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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第二部 東の国 第1章 継ぎ接ぎの影
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オボロ組の頭

 日が落ちきる少し前、町の表通りの灯がぽつぽつと点りはじめた。屋根瓦の稜線がまだ赤みを残す時間。約束どおり、一つだけ消える灯があった。路地の奥、誰も通らぬはずの薄暗がり。紙灯籠の骨が見えるほど淡い闇が、ぽっかりと口を開けている。


「……ここだ。」


ザハークが風下に寄り、鼻先をわずかに動かす。


「……香の匂いが混じる。表の空気じゃない。」


石畳の継ぎ目に沿って進むと、石垣の影がふいに揺れた。


「お待たせ〜!」


ひょいと飛び出したのは、やっぱりイブキだ。夜用の装束に着替え、腰には細い縄と布包み。目の輝きは昼のまま。


「声、小さめね。クノイチ案内モードだから!」


そう言って、石垣と板塀の隙間に手を差し入れ、硬いものを二度、柔らかいものを一度、軽く叩く。板が息を吐くみたいにすべって、狭い口が開いた。


中へ一歩。空気が変わる。湿り気が薄れ、冷たい香木の匂いが鼻の奥に届いた。足元は古い石畳、壁は土と竹、ところどころに薄い布が垂れ、その向こうに灯がぼうっと見える。表の喧噪が、布一枚で遠いものに変わっていく。


「こっち。」


イブキの踵が音を消し、のれんを三つくぐる。二つ目の曲がり角で、彼女はわざと一度だけ立ち止まって振り返った。指で「一・二・三」と数え、最後の布をわずかに持ち上げる。


そこは四畳半ほどの座敷だった。畳の青が深く、中央に低い卓。壁に武具はない。代わりに、筆と硯、巻物が整然と納められている棚がある。灯は弱く、影が濃い。座していた男がゆっくり顔を上げた。


白混じりの髪、無駄のない背筋。目は細く、笑っていないのに冷たくはない。


「頭ぁ、連れてきたよ。」


「……騒がしくは、しなかったか?」


「……ちょっとだけ〜。」


男はごく小さくため息を落とし、ハクヤたちを視線で一巡した。

布で顔を半ば隠したハクヤ。冥土の白い支給服に身を包み、フードを深く被ったエイゼ。同じく冥土の黒い支給服の影を纏うアビス。フードの内で耳を伏せるザハーク。目を丸くしながらも足元の印を数えるレイラ。腰に工具袋を提げ、顎髭をさすりつつ周囲の釘一本まで目で拾うガルツ。


