巻き戻ってる……?」
セリナが声を失う。
視界が揺れた。
風裂の庭の裂層の向こうに、“違う森”が映り込む。
緑は深く、精霊の歌が響き。
六つの影が、王庭の中心で円になって立っている。
六英雄が集っていた頃の森。
その光景は一瞬で消え、次には焦げ跡の残る焼失後の森が重なり、さらに現実へ戻る。
巻き戻し、早送り、停止、再生、切断――
森の時間軸が乱れ、過去と現在の断片が網のように重なっていく。
「まずい、崩壊が始まった……!」
風の橋はもはや跡形もない。
帰路としていた風の道は、時の乱流に巻き込まれ、歪んだ光の波に消し飛ばされていた。
風の精霊たちの異変
その中で異常が起きたのは——ハルヒの足元だった。
風の流れに逆らわず、淡い光の粒が寄ってくる。
小さな風の精霊たち。
本来なら“時の刻印”を持つ者には近づかないはずの存在。
「……精霊が、ハルヒに……?」
セリナが呆然とつぶやいた。
風の精霊たちはハルヒの周囲を周り、彼の足元に小さな“風の床”を作っていく。
時の乱流が流れる方向とは逆に、しかし自然な形で。
まるで——導くように。
「俺に……道を示してる?」
「そんな……ありえない……風と“時”は本来、最も相性が……!」
言い切る前に、足場が崩れた。
「走るぞ、セリナ!」
ハルヒが手を引く。
風は乱流と合わさり絶えず形を変えているが、精霊たちが作る道だけが一瞬だけ“安定”していた。
時の刻印が微かに光る。
それに共鳴するように風の流れが軌道を変え、ふたりの進む先へ向けて風の足場が生まれていく。
まるで、風そのものが“彼に逆らわない”ようだった。
“時響の奔流”の破裂
背後で、巨大な音が轟いた。
崩壊しかけた亀裂の中心で、時の奔流が一点へ収束し——
爆ぜた。
時間の断片が光の雨となって飛び散り、風裂の庭全域が白い閃光に包まれる。
「掴まって!!」
ハルヒがセリナを抱える。
次の瞬間、ふたりの身体は猛烈な風に乗り、空へと放り投げられた。
風、光、時間の欠片。
そのすべてが混じり合う渦に翻弄され、ふたりは意識が白く飛びそうになる。
だが——出口は、確かにあった。
風の裂け目が開き、外界の空気が流れ込む。
ふたりはその穴へ吸い出されるように——
風歌の森の外、湖畔へと叩きつけられた。
風の一羽の誕生
「いっ……たぁ……」
セリナが身を起こし、森の方角を見る。
風裂の庭のあった方向から、最後の“時響の奔流”が空へ向けて噴き上がり、光の柱となって消えていく。
そして、その残光の中から——
ひとつの小さな光が、ふわりと残った。
「……鳥?」
風の粒子が集まり、小さな羽鳥の姿を形作る。
身体は風のように透き通り、羽は光の糸のように揺れる。
“風の一羽”。
封印を越えた証であり、六英雄の意思の断片。
その鳥はふたりの前をひと巡りすると——
ためらいなく、北の空へ飛び立った。
目指すのは森の外。
さらにその先にそびえる、荒々しい雪嶺。
北壁山脈の断崖――《洞窟神殿》。
まだ見ぬ“次の封印”の場所。
「行こう、セリナ」
「……うん。六英雄の謎は、まだ終わらない」
風を裂くように飛び立つ光の羽鳥を追い、
ふたりは次なる封印へ向けて歩き出した。




