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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第二部 東の国 第1章 継ぎ接ぎの影
30/54

ミカヅキ道場

 東へ東へと日を重ね、山裾の霧が薄くなる頃、一行はヒナモトに入った。


空気はわずかに湿り、松脂の匂いが鼻の奥に残る。竹林が風に擦れ、遠目には桜の木がまだところどころ淡く色を抱いている。瓦屋根が連なる町並みは起伏に沿って折れ、路地の角を曲がるたびに、炭火と醤油の香ばしい匂いがふっと押し寄せた。


ハクヤたちは各々、服装の上にマントや古布を重ね、観光客に紛れて大通りを歩く。屋台の声、行商の鈴、木履が石畳を打つ乾いた音。耳に入る話題は、冥土の教条ではない。


「道すがらの社のホトケさまに、今年も豊漁を。」


「御札は腰に下げるとよい、って祖母がね。」


祈りは軽く、暮らしの延長にある。熱に浮かされたような説教も、白衣の集団も見当たらない。


「見張りの“匂い”が違う。」


ザハークが風下を嗅いで低く言う。


「鉄と油が薄い。武器はあるが、軍の気配ではない。」


「この国の“掟”は、この国のもんだってことさ。」


ガルツが顎をさすり、瓦葺きの棟飾りを眺めた。


「冥土の祈本より、町の古い約束が勝ってる。」


 エイゼは人の流れを横目に、巡回の周期を数えている。視線の動きに合わせて、茶に混じる白い一房が小さく揺れた。


「信仰は薄いが、目は鋭い。――派手な動きは極力避けろ。」


レイラは露店の布を見て、思わず目を丸くする。


「織りが綺麗……。光の拾い方が違うね。」


アビスは屋台の湯気を一瞥し、微笑を引っ込めた。


「香りも穏やかだ。……ね、ハクヤくん。」


返事の代わりに、ハクヤが足を止める。大通りから細い道へ視線が吸い寄せられた。

 路地の奥、木製の看板――墨で、流れるように「ミカヅキ道場」とある。引き戸の奥には、磨き込まれた床板。かすかな白粉の匂い。畳と木の呼吸。

そして、鋭く澄んだ掛け声。


「「押忍――ッ!」」


道場の正面で、稽古着の少年少女が一斉に礼をした。その規律の良さに、通りすがりの客が振り向く。ハクヤも思わず背筋を伸ばした。


師範らしき人物がこちらへ歩み出る。年の読みづらい、筋の通った目の持ち主だ。袴の裾が床をさっと掃き、静かに会釈する。


「旅の方。見学か、それとも、手合わせを求めに?」


ハクヤは一瞬だけ仲間を見る。エイゼは短く首肯、ザハークは門の影に回り気配を薄め、レイラは帳面を胸に抱えて小さく頷く。アビスは周囲の出入り口、窓の高さ、逃げ道を一筆でなぞるように一瞥した。


「……見て、学びたい。」


ハクヤが応じる。


「力だけじゃなく、その扱い方を。」


師範の目が、わずかに和らいだ。


「よい心掛けだ。力は刃にも杖にもなる。扱いが人を分ける。靴を脱いでくれ、畳に失礼のないように。」


木履を脱ぎ、敷居をまたぐ。足裏に伝わる床の冷たさが、いっそう意識を澄ませる。

道場内では、月を描くような足運びでの型稽古が続いている。半歩引き、三日月に沿って円を描く――切っ先は強く、体は柔らかく。息が合うたび、木刀の空を切る風が、ぴん、と張った線を一瞬残す。


