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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第二部 第2章 灯の寮と忍者
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イタズラ好きの忍

 廊下はまだ朝の冷気が残っていて、床板の冷たさが靴底に薄く伝わる。イブキは壁づたいにするすると進み、最初の標的――アビスのドアの前で息を潜めた。


が、ちょうどノブが回り、黒い支給服の裾がふわりと現れる。


「あっ。」


固まるイブキ。


「やぁ、おはようイブキ。早起きだね。」


深紅の瞳がやわらかく笑い、アビスはそのまま食堂へ。上着の裾を翻す仕草まで無駄がない。


「お、おはよ〜。私、朝型人間だからさ〜……。」


(ちぇっ、出鼻くじかれた。)


気を取り直して、次はザハークの部屋。ドアに耳を寄せた瞬間――。


「ガルルル……」


低い唸りが板を震わせ、金色の瞳がこちらを見透かしている気配すらする。


「ご、ごめんなさぁい……!」


両手を合わせて、そろそろと後ずさり。


(音でバレてた……!)


三つ目の標的はレイラ。そっと取っ手を押し下げ、細く開けてのぞく。


そこは柔らかな洋室だった。白いレースのカーテン越しに朝光がほどけ、壁にはドライフラワーの花飾り。棚の上には小瓶のポプリ、ドレッサーの端には手作りのクッション。ベッドには、ふわふわのうさぎのぬいぐるみを抱いたレイラが、頬をほんのり染めてすやすや眠っている。


甘い香りが鼻先をくすぐった。イブキはそっと近づき、はみ出した掛け布団の端を肩まで戻してやる。


「……ん、ふふ……。」


レイラが小さく笑って寝返りを打つ。イブキはいたずら心を引っ込め、代わりに自分の小さな紙片を枕元へ置いた。折り紙の手裏剣――“おはようの護符”。


「起きたら、びっくりしてよね。」


囁いてドアを閉める。


次はガルツ。ノックの前に、すでに中から金属のこすれる音、工具箱のカタリという重み。


思い切ってドアを開けると、ガルツは椅子にもたれて半分うたた寝、片手はレンチを握ったまま、もう片方でカップの紅茶を探っている最中だった。


「突入――」


「するな。朝っぱらから心臓に悪ぃ。」


視線だけこちらを向けて、あごひげを指で掻く。


「工具棚は触るな。爆ぜる。」


「触らな〜い、見るだけ〜。おはよう、ひげ将軍。」


「誰が将軍だ。……おはようよ。」


最後は――ハクヤ。昨夜の“布団奇襲”の再現、と行きたいところだが、ノブに手をかける前に中で足音が止まり、扉が内側から開いた。


「また隠れ身か?」


「うっ。バレてる〜」


「お前の足音、元気なんだよ。」


額を軽く指で弾かれ、イブキはむぅっと頬をふくらませる。


「いいもん、次は完璧にやる。――ほら、朝ごはん行こ。いい匂いする!」


たしかに、廊下の先からはスープの香りと焼いた何かの匂いが流れてくる。食堂へ向かうと、アビスが鍋をかき混ぜ、IHの上でパンがこんがり色づいていた。エイゼは窓を開け、空気を入れ替えながら人数分のカップを並べている。


「おはよう。」


エイゼの短い挨拶。ザハークも巡回から戻り、レイラは手裏剣の折り紙を掲げて微笑んだ。


「かわいい“おはよう”、見つけたよ。」


「作者は匿名で〜す!」


イブキが笑ってピースする。ガルツは新聞代わりの古地図を畳み、椅子の背にかけた。


「さ、座って。今日は野菜たっぷりのスープと、卵のトースト。紅茶もあるよ。」


アビスが大ぶりのお玉でスープをよそいながら言う。


「この拠点の味、クノイチが査定いたします!」


「……点数つけるなよ。」


ハクヤが苦笑し、みんなの前に湯気が並ぶ。


イタズラの朝は、撃沈続き。それでも、笑い声と香りに満ちた朝は、充分に成功だった。外の陽は少し高くなり、灯の寮にいつもの一日がしずかに始まっていく。


朝食後。

古い床板がミシと鳴るたび、ハクヤは無意識に足音を殺した。背中に、ふと、ひっかかる気配。


——つけられている。


曲がり角の陰、ススでくすんだ消火栓の脇に、ひときわ新しそうな段ボール箱が一つ。

箱には、雑にマジックで「壊れた備品さわるな」と書いてある。昨日までは無かった。


(……妙だな。)


