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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第二部 第2章 灯の寮と忍者
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嫉妬と赦しの食堂

 拠点の夜、ぎこちない空気。

日中の衝突以来、ハクヤはアビスの顔を見るたびにわずかに肩を強張らせる。


食堂に入るときも、何気なくイブキの背に隠れるように歩き、彼女のマフラーの影から赤い瞳を盗み見る。

イブキは何も知らずにパンを頬張りながら、


「ん?どうしたの、あんた。」


と首を傾げるだけだった。

アビスはそんな二人を見て、思わず苦笑を漏らした。


「ハクヤくんって、意外と打たれ弱いんだね。」


ハクヤはむっとして、けれど目は逸らしたまま小声答える。


「お前が案外、怒らせたら怖いってことがわかったからだよ……。」


その声には拗ねたような響きと、ほんの少しの怯えが混じっていた。


アビスはスプーンを弄びながら、ふと視線を落とした。


「……ごめんってば。あまりにもメソメソしてたから、つい言い過ぎたんだ。」


少し間を置き、肩をすくめて呟く。

「でもね、あれが僕の本性なんだと思う。……嫉妬とか、羨望とか、怒りとか。キミの前だと、全部出ちゃうんだ。」


その言葉にハクヤは目を伏せ、イブキの背に隠れたまま小さく息を吐いた。


「……俺も、言われて当然だったのかもな。泣き言ばっか言ってたし。」


イブキは事情も知らず、二人の視線を行ったり来たり。


「えーっと……なんか空気重いけど、仲直りはした?」


と首をかしげるのだった。


パンをかじっていたイブキの横で、アビスは口角を上げた。

だが、その赤い瞳には光がなく、笑みは形だけだった。


「……ふふ。仲直り、ね。」


その微笑みに含まれた冷たさに、ハクヤは一瞬で背筋を固くし、目を潤ませて「うっ……」と声を漏らした。

昨夜の怒声が耳の奥に蘇り、心臓が強く脈打つ。


イブキはパンを置いて、二人を交互に見やる。


「……仲直りしてないね〜?」


と、ぽかんとした表情で呟いた。


アビスはすぐに視線を伏せ、パンを小さくちぎりながら低く笑った。


「……仲直りか。僕は謝ったつもりなんだけどな。」


「お前の目が怖ぇんだよ……!」


と、ハクヤは子供みたいに声を上げてしまう。

その声に、アビスの目元だけが微かに震えた。


「……そう。じゃあ、僕はまだ許されてないってことか。」


イブキは唇を尖らせて、二人の間に割って入るように椅子を引いた。


「ったくもう……ケンカするなら外でしてよね。ここは食堂だし、仲直りできないならせめて睨み合うのやめなさいってば。」


そう言いつつも、彼女の目はどこか心配そうに二人を覗き込んでいた。


食堂のざわめきの中で、ハクヤは縮こまっていた。

椅子をきゅっと引き寄せ、イブキの背中に隠れるようにしゃがみこむ。


赤く潤んだ瞳でちらちらとアビスを見やるが、すぐに目を逸らしてしまう。

昨日の「いつでも殺せるから」という声が、まだ耳の奥に焼きついて離れなかった。


イブキはその様子に気づいて、口をへの字に結びながらアビスへ向き直る。


「アビスもさぁ……ハクヤのこと泣かせちゃだめだよ!」


アビスは一瞬、視線を落とす。

その横顔は薄い笑みを浮かべていたが、瞳には未だ光がなく、苦い影が差していた。


「……わかってるよ。あれは僕の方が悪かった。」


言葉は謝罪の形を取っていても、声の奥にまだ残る棘は消えていない。

赤い瞳がちらりとハクヤを捕らえた瞬間、ハクヤはさらにイブキの背中へ身を押し込め、涙声を漏らす。


「……っ、やめろよ……その目……。」


イブキは眉をひそめ、両手を腰に当てて二人を睨んだ。


「もう! アビスもハクヤも、子どもみたいなんだから……!」


その叱責に、場の空気が一瞬だけ和らぐ。

けれど、ハクヤの胸に残る怯えと、アビスの目に潜む影はまだ拭えなかった。


食堂の空気が重く沈んだその時、床を踏む硬い足音が近づいてきた。

扉が開き、白い支給服の裾を揺らしてエイゼが姿を現す。

赤い瞳で笑みを貼りつけていたアビスを見て、低く言い放った。


「……アビス。酷い顔をしているな。」


その声に、イブキの背中へ隠れていたハクヤが小さく震える。

背中越しに顔を半分だけ覗かせて、かすれる声で呟いた。


「……エイゼ……。」


エイゼの琥珀色の瞳がハクヤを捕らえ、一瞬だけ眉が僅かに動く。

その横で、アビスはゆっくりとエイゼを見つめ返した。

赤い瞳にわずかな光が戻り、硬直していた肩がふっと緩む。


「……フン、子供同士の喧嘩か?」


エイゼは組んだ腕をほどきもせず、二人を見下ろすように言った。

皮肉めいた口調ながら、その声色には冷ややかさよりも呆れが滲んでいる。


アビスは小さく目を伏せて苦笑し、ハクヤは涙目のまま背筋をぴんと伸ばした。

イブキだけが


「え、子供同士……?」


とぽかんとし、パンを両手で抱えたまま瞬きを繰り返す。

食堂の空気を切り裂くように、エイゼの声が低く響いた。