「ミカヅキ道場からの紹介、確かに受けた。オボロ組の頭、クロウ・カスミだ。名を。」


ハクヤが一歩出て礼をした。


「ハクヤです。こちらは――。」


順に名が置かれるたび、男は頷き、目の奥の計算を一つずつ進めているようだった。


「何を求めてヒナモトへ?」


「仲間です。」


ハクヤは迷わず言った。


「冥土に抗う力を集めたい。人を“作り物”として扱うやり方を、やめさせたい。そのための道と、眼と、耳が欲しい。」


座敷の空気が一瞬だけ張りつめる。「冥土」の二文字は、この国でも軽くはない。


クロウはしばし黙し、やがて頷いた。


「名を軽率に出さぬこと。力で先に語らぬこと。礼を違えぬこと――この国で“裏”を得るには、まずそれだ。」


エイゼが短く応じる。


「肝に銘じよう。」


「よろしい。」


クロウは棚から布包みを取り、卓の上に置いた。


「協力者の連絡印だ。だが、渡すには順がいる。明朝、ひとつ“任”を受けよ。こちらも、お前たちの“足”を見たい。」


「任務の内容は?」


アビスが穏やかに問う。


クロウは指先で布包みを押しやり、低い声で続けた。


「任務はひとつ。ただの“荷の運び”だ。」


畳の上に描かれた薄い地図。墨の線が川筋を示し、赤で小さな丸が印されている。


「町の外れ、竹林の向こうにある茶舗へ。そこに届けてほしい。中身は開けるな。道中で誰に呼び止められても、名を出すな。……もし追われたら、逃げ切れ。」


静かな声のはずなのに、言葉の端には鋭さが宿っていた。


「それだけ、ですか?」


とレイラが首をかしげる。


「それだけだ。」


クロウは頷いた。


「だが、甘く見れば痛い目を見る。表の目も、裏の目も、外から来た者を値踏みしている。」


ハクヤは息を整え、包みを手に取った。ずしりと重い。だが武器の感触ではない。


「……やる。」


言い切る声に、仲間たちはそれぞれ頷いた。


そのとき、横からひょいと手が伸びてきた。イブキだ。


「お客さんたちだけじゃ不安でしょ?あたしも案内するよ!」


「断る。」


師範のようにクロウが即答した。


「ええー!?でもわたしの方が夜道詳しいし――。」


「余計な口を挟むな。……だが。」


クロウは一度だけ目を細め、妹弟子のような少女を見やった。


「道半ばまでなら構わん。危険に入る前で引け。それ以上は許さぬ。」


「やった!」


イブキはくるりと回り、ハクヤに笑顔を向ける。


「ほらね、あたしがついてれば百人力!」


ハクヤは少し引き気味に


「……お、おう。」


と返すしかなかった。


卓上の灯が小さく揺れる。

任務の始まりを告げる風が、畳の縁を撫でた。


薄灯の座敷に静けさが戻ると、クロウは卓の端に残った茶碗を指で回し、わずかに口元を歪めた。障子の外では、夜の気配が畳の縁を撫でていく。


「……あの瞳は“人造人間”だな。」


独り言のように落とされた声に、脇に控える若い衆がわずかに身を正す。


「猛禽の瞳が二つ、獅子の稀血が一つ、残るは人狼。要するに“生物兵器”……ってやつか。あれが本物なら、冥土はようやってくれる。」


言葉は感嘆でも、吐息は冷ややかだった。


「ただの人間に見えて、よく見たら違う……それが“化けて”国の武力になってしまう、か。……恐ろしいな。」


そう言いながら、彼は意味ありげに目だけで笑った。恐ろしさは、扱い方によっては“頼もしさ”にも変わる。裏の者にとって、それはいつだって同義だ。


(かしら)、荷の件は……?」


「予定どおりだ。」


クロウは先ほど卓に置いた布包みを、軽く叩く。外見はただの桐箱。だが箱の芯には薄い金属が回され、中は冷たさを保つ仕掛けだ。


「中身は“遺伝子細胞”。今は亡き生物兵器から採った核の欠片……混ぜ物だ。複数の獣の遺伝子を継ぎ接ぎにした“設計図”。人に移せば、また“兵器”が生まれる。」


若い衆の喉が小さく鳴る。


「……冥土の品、ですか。」


「表向きは違う顔をしてるがな。」


クロウは指で空をなぞり、薄く笑う。


「ヒナモトは“ホトケ”を軽く信じる国だが、表が穏やかなほど、裏はよく働く。今、あの連中は“ぬえ”を作っている――試作品だ。泣き声も姿も定まらぬあやかし。冥土が裏で金と知恵を流し、こちらは“土”と“器”を用意する。……持ちつ持たれつ、というやつだ。」


座敷の灯がかすかに揺れ、桐箱の角が鈍く光った。クロウは茶碗を置き、淡々と続ける。


「連中を試させる。箱を開けずに届けるか。目と鼻がきくやつらだ、匂いを嗅げばただの荷ではないと気づくだろう。……さて、どちらに転ぶのだろうか。」


「開けたら?」


「敵も味方も決まる。」


短く、穏やかで、酷薄な言い方だった。


「開けずに届けたら?」


「筋は通る。通った筋の上で、こちらから“問い”を重ねられる。」


若い衆は「承知」とだけ告げて頭を下げ、薄闇に音もなく消えた。

クロウは卓に片肘を置き、障子の向こうへ視線を流す。竹の葉がこすれる細い音、湿った夜気、遠くで誰かの笑いがほどけていく。


「“鵺”の声を起こす前に……あの猛禽の瞳の底、どれほどの光か確かめておこうか。」


 夜明け前。空は薄鼠、竹の葉に露が落ちる音が続く。裏路地の一つが息を吐くように開き、四つの影が滑り出た。先頭はハクヤ。背に布包み。続いてエイゼ、アビス、ザハーク。路地の手前でレイラが小さく手を振り、別の聞き耳の道へ回る。ガルツは最後尾、振り返りざまに板塀の釘の向きを一つ数えた。


「道半ばまで案内するって言ったでしょ。ここから右三つ、左二つ、橋を一つ抜ける。」


イブキが指で簡潔に道順を描き、足を止める。


「この先は“目”が増える。あたしはここまで。気をつけてね〜!」


「ありがとうイブキ、借りは返す。」


エイゼが短く言う。


「戻れる道は?」


「来た道と違う道を戻って。……合図は紙灯籠の色。白はよし、紅は引けってね!」


イブキはそれだけ言い、路地の影へ溶けた。


竹林に入る。湿り気を含んだ空気が、ひんやりと頬を撫でる。ハクヤは包みの重みを肩で測り直し、呼吸を細く均した。足裏は畳ではなく土。踏みしめるごとに、冷えた重みが身体に移る。