ハクヤは止まり、何でもないふうで伸びをしてから、すれ違いざまに箱の天板を「コツン」と指でつつく。

ビクリと箱が跳ねた。


「……。」


もう一度「コツン」。


中から、抑えきれない鼻息。


「ぷふっ。」


ハクヤはため息を飲み込み、今度はわざとらしく背を向けて歩き出す。数歩。

その瞬間——。


「参上っ!!」


段ボールが割れて、紫のマフラーが風を切る。黒髪ハーフサイドテールが跳ね、忍者刀の柄だけを掲げた少女が飛び出した。


「いまの顔〜驚いた?驚いたでしょ?押忍っ!」


「……おいイブキ、またイタズラかよ……。」


ハクヤは半眼で見下ろしながら、額をかく。

イブキはくるりと一回転して着地し、胸を張る。


「へへっ、あたしの尾行、完璧だったでしょ! “段ボールの術・改”だよ!」


「術って言うな。箱だろ、ただの。」


「いいじゃん!ロマンは大事!」


彼女の背で長いマフラーがぴょこん、と跳ねる。

ハクヤは肩をすくめ、箱の残骸を脇に寄せると歩き出した。もちろん、足音は消したまま。


「ねぇねぇ、次の任務さぁ、あんたと二人で偵察行きたいなーって思ってるんだけど、どう?」


「任務の割り振りはエイゼが決める。俺に言うな。」


「じゃあ交渉してきてよ!“ハクヤくんとセット券”!」


「……そんな券ねぇよ。」


イブキは頬を膨らませ、でもすぐ笑った。

彼女は歩幅を合わせ――いや、半歩先に踊るように歩き、時おり振り返ってはハクヤの表情を盗み見る。


(ほんと、元気だな……。)