「型は“満ち欠け”で学ぶ。」


師範が囁く。


「満ちた力は欠けに備え、欠けは次の満ちへ繋ぐ。人も同じだ。」


エイゼが小さく呟く。


「循環の論理……いい教えだ。」


アビスは目を細め、うなずいた。


「攻めの手と退きの手が、同じ筋を通ってる。」


ひと区切りの合図が鳴り、稽古生が整列する。入り口近くの若い衆が、まっすぐハクヤを見た。

「旅の人……道場の礼儀では、まず名乗りを。」


ハクヤは腰に手を当てかけ、ふと、布を少し外して深く頭を垂れた。


「俺はハクヤ。旅の者だ。」


「押忍!」


短い返礼が気持ちよく響く。


「見学の間、質問は歓迎する。」


師範が続けた。


「ここで学ぶ者に共通する掟は一つ。“力を誇らず、扱いを誇れ”。それがここらミカヅキの教えだ。」


レイラがぱっと顔を明るくする。


「いい言葉……!」


ザハークは鼻先を動かし、周囲の匂いをもう一度確かめた。


「武器庫の油、古い。――実戦より“型”を尊ぶ場だ。危険はない。」


ガルツが肩を回す。


「お手並み拝見といこうじゃねぇか。」


師範はハクヤに木刀を手渡した。軽すぎず、重すぎず、掌に素直に落ち着く木の重み。


「まずは礼。次に足。……焦るな、旅の若者。三日月は急がず満ちる。」


外では、竹林がまた小さく鳴った。瓦の向こうで、見知らぬ国の午後が少しずつ傾く。

冥土の旗は見えない。かわりに、ここには“扱い”の掟がある。


ハクヤは構えを取り、ゆっくりと息を吐いた。琥珀の瞳に、木床と人々の姿がくっきりと映る。


 ――仲間を見つける旅は、武の間合いからも始まる。

三日月の弧が、彼の足下に静かに描かれた。


畳の上、空気が一枚薄く張り詰めた。


師範の視線が左右を払う。


「二タカ、そして旅の者・ハクヤ。手合わせ、一本勝負。間合いを測れ。」


ハクヤとニタカは正面に立ち、同時に礼。


「押忍。」


木刀が胸の前で静かに揃う。年の頃は同じ、ただニタカの眼光は鋭く、鷹の名を背負うにふさわしい切れ味があった。


「始め!」


号令と同時に、ニタカが風を切る。踏み込みが速い。つま先から膝、腰までが一本に繋がっていて、初手の面は刃筋が微塵もぶれない。木刀の先が、まるで獲物を捉える鷹の嘴のように一直線に落ちてくる。


ハクヤは受けない。半歩、三日月の弧を描くように足をすべらせて“外”へ逃がす。刃は空を切り、床板に生まれた細い風の帯だけが頬を撫でた。


(腰を見る。肩じゃない。――エイゼの稽古どおりだ。)


ニタカはすぐさま二の手、斜め胴。速い。だが速さの裏に、ごく小さな「予告」がある。打つ前に右の手の内が締まる。握り替えの癖。呼吸は強く吐く型、三拍子の二拍目で踏み込む。


ハクヤは観る。数える。満ち、欠け、また満ちる。三日月道場で見た型の“循環”を自分の息に重ね、わざと一拍、間をずらす。ニタカの刃が空を抉るたび、足は床に月の弧を置いていく。


木刀が交わったのは三合目。タタン、と短い拍で鍔元を合わせ、すぐに離れる。ニタカの瞳が愉しげに細くなった。


「いい足だな、旅人!」


返事はしない。代わりに呼吸を深く。――エイゼの声が背骨の内側で鳴る。


(焦るな。見るな、数えろ。刃ではなく、体幹の傾きを見ろ。)


四合目。ニタカの蹴り足がわずかに畳を擦った。体の中心が半刻だけ前に流れる。そこで初めて、ハクヤは攻めに転じる。左へ小さく欠け、右へ満ちる。三日月の弧で外へ出ながら、刃先ではなく“鍔下”でニタカの手元を絡め取る。


コッ、と短い音。握りの内側へ木刀の腹が触れ、ニタカの指が一瞬だけ開いた。体勢が、半分だけ崩れる。


ここだ。


追いは一拍遅らせる。焦って踏み込めば相手は捌ける。半拍、溜めてから前。腰を据え、木刀の先を喉へ――。


「止め!」


師範の声が空気を断ち、二人の刃先が同時に静止した。ハクヤの切先はニタカの咽喉仏の手前で止まり、ニタカの刃はハクヤの左脇で凍ったまま。あと一指でも動けば、お互いが傷になる距離。