「……中、冷たいな。」


小声で漏らすと、アビスが視線だけ向けてくる。


「医療用の保冷具の感じがする。……桐箱の芯に金属板が入ってる。揺らさないほうがいいね。」


「……開ける気は?」


ザハークが短く問う。


ハクヤは首を横に振る。


「任務は“運び”。……まずは筋を通す。それで見えるものがある。」


エイゼがその横顔を一瞥し、わずかに口角を上げた。


「判断は妥当だ。今は眼より足だ。」


川音が近づく。小さな橋の手前、鉛色の腕章をつけた二人連れが道を塞いでいた。袖口に同じ印。目は笑っていない。


「早い散歩だな。どこへ?」


問うより先に、探っている目だ。ハクヤは布の奥で視線を滑らせ、相手の足の位置、腰の高さ、刃の重さを測る。エイゼが半歩前に出て、わずかに頭を下げた。


「茶舗へ。依頼の荷を届ける。」


「通し印は?」


答えの代わりに、エイゼは懐から細い紙片を出す。墨で描いた三つの弧。受け取った男は紙を透かし、鼻で短く笑う。


「……よし。行け。」


男たちは身をずらした。すれ違いざま、ザハークの耳が微かに震える。衣擦れの音――一人分多い。(はり)の上か、笹の影か。彼は何も言わず、風下に嗅覚を延ばした。


橋を渡る。竹の葉がざわりと鳴る。ハクヤは包みの角を掌で押さえ、歩を一定に保つ。川岸の茶舗は、表に早咲きの梅の枝を立て、軒に灰色ののれんを出していた。まだ戸は閉まっている。だが、内に灯の気配。


「来たよ。」


 扉の内側から、控えめな声。痩せた男が出てきて、合図の紙片を確かめる。手際に無駄がない。桐箱を受け取り、重みを測るように指先で傾ける。


「たしかに。」


 男の目は笑っていなかった。礼だけはきちんとして、戸を閉める。中で(かんぬき)の音。すぐに、別の足音が現れ、裏へ回る気配。川音がそれをさらう。


「戻るぞ。」


 エイゼの声で一同が踵を返す。道を戻る途中、紙灯籠が一つだけ紅に変わった。ザハークがわずかに低く唸る。


「“目”が増えた。尾いてくる。」


ハクヤは頷き、速度を落とさずに進行方向を変える。竹林の切れ目を利用し、影から影へ。エイゼが最小限の合図で角を選び、アビスが背を受ける。ガルツは最後尾、路地に薄い傷を残す――帰り道の印。


 背後で、夜の鳥の声に混じって、奇妙な音がした。獣とも鳥ともつかぬ、濁った鳴き。ひゅう、と短く、かすれて、消える。


レイラが息を呑む。


「今の、なに?」


エイゼの目が細くなる。


「わからないな……今は急ぐぞ。」


彼らは歩幅を乱さず、走らず、しかし迷わず、裏路地の灯の海へ紛れた。


そのころ、茶舗の奥では、桐箱が二重の扉を抜け、白い部屋の中央に置かれていた。布手袋の手が箱をあけ、金属の芯を外す。霜の下りた小瓶が四本。琥珀のゼリーに沈む、微細な白。


「核の“芯”……“鵺”に足りなかったものだ。」


白衣の影が喜色もなく呟き、一本を持ち上げる。光を通さぬよう、布を二重に巻く。その指先の動きは、祈りにも似て滑らかだった。


「ホトケの国も、冥土の国も、神話は表で笑い、裏で回る。さて、どんな鳴き声になるのだろうな?」


彼らの笑い声は出なかった。ただ、冷たい装置の唸りが、静かに部屋を満たした。


裏路地の出口で、紙灯籠が白へ戻る。イブキが影から顔を出し、ひそひそ声で問う。


「どうだった?」


「渡した。……匂いは悪かった。」


ザハークが短く答える。ハクヤは包みの消えた背を軽く叩き、深く息を吐いた。


彼らは再び表通りのざわめきへ戻っていく。屋根の上を、見えない視線が追った。


クロウ・カスミの座敷では、伝令の小さな木札が卓の上で止まる。短い文面。一筆だけ。


 ――“運び、完了”。


クロウは木札をひっくり返し、ふっと笑う。

灯が一段、低くなる。ヒナモトの“裏”が、静かに回りはじめた。

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