継ぎ接ぎ
翌夕、裏座敷。障子の向こうは雨気を含んだ風、卓上の灯は低く、茶は冷めかけている。
報せの木札を確かめたクロウは、焙じ茶を一口だけ含むと、視線をこちらへ戻した。
「“運び”は見事だった。……礼を言おう」
短い労いのあと、彼は指先で畳に蛇行する線を描き、唐突に問う。
「ヒナモトの“鵺”を知っているか」
レイラが瞬きをする。ザハークの耳がわずかに動いた。ハクヤは黙って顎を引く。クロウは語り始めた。
「昔話の中の鵺は、夜に鳴く。姿は定まらず、猿の面、狸の胴、虎の四肢に、尾は蛇……と、書によって言い分が違う。泣き声は笛にも、幼子のすすり泣きにも聞こえるという。」
灯の炎が細く揺れた。クロウは続ける。
「ここヒナモトで今、裏の井戸端に上る“鵺”は、話の化け物ではない。胴の“器”に、異なる“核”を継いでいく。皮膚は虎めく斑、肩甲は鳥の骨格、喉は蛇の絞め、瞳は猿の焦点――泣き声は、まだ混ざったまま。……まるで継ぎ接ぎだ。」
その言い回しに、ハクヤの胸の底が冷える。冥土の聖書の挿絵――冠めいた角を戴く“合成獣”の頁が脳裏に閃いた。
(合成した“神”。兵器の神話化。ここでも、同じ線が引かれている……?)
ハクヤは布の下で目を細め、真正面から切り込む。
「……お前は、どっちの人間だ?」
ざわめきは起きない。クロウは少しだけ唇の端を上げた。
「質問は良い。答えも、曲げずに出そう。……確かに冥土とは繋がっている。“土”と“器”は用意している。だが、思考までは染まっていない。」
エイゼが短く、「具体」とだけ促す。クロウは肩をひとつ落とし、淡々と述べた。
「この国は表が静かで、裏がよく回る。俺は“回す側”だ。流れを捌き、匂いを嗅ぎ、毒を見分ける。冥土が求める“器”を与え、こちらは“貸し”を作る。だが――」
彼は灯に手をかざし、影の輪郭を細くした。
「むしろ見たいのは別の景だ。人間や生き物を兵器としてぞんざいに扱う者たちが、潰される瞬間。理ではなく力の帳尻で、その鼻面を地に擦らせる景色だ。……それに、“鵺”を倒せたのなら、名誉も戦力もこちらに乗る。」
利と義、冷たさと熱。相反するものを一人の言葉に並べて、なお崩れない声音。
ハクヤはわずかに息を吐き、問いを重ねる。
「……その鵺は、一体どこにいるんだ?」
「オオヤマの裾だ。」
即答。迷いがない。
「東の国を象徴する山。その麓に、竹と杉の境目がある。夜は霧が出る。そこで声が混じる。“継ぎ接ぎ”の鳴き。運んだ“核”は、いずれそこへ流れる。試し斬りに飢えた連中も、だ。」
アビスが目を伏せる。
「“核”が揃えば、合唱は輪郭を持つ。……歌になれば、街に降りる。」
ザハークは鼻をすっと鳴らし、「風下から」とだけ言う。レイラは掌をぎゅっと握り、うなずいた。
クロウは卓の端を指で叩いた。
「選べ。ここから先は、儀礼じゃない。行って“見る”か、引いて“測る”か。――どちらにせよ、俺は目と道を貸す。」
ハクヤはエイゼと視線を交わした。エイゼの頷きは一度だけ、深い。
「行く。」
ハクヤの声は低く、しかし揺れない。
「継ぎ接ぎの“神話”は、ここで終わらせる。人のために使う術だけ、残す。」
クロウは満足げでも、嬉々としてでもなく、ただ「よろしい」と言った。
「夜明け前に発つのがいい。オオヤマは朝が強い。道標はイブキに任せる。――“紅”が上がったら退け。“白”なら、進め。」
障子の外で、竹が細く鳴った。
ヒナモトの東風が、継ぎ接ぎの鳴き声を、微かに運んできた気がした。
裏座敷を出ると、雨気を含んだ夜がすぐに肩に降りた。竹が細く鳴り、路地の石が冷たい。
――三つ先の角、瓦の縁を踏む軽い音。ザハークの耳先がわずかに立つ。
「……出てこい。」
低く言っただけで、影がひょいとほどけた。月欠けの髪飾りを結び、黒装束に着替えたイブキが、悪びれもせず片手を振る。
「ばれた〜?クノイチ尾行モード、まだ練習中なんだよね!」
「……匂いと鼓動が騒がしい。忍ぶ気がない。」
ザハークが鼻を鳴らす。イブキは「へへ」と笑って、今度はまっすぐハクヤの前に詰め寄った。
「ねぇねぇ、一体全体、なにがあったの?」
「おい、近ぇな……落ち着いて聞け。」
ハクヤは半歩だけ下がり、古布の奥から短く告げる。
「ヒナモトは裏で冥土と繋がっていて、“鵺”って生物兵器を作ってるらしい。……イブキ、お前はどう思う?」
イブキは「うーん」と首を傾げ、苦笑いを添えた。
