返り子
中心地へ下る街道は、朝のうちから白い影で埋まっていた。冥土の兵士――白を基調にした制服の肩章が光り、腰の通信器が忙しなく鳴る。関所の木戸は半ばまで降ろされ、行商のカゴまで開けさせられている。
「実験体が逃げたって話、ほんとか?」
「上からの通達だ。“重要個体”。見たら即報告、確保優先――。」
乾いたやりとりが風に乗る。ザハークが風下に鼻先を寄せ、低く言った。
「……匂いが多い。ここは無理だ。」
エイゼはすぐに判断を下す。
「仕方ない、中心地は避けるぞ。縁を回る。川筋と茶畑の畔を繋いでいく。」
ハクヤは頷き、古布をさらに目深に。アビスはフードの影から一度だけ関所を見やり、すぐ背を向けた。イブキは舌を出し、ひそひそ声で仲間へ。
「白ばっかりで、目がチカチカする……。ばれずに抜ける自信は、なくはないけどさ。」
「勝負を仕掛ける場じゃない。」
エイゼが短く返すと、一行は街道から外れて細い農道へ滑り込んだ。
*
道はやがて、ミティカの縁の村々を縫う細い網に変わる。湿った土を掻く音、竹の葉擦れ、遠くの水車の拍子。茶の畝が緩やかに重なり、ところどころに古い石仏が苔をまとってうずくまっている。
アビスが先頭で足場を選び、ザハークが少し離れて尾を引く。レイラは袖で首筋の小さな虫を払い、ガルツは背の荷を調整しながら地形を目に刻んだ。イブキは身軽に段差を飛び越えつつ、ところどころで人の気配を嗅ぎ分け、手で合図を送る。
「この先、曲がり角に紙灯籠。村の境界だ、静かに。」
彼女の囁きに合わせ、全員の足取りがさらに軽く、低くなる。茶畑の端で腰を伸ばしていた老婆が、こちらに気づく前に風景に溶ける。見知らぬ旅人という“異物”を、音と姿勢で薄めていく。
昼下がり、一本の用水の上に小さな板橋。エイゼが地図の端を広げ、指で淡く線を引く。
「ここから西へ膨らませる。セファレルは南西だ。人の目の薄い尾根筋を拾う。」
ハクヤは頷き、ふと隣のアビスへ視線をやった。フードの影で彼は短く息を吸い、ゆっくり吐く。
「……戻る灯。」
ごく小さな声。エイゼは即座に返す。
「ここにある。」
合図は音ほど軽く、しかし確かに胸に残った。
*
夕刻前。縁の村を三つ、茶畝を二つ越えた頃――景色がひそやかに変わった。土の色が濃く、風が乾き、鳥の声が一段低い。樹の枝々には細い黒布が結ばれ、風が通ると、かさ、と擦れてささやく。道らしい道は消え、踏み跡は意図的に途切れている。
ガルツが小声で呟く。
「……隠し道の“やり口”だ。わざと痕跡を散らしてやがる。」
ザハークは耳を寝かせ、地面に掌を当てる。
「足跡が返っている。踏ませて、戻させるための輪だ。」
イブキはマフラーを押さえ、声を落とす。
「なんか……空気が違う。音が吸われる、っていうの?」
アビスは立ち止まり、目を閉じた。胸の奥でさざなみのようなざわめきが起きる。土の奥から、昔の夜がゆっくり滲んでくる感覚。
「……ここから先は、“見られてる”と思って動いたほうがいい。」
エイゼが頷き、指で合図を切る。
「間隔を詰めろ。声は使うな。合図は手だけ――万一、囲まれても刃は抜くな。まず、礼から入る。」
黒布の“風鈴”が一つ鳴り、風が方向を変えた。茂みの向こう、地面がわずかに凹み、竪穴の影が口を開ける。かすかな香――油ではない、土と草を移した匂い。
ハクヤは剣帯を確かめ、視線を前へ。
(たどり着いた。アビスの“輪”の外側だ。)
そのとき、藪の奥で、低く平たい石がコト、と鳴った。足裏で押せば鳴るよう細工された“呼び石”。一行が立ち止まるより早く、黒い布の揺れが三度、四度と続き、周囲の影に目が灯る。
赤い瞳が、ぱっと、いくつも浮いた。
ハクヤは一歩、アビスの半歩前に出て、両手を見せた。エイゼも同じく、掌を肩の高さで開く。イブキは忍刀を鞘ごと持ち、柄頭を下へ。ガルツは銃に触れず、ザハークは獣の姿を抑えたまま腰を落とす。レイラは杖を立て、頭を下げた。
沈黙のなか、草いきれだけが濃くなる。やがて、影の一つがゆっくり前へ出た。黒い衣の縁から陶器のような肌がのぞき、赤い瞳がアビスだけに焦点を結ぶ。
「……外の匂い。……だが、その瞳、その骨のつくり。――“返り子か”。」
かすれた声。アビスは喉で息をつめ、そして低く、はっきり言った。
「……僕は、アビス。セファレルの名は、忘れていない。」
エイゼが微かに視線を送る。彼は一度だけ頷き、続けた。
「話をしに来た。刃ではなく、言葉を置きに。」
影の奥で、いくつもの呼気が一斉に揺れた。黒布がかさり、と鳴る。赤い瞳の輪が、わずかに狭まる。
その輪の縁で、エイゼがほとんど聞こえない声で囁く。
「戻る灯。」
アビスは応えた。
「……ここにある。」
風が一筋、藪を撫でた。セファレルの縁で、夜のような昼が始まる。