呼吸が戻る。最初にニタカが笑った。肩で息をしながら、きっぱりと頭を下げる。


「参った。……観る目があるな。」


ハクヤも木刀を下げ、深く礼。


「……強い。速さに飲まれかけた。」


師範が二人の間へ歩み、木刀の背で床を小さく叩いた。


「よい。ニタカは“満ち”が強い。旅の者は“欠け”の捌きが冴えている。どちらも足が乱れぬのが良い。力を誇らず、扱いを誇れ。忘れるな。」


「押忍!」


返礼が道場に響く。列の端で見ていた稽古生たちも、小さな歓声を飲み込みながら目を輝かせている。


合間、ニタカがそっと近づいた。声は低いが、悪意はない。


「旅のハクヤ。よかったら、もう少し手を合わせないか。……ここの型だけじゃ測れねぇ“外”の間合いを、お前は知ってる。」


ハクヤは一瞬だけ仲間の方を見る。エイゼは目で「良い」と告げ、レイラは親指を立て、ザハークは頷いて入口の警戒を続ける。アビスは出入り口と窓の影を一瞥し、うっすら微笑んだ。


「望むところだ。」


ハクヤは答え、木刀を取り直した。


「学びに来たんだ、俺たちは。」


道場の(はり)を渡る風が、竹林の匂いを少し運んでくる。三日月の弧は、まだ続いていた。ここでの“縁”が、仲間へと育つかもしれない――そう思える手応えが、掌の木の温度に残っていた。


そのとき、道場の奥から甲高い声が突き抜けてきた。


「この道場であたしがいっちばん強〜いクノイチだってのに!おじいちゃん、ま〜たニタカを選んだぁ〜!!」


白木の柱の陰から、稽古着に脚絆(きゃはん)、肩で切った短髪を横で結い上げた少女が躍り出た。頬をぷうっと膨らませ、指先でニタカをびしっと指す。


師範――娘が「おじいちゃん」と呼ぶ老人は、天井を仰いでから深いため息をついた。


「……お前のその態度がいかんのだ、イブキ。何がクノイチだ、まずは礼を身につけ――。」


「うるさ〜い!最強に礼はいらな〜い!」


と、イブキは腰に手を当ててくるりと回る。まるで風鈴の玉が跳ねるように落ちつきがない。


ニタカがこめかみを押さえ、ハクヤへ苦笑いを向ける。


「すまねぇな、ハクヤ。うちの妹だ。……いっつもああなんだ。」


「……あの小娘のほうが強いのか?」


ハクヤがぽつりと言うや否や、イブキの目がぱあっと輝いた。


「その通り!お客さん、見る目があるね〜?ふふん!見ての通り、我が名はイブキ・カミシロ!ミカヅキ道場の看板娘にして――最強のクノイチ!もちろん可愛さも最強♡」


「やかましい、黙って礼ッ!」


ニタカが後ろから首根っこをつまみ、半ば強引に頭を下げさせる。


「騒がしくてスマンな……。」


「お、おう……。」


押し流される勢いに、ハクヤは思わず間の抜けた返事になる。


後列で見ていた仲間たちも、反応はさまざまだ。マントのフードに影を落としたザハークは、耳をわずかに伏せて小声で言う。


「……クノイチにしては、少し騒がしい。」


レイラは帳面を抱えたまま、目だけをきょろきょろさせた。


「ね、ねぇ、“クノイチ”ってなぁに……?」


その問いに、イブキががばっと半身を乗り出す。瞳がまるで花火の火花みたいに弾けた。


「偵察、潜入、護衛、連絡、攪乱、時々おつか――」


「最後のは違う。」


師範が木刀の背で畳を軽く叩いた。


「口より手だ。三手だけの試し。煙や刃物は禁じる。木刀と体さばきだけで見せよ。」


イブキの瞳がきらりと光る。


「やるやる!お客さん、一本どう?」


ハクヤは仲間に目で問う。エイゼは短く頷き、アビスは出入口と窓を確認してから口元だけで笑った。ザハークは風下へ半歩。レイラは親指を立てる。


「三手だけだな。」


ハクヤは木刀を取り直し、正面に立つ。二人は礼を交わした。


「始め!」


一手目は、音がなかった。イブキの足は畳を撫で、袖の内側の布縄がほどけて、蛇のように床を滑る。木刀は囮。視線を刃先に誘っておいて、足元を縛りに来る――。


(袖。――エイゼの稽古で見た“囮の筋”だ)