「まずはアビス。言葉の刃には気をつけろ。……相手だって人間だ」


赤い瞳を正面から見据えられたアビスは、思わず息を呑む。

口を開きかけて、「っ……でも」と声を漏らすが――。


「でもじゃない。」


エイゼは鋭く遮る。


「弱っているハクヤを責めるな。刃は敵に向けろ。仲間を切りつけてどうする。」


次に視線が、イブキの背に半ば隠れているハクヤへ移った。

涙で濡れた瞳がエイゼを見上げる。


「ハクヤ。もう弱音を吐くな。」


その声は厳しいが、どこか深く温かい。


「お前は私の子だ。……誇りに思え。」


その一言に、ハクヤは胸を突かれたように息を飲み、目頭を押さえた。

アビスは奥歯を噛みしめ、指先をぎゅっと握りしめた。

「僕は、ただ……。」


けれど、エイゼの視線は微動だにしない。

その眼差しに射抜かれ、アビスは言葉を飲み込むしかなかった。


「……わかったよ。」


吐き出すように呟き、肩を落とす。

ハクヤは俯いたまま、かすれた声で


「……エイゼ。」


と呼んだ。

アビスは横目でその姿を見つめ、唇を噛む。

そして、冷たい沈黙の中に、エイゼの言葉だけが残響のように響いていた。


エイゼの言葉を受けてなお、アビスの胸には黒いざわめきが消えなかった。

握った拳が膝の上で震え、吐き出されるのはか細い声。


「……羨ましい。」


赤い瞳から光がまた零れ落ち、深淵の底に沈むような暗さが広がっていく。

その一言に、ハクヤはびくりと肩を揺らし、再びイブキの背中へ隠れ込んだ。


しかしエイゼは一歩も退かず、真っ直ぐにアビスを見据えた。

その声は揺るぎなく、鋭さの奥に温もりを孕んでいる。


「いいか、アビス。」


静かな呼びかけに、アビスの肩が小さく震える。


「あなたはあなただ。誰かと比べる必要はない。……私は、あなたの存在に救われた。」


エイゼはわずかに目を細める。


「そのことだけは、忘れるな。胸に刻んでおけ。」


アビスの唇が小さく震えた。


「……僕が……救った?」


その声は疑いと戸惑いに満ちていた。

だがエイゼの瞳には、揺るぎない確信が宿っている。

アビスの胸の奥に押し込めていた空虚が、不意に波打つように揺れた。


エイゼは静かに息を整え、真っ直ぐにアビスを見た。

その琥珀色の瞳には、揺るぎない光が宿っている。


「……あなたの一途で無償の愛が、私を生かしてる。」


その言葉は、刃ではなく灯火のようにアビスの胸に落ちた。


アビスは息を呑み、赤い瞳を見開いた。

「エイゼ……。」


震える声で名前を呼んだ瞬間、胸の奥を締めつけていた暗闇が少しずつほどけていく。

指先に残っていた力が抜け、こわばった肩もわずかに落ちた。


エイゼは腕を組んだまま視線を逸らさず、ただ淡々と続ける。


「だから私はここにいる。アビス、あなたがいなければ……私はとっくに心を失っていた。」


赤い瞳と琥珀の瞳が交わり、食堂の喧噪が遠のく。

ハクヤもイブキも、その空気の濃さに声を挟むことができなかった。


アビスは唇を噛み、俯いたまま小さく声を震わせた。


「……それでも僕は嫉妬してしまうよ。ハクヤくんの瞳も、立ち方も、エイゼに向けられるあの眼差しも……全部、羨ましいんだ。」


拳を膝に押しつけ、肩を震わせる。


「僕って……本当に最低だよね。」


赤い瞳が潤み、苦笑すら浮かばず、ただ自嘲が滲んでいた。


エイゼはそんなアビスを見下ろし、ゆっくりと首を横に振った。

その声は低くも温かく、深く響く。


「ならば、嫉妬すればいいじゃないか。」


アビスの肩が震え、顔を上げる。


エイゼはさらに続けた。


「人を羨むのも、妬むのも……それも生きている証だ。私はそんなあなたを、信じてる。」


アビスの目に光が戻り、赤い瞳が揺らめく。


「……信じてる、って……僕みたいなものを?」


エイゼは短く「フン」と鼻で笑い、言い切った。


「そうだ。アビスは“あなた”だ。誰の代わりでもない。」


その言葉は、アビスの胸の奥の空洞に静かに沁みていくのだった。

アビスは堪えていたものをついに抑えられなくなった。

唇を震わせ、赤い瞳から大粒の涙をこぼしながら、かすれた声で言葉を絞り出す。


「うぅ……あ、ありがとう……。」


涙は頬を伝い、ぽたりと床に落ちる。

エイゼは一歩近づき、泣きじゃくるアビスの頭へ静かに手を伸ばした。


「……よく言えたな。」


その手つきは驚くほど優しく、乱れた黒髪を撫でる指先には、確かな温度があった。

アビスはその手に触れるたび、胸の奥で絡まっていた棘がほどけていくのを感じた。


少し離れたところで様子を見ていたイブキは、気づけば目尻を潤ませていた。


「……もう、泣かせっこはおしまいだよ……。」


と小さく呟きながら、背中に縮こまっているハクヤの頭をそっと撫でてやる。


ハクヤは唇を噛みしめたまま、しかしその温かさにわずかに肩の力を抜いていた。


こうして、食堂の片隅で三人の心は少しずつほどけていく。

だが、それぞれの胸に残る痛みは完全には消えていない。

――それでも今は、この小さな温もりが確かに彼らをつないでいた。

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