「冥土って名前は、うっすら。昔、うちの道場から冥土に行った弟子がいたってさ。『必ず戻る』って言って、まだ帰ってこない。……まさか、ね。」
「そいつの名前は?」
「……シドウ。あたしがちっちゃい頃、よく遊んでくれた。木刀を肩に、筋肉ムキムキ、顔は二枚目、性格は太陽。――あたしの憧れ、だったんだ。」
竹のざわめきが一瞬だけ強くなる。ハクヤはそれを聞き、エイゼは視線だけを動かした。
「……もし道の先で“シドウ”に出会ったら、伝える。お前の名で、“戻る場所がある”って。捕らわれているなら、助ける。」
イブキはぱちぱちと瞬いて、すぐには笑わなかった。喉元が小さく上下して、それから胸を二度、拳で軽く叩く――忍び流の礼だ。
「……ありがと。」
声は思ったより小さかった。レイラがそっと頷き、ザハークは周囲の匂いに意識を戻す。ガルツがぼそりと
「……尾行は家に帰って練習しなおしだなぁ。」
と呟くと、イブキは舌を出して肩をすくめた。
「じゃ、代わりに情報。オオヤマの裾へ行くなら、竹と杉の境目、“三の鳥居”を夜明け前に抜けて。霧が薄くなるのは刻の鐘が一つ。紙灯籠は“白”ならよし、“紅”が三つ続いたら迷わず退け。木こり道は川音の左、石の祠を右に折れる。……これで、半分は助かる。」
「すまないな、ありがとう。」
エイゼが短く礼を置く。イブキは踵を返しかけて、ふと思い出したように振り向いた。
「頭は冷たいけど、嘘はつかないよ。鵺を斬れたら、町の裏は動く。……だから、死なないでね。」
それだけ言って、瓦の影へ跳ね上がる。足音は二拍で消えた。
竹の葉がまた擦れ、夜は元の静けさを取り戻す。ハクヤは布の内側で息を整え、仲間たちを見回した。
「……行こう。夜明け前に“三の鳥居”だ。」
影は路地の闇へ溶け、紙灯籠の白だけを道しるべに進んだ。
だがしかし、イブキは踵を返し、瓦影から身をひょいと覗かせた。
「……ねぇ、あたしも着いていっちゃダメ? 煙玉も手裏剣もクナイもあるし……兵糧丸もあるし……それに……。」
「ったく、単純に俺たちに興味があるんだろ?」
ハクヤが半眼で言う。
イブキは一拍おいて、悪戯を見破られた子どもみたいに口角を上げた。
「……せいか〜い。」
エイゼが腕を組み、じっと見た。
「面白い……だが、足でまといになったら即座に置いていくからな。」
「それって、それって〜……着いていって良いってことですか!!」
目がぱっと灯る。イブキはその場で小さく跳ね、すぐに正座みたいに腰を落として両手を膝に置いた――忍び流の承諾の礼だ。
「ありがたや!」
「だが、条件を三つ。」
エイゼの声が落ちる。
「一、命令系統は私。指示には即応。
二、音を出すな。見せ場も台詞もいらん。
三、撤退と言ったら振り返るな。置いていく時は本当に置いていく。」
「押忍!」
即答しつつ、イブキは小袋の口を結び直す。煙玉がころりと転げかけ、ザハークの足先がすっと伸びて止めた。
「……匂い消しは?」
「あるある、山椒に樟脳、松脂で足音留め――ほら!」
小瓶の栓を切ると、鼻先だけがすっと澄む。ザハークがわずかに頷いた。
「……悪くない。」
レイラが前に出て、イブキの腕に細い布を巻く。
「はい、止血帯。使わないのが一番だけど、念のためにね。」
「ありがと、医療の子。」
「レイラでいいよ。」
ガルツは工具袋から薄い縄と小さな鉤を二つ渡す。
「橋の下で役に立つ。落ちるなよ、クノイチ。」
「落ちないって!」
アビスは微笑んで言葉を添えた。
「離れすぎないでね。僕らは影じゃなく“線”で動くから。」
「線、ね。うん、了解。」
準備は短く、静かにまとまった。紙灯籠は白、風は北東。竹の葉がこすれ、夜の湿りが少し軽くなる。
「行くぞ、イブキ。」
ハクヤが先頭、エイゼが二番手。アビスとザハークが左右の死角を埋め、ガルツが最後尾。イブキは列の外周、半歩後ろで流れるように位置を替える。レイラは別道の聞き耳へ回り、約束の刻で合流だ。
路地を三つ、右・右・左。狭い橋を渡ると、竹と杉の境の黒がほどけ、その奥に鳥居の影が三つ、層のように重なって見えた。
「三の鳥居……!」
イブキが囁く。息は上がっていない。
東の空がかすかに白む前、四つ半と一人の影は鳥居をくぐった。石の祠が右、川音は左へ。紙灯籠はまだ白い。
オオヤマの裾が、音もなく口を開ける。
鵺のいる方角へ――足音を残さず、彼らは闇の縁を進んだ。