ハクヤは踏み出しかけた足を、三日月の欠け目へ滑らせる。布縄は空を噛み、彼の脛の外側で空転した。木刀は振らない。まだ見て、数える。


二手目。イブキは間を詰めず、今度は身体を斜めに切ってきた。肩の入り、呼吸の落とし方、視線の泳ぎ。刃先の角度は“変化”。次は上ではなく、横。――袖の内の重りがわずかに鳴った。


(右からくる。なら、こちらは“欠け”で受け、満ちで返す)


ハクヤは半歩沈み、木刀の腹で手首の外側を軽く押さえる。力ではなく、線でずらす。イブキの体幹が一瞬だけ宙に浮いた。


「……っ、へぇ。」


イブキの口端が上がる。三手目。崩れを利用して、腰の回転から逆に返す――はずが、師範の声が先に落ちた。


「止め。」


二人の木刀が、空中で凍る。ハクヤの切先はイブキの喉元の手前。イブキの木刀はハクヤの左肋の外側。あと半指進めば、どちらも“当たり”。


静寂が一拍。最初に息を吐いたのはイブキだった。ぱっと体の力を抜き、木刀を下げる


「まいった。やるじゃん、旅人。足も呼吸も、綺麗。」


「ありがとう。――速かった。視線に惑わされるところだった。」


師範が二人の間へ進み出る。


「イブキは囮が巧い。旅の者は“欠け”で受けて“満ち”で返す。どちらも足が乱れぬのが良い。力を誇らず、扱いを誇れ。」


「押忍!」


掛け声が畳に響いた。


イブキはすぐ顔を上げ、ハクヤへ一歩詰める。


「ね、旅の人。あんたたち、外から来たんでしょ?この町の“夜”を歩くなら、案内いるよ。あたし、行こうか?」


「勝手は言うな。」


師範が咳払いし、エイゼへ目を向ける。


「旅の長は、そちらか。」


エイゼが一歩出て礼を返す。茶に白が一筋混じる前髪が、灯の下で静かに揺れた。


「判断は私がする。助力はありがたいが、外は危険だ。」


「危険は承知の上!」


イブキは胸を張る。


「ねぇニタカ、あんたも行けば?」


「爺さまを置いては行けん。」


ニタカは肩を竦めた。


「……だが、紹介はできる。」


師範が頷く。


「よかろう。旅の者。ヒナモトで“表と裏”を渡るなら、オボロ組の頭に通るといい。礼を守る者にしか渡さぬが――紹介状を書こう。」


ハクヤは木刀を返し、腰を正す。


「お願いします。刃だけじゃ足りない。道と眼を学びたい。」


「決まり。」


師範は奥へ筆を取りに向かった。


「イブキ、お前はまず耳を鍛えろ。口を先に走らせるな。」


「はぁい!」


――返事だけは良い。


イブキはくるりと皆へ向き直り、声を落とした。


「今夜、裏路地の灯りがひとつ消える時間がある。そこが“夜の道”の入口。そこで待ち合わせね。」


ザハークが頷く。


「……夜の匂いは、俺が拾う。」


レイラはそっと手を挙げた。


「えっと……買い食いは任務に入りますか?」


「任務外♡」


即答。間髪入れず、ニタカの拳骨がイブキの頭に落ちた。


「まず礼儀。それから段取りだ。」


笑いがふわりと広がる。


その輪の少し外で、エイゼは出入口と窓の高さ、梁の位置を素早く数え直した。アビスは窓越しに空を見上げ、わずかに目を細める。


(門がひとつ、開いた)


竹を渡る風が、瓦の棟を越えていく。

三日月が、ほんの少し満ちた。

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