拠点のリネン室は、天窓からの風でシーツが揺れている。

洗い終わった布がロープに何本もはためき、白い回廊を作っていた。


「ふふふ……。」


背後で笑いを噛み殺す気配。

ハクヤがロープをすり抜けると、白布のひとつが不自然にふくらみ、二つの目の位置に穴があいている。


「忍法・おばけの術〜〜だよ〜〜?」


シーツの中から、あからさまな幽霊の声。

ハクヤは無言で近づき、ふくらみの上から、そっと頭をぽんぽん、と二度叩いた。


「ひゃっ!ば、ばれてた!?」


「目の穴が雑だ」


「ぐぬぬ……。」


「それに、お前は“おばけ”になると声が明るすぎる。」


「明るいおばけがいてもいいじゃん!」


むくれた幽霊イブキが一歩下がろうとして、足に絡んだシーツに躓いた。

「わぷっ」と前のめりに倒れかける——ハクヤは素早く腕を伸ばし、胸元でキャッチする。


ドサッ。白い布が二人に雪崩れて、世界が柔らかい白に包まれた。


「……っ。」


暗がりの近さで、互いの鼻先がかすめる。

イブキの瞳が、ほんの一瞬、子供のように丸くなる。


「……ありがと。」


「気をつけろ。ここ、床板ささくれてる。」


「う、うん……。」


布のテントの中、二人分の呼吸と心臓の音が、やけに大きく聞こえた。

ハクヤはそっと体勢を整え、彼女が立ち直るのを待ってから、布をめくる。


外には、気まずそうに口元を抑えて見ていたレイラがいた。

「お熱いね〜」と言いかける唇に、ハクヤの視線が突き刺さる。レイラは「な、なんでもない!」と踵を返して走っていった。


「……。」


「……い、今のは誤解だからね!?イタズラの副作用だからね!あたしは計算なんてしてないからね!」


「誰も何も言ってない。」


「むぅ〜〜。」


イブキは赤い耳をマフラーで隠し、


「次の作戦行くよ!」


と宣言して、廊下を駆け出した。



談話室の掲示板には、アビスが落書きした『今日の標語、仲良くしようね♡』が貼られている。

その下、床にはうっすら白い粉の線。


「む?まきびしの術!」


「それ、小麦粉だろ。滑るぞ」


「うん、だからここであんたがツルッと——。」


言い終える前に、イブキが自分でツルッといった。


「わあっ!」


と体が浮く。ハクヤはまた反射的に支え、今度は腰をがっしり掴む。


彼女の腰は思ったよりも軽くて、熱を持っていた。

落ち着くまで背に手を回していると、イブキの手の甲がそっとハクヤの胸に触れる。


「……大丈夫か。」


「だ、だいじょぶ……あんた、反射いいね。やっぱり、好き……。」


「今、最後なんて言った。」


「好奇心!反射いいから!!こっちの好奇心が、ね!」


「ああ?」


「も、もう!気にしないの!次!」


彼女は誤魔化すようにスモーク玉(練習用)を床にコロリ。

白い煙がふわ、と足元に広がる。視界がぼやけ——


ぽす、とハクヤの胸元に何かが貼りついた感触。

煙が晴れる。胸には折り紙の手裏剣が一枚。「またあそぼ!」とへたくそな字。


(……子供か。)


(いや、子供、なのか?でも——。)


胸のあたりが、ちいさく、くすぐったい。

ハクヤはそれをはがして、丁寧に畳み、ポケットにしまった。



夕景。屋上にはソーラーパネルが並び、風がマフラーを大漁旗みたいに張らせる。

イブキは腰かけ、ぶらぶら足を揺らしていた。足首に絆創膏一枚——さっきの転倒の名残り。


「危ないから縁に座るな。」


「大丈夫だよ!忍者だもん!」


「“もん”じゃない」


ハクヤは彼女の横に立って、絆創膏をそっと押さえ直す。

指先の体温に、イブキが少しだけ身をすくめた。


「……ありがと。あのさ、ハクヤ。」


「なんだ。」


「もし、いつか、すっごく危ない任務がきたら——あたしも連れてって。役に立つから。逃げ足も、からかいも、得意だし。」


「からかいは要らねぇ。」


「じゃあ、励ます係。……それと、あたし、ハクヤが困ってる顔、もう見たくないんだ。だから、支える。ね?」


風が彼女の言葉をさらい、遠くへ運ぶ。

ハクヤは視線を落として、イブキと目を合わせた。


「……お前が傍にいてくれるなら、心強い。だが無茶はするな。」


「やった!約束ね。押忍!」


イブキは笑って、ぐっと拳を突き出した。

ハクヤも、少しだけ口元を緩めて拳をこつん、と合わせる。


屋上の出入口で、白い支給服の裾が揺れた。

エイゼが立っていて、二人に気づくと、ほんのわずかに目を細める。


「今日は風が強い。降りろ、風邪をひくぞ。」


「はーい!」


「……分かった。」


エイゼは去り際に、ハクヤへ「上出来だ」とだけ短く残す。

意味を測って、ハクヤはわずかに耳を赤くした。イブキはそれに気づき、にやにやしながらマフラーで口元を隠す。



夜。廊下。

今度は廊下の真ん中に、やたら“それっぽい”段ボールが一つ。


(……妙だな。)


ハクヤは足を止め、横目で段ボールの影と距離を測る。

そして、今朝の自分の反応をなぞるように、何気なくそばを通りすぎ——「コツン」。


軽く、指でつついた。


段ボールはピクリとも動かない。


「……。」


(空箱か?)


彼がわずかに身をかがめた、その瞬間——

背後の天井梁から、ひらりと降りる小さな影。


「どっきり大成功っ!!」


「——ッ!」


ハクヤは見事に肩を震わせた。

梁から逆さまに垂れ下がるイブキが、満面の笑みでぶら下がっている。器用に手甲でロープを掴み、忍者の面目躍如だ。


「やった〜!今日は勝ち!」


「……卑怯だろ、それは!」


「忍びは勝ってなんぼだよ!いいじゃん!」


ロープをすばやく伝って降り、彼の前に着地。

イブキは胸の前で手を組み、少しだけ真面目な顔になる。


「ねぇ、今日さ……楽しかった。また、明日も、同じくらい楽しくしよ?」


「……ああ。」


「約束だよ!」


彼女は笑い、躊躇いがちに、でも勇気を振り絞るように、ハクヤの袖をつまんだ。

一拍。

ハクヤはその小さな手を振りほどきはしない。代わりに、ぽん、と彼女の頭へ手を置く。


「遅い。もう寝ろ。」


「押忍!おやすみ、ハクヤ!」


イブキが軽やかに去っていく。

廊下に残る段ボールを、ハクヤは見下ろした。胸のポケットから、折り紙の手裏剣を出して、箱の天板に貼る。


——またあそぼ!


彼は小さく鼻で笑って、背を向けた。

その歩幅は、いつもより、ほんの少しだけ軽い。

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