--第1話 「騎士学校の朝」
――鐘が鳴る。
青い空に、白銀の塔が映える。
ここは、王都ルディア南区にある《聖グラン騎士学院》。
千年の伝統を誇る、王国随一の戦闘士育成機関だ。
朝の校庭では、魔法陣がいくつも輝き、生徒たちが呪文詠唱や剣技の訓練に励んでいた。
火球が弾け、風刃が奔り、地面が抉れる。
そして、その喧噪の中心で、ひとりだけ――魔法陣を使わず戦う生徒がいた。
「スキル《反動制御》――三段階、展開!」
短く呟くと同時に、少年は木剣を構えた。
振る。空を裂く。地面が割れ、訓練用の標的が三体同時に崩れ落ちた。
汗を拭いながら立つその姿は、魔法を使えないことなど微塵も感じさせない。
「……やっぱり、やべぇな。魔力ゼロのくせに、あんな動き……」 「“無魔の剣士”ってあだ名、冗談じゃねぇな」
同級生たちの視線が集まる中、少年――ハルヒ・クロノスは木剣を収め、息を整えた。
黒髪に灰蒼の瞳。制服の袖口は焦げた跡で縫い直されている。
完璧ではない。だが、どんな傷も彼の努力の証だった。
「……ふう、まだ反動が残るな。二段加速で止めておけば良かった」
小さく呟きながら、彼は左腕の包帯を確かめる。
筋肉痛でもない。これは、魔力の“欠損反応”。
――三年前、幼馴染の暴走魔力に巻き込まれ、自らの魔力を犠牲にして救った代償だった。
それ以来、ハルヒは魔法を一切使えない。
しかし、代わりに彼は“スキル”を極限まで練り上げた。
《反動制御》《瞬動》《思考加速》《視覚拡張》――
それらを魔法陣なしに連携させる技術は、学院でも他に誰も真似できなかった。
「……よし、次は《三重軌道斬》の練習だな」
誰に聞かせるでもなく呟いたとき、背後から声がした。
「おはよう、ハルヒ。朝からまた独り特訓? ほんと真面目だね」
振り向くと、淡い金髪を揺らしながら少女が笑っていた。
セリナ・アークライト――ハルヒの幼馴染であり、王立魔法家系の娘。
「セリナ……早いな。魔導理論の授業じゃないのか?」 「あるけど、あなたがまた倒れてたら嫌だから。監視役よ」
冗談めかして言いながらも、セリナの笑顔にはかすかな痛みが混じっていた。
――三年前、自分の暴走で彼が魔力を失った。その事実を、彼女は今も忘れていない。
「心配するな。俺はもう、倒れたりしないさ」 「ふふ、そう言っていつも無茶するでしょ」
ハルヒは肩をすくめて笑う。
彼女の魔力は、今や学院でも上位クラス。
皮肉にも、彼を傷つけたあの日からセリナは覚醒したのだ。
「今日の午後は昇格試験だよ。忘れてない?」 「ああ。……そのために、これを鍛えてる」
ハルヒは腰のポーチを指で叩く。
そこには、昨日露店で買った古びた懐中時計が収められていた。
文字盤は割れ、針は動かない。
だが、見た瞬間――何かに“呼ばれた”ような気がしたのだ。
「それ、骨董品? また変なの拾ってきたわね」 「いや……不思議なんだ。持っていると、時間の流れが“違って”感じる」
セリナが小首を傾げたとき、校庭の鐘が再び鳴り響いた。
「――全生徒、第一演習場へ集合! 昇格試験を開始する!」
号令が響き渡る。
生徒たちが一斉に走り出し、魔法陣が眩しく光る。
その光景の中で、ハルヒだけが静かに息を吐いた。
「……来たか。三年間、全部ここに賭ける」
懐中時計を手に取る。
針は止まったまま――それでも、微かに“音”がした。
チチ……チチ……と、確かに時を刻むような響き。
「動いた……?」
瞬間、視界がわずかに歪んだ。
空気が震え、魔力がざわめく。
セリナが目を見開く。
「ハルヒ、それ――!」
ハルヒは反射的に時計を握り締めた。
次の瞬間、視界が白に染まる。
風が逆流し、世界が――止まった。
人々が動かない。光が凍る。
ただ、彼の心臓だけが鼓動を打っていた。
「……これは、なんだ……?」
答えは、まだ誰も知らない。
ただ、その瞬間から、彼の“時”は別の軌道を歩み始めていた。




