封じられた真実
ハクヤは白い支給服の襟を軽く正しながら、無機質な廊下を進んだ。
研究区画。
冥土の中でも限られた者しか入ることを許されない区域。
その空気はどこか冷たく、湿っていた。
(……何かが、おかしい。)
エイゼとの戦いを終えた直後に上層部からの呼び出し。
施設のどこかで、重々しい扉が閉まる音が響いた。
ハクヤは無意識のうちに拳を握る。
「ハクヤ・ヴェルネ。」
低い声が響いた。
廊下の奥、厚い強化ガラスの向こうに、白衣を纏った研究員たちが並んでいる。
その中央に立つ一人の男が、ハクヤを見つめていた。
「お前が、エイゼと接触したと報告を受けた。」
「ああ。」
ハクヤは警戒を隠さずに応じる。
「なぜ、俺がここに?」
研究員たちが視線を交わし、男が静かに言った。
「お前に、確認したいことがある。」
「確認……?」
「そうだ。」
男は指を鳴らした。
すると、奥の部屋で何かが動いた。
ハクヤは眉をひそめる。
次の瞬間——
重い扉が開き、鎖に繋がれた巨大な影が現れた。
「……ッ。」
それは異形の存在だった。
猛禽のような翼。鋭い鉤爪。
そして——琥珀色の瞳。
「……!」
ハクヤの心臓が跳ね上がる。
(これは……!)
「驚いたか?」
研究員の男が薄く笑う。
「これは我々が生み出した試作品の一つ。お前たちと同じ……グリフォンの遺伝子を持つ者だ。」
「俺、たちと……?」
「そうだ。」
男はゆっくりと歩み寄り、ハクヤの顔を覗き込む。
「お前もまた、この存在と同じ素材でできている。」
ハクヤの中で、何かが軋んだ。
「はぁ?冗談じゃねえ……。」
吐き捨てるように言い、ハクヤは後ずさる。
男は冷たい目で見下ろしながら言った。
「お前は、自分の本当の出自を知らないのだろう?」
「……ッ。」
ハクヤの呼吸が乱れる。
エイゼの言葉。
「お前の中には、私と同じものが流れている。」
(まさか……。)
この場所に来てはいけない、と言われた理由が——
「さて、ハクヤ。」
研究員の男が告げる。
「お前には、知るべきことがある。」
そして、その瞬間——
ハクヤの中で、眠っていた何かが、僅かに揺らいだ。
研究区画の一室。
ハクヤは硬質な椅子に座らされ、腕を固定されていた。
白衣を纏った研究員たちが淡々と動き回る。
冷たい器具が肌に触れるたび、ハクヤの全身が嫌悪感に震えた。
(……くそったれが。)
血液検査、遺伝子検査。
次々と施される検査のたびに、何かが暴かれていく気がした。
「ハクヤ・ヴェルネ。」
研究員の一人が、無機質な声で告げた。
「結果が出た。」
ハクヤは顔を上げる。
研究員の手元には、解析データが表示された端末があった。
「お前の遺伝情報には、特異な因子が確認された。」
「特異な?」
「そうだ。」
研究員は端末を操作し、ホログラムに解析結果を映し出す。
「これは……お前のDNA情報だ。」
そこには、通常の人間とは明らかに異なる遺伝子配列が示されていた。
「そして、こちらが——。」
次に映し出されたデータに、ハクヤは目を見開く。
「……っ!」
「そう、お前と完全に一致するもう一つのDNAだ。」
そこに表示されていたのは——
エイゼの遺伝情報だった。
「……嘘だろ。」
ハクヤの声が震えた。
「つまり、お前は——」
研究員の男が淡々と告げる。
「我々の『生物兵器』、エイゼの“子”ということになる。」
「……っ!」
ハクヤの呼吸が止まる。
頭が真っ白になった。
「俺が……!?馬鹿な……そんなはずが……!」
否定しようとするが、データは動かしようがない事実を示していた。
「どうして……なんで俺が……。」
「簡単な話だ。」
研究員の男は冷たい微笑を浮かべる。
「お前は、元々この施設で生まれた『被験体』だったということだ。」
「……!」
ハクヤの全身に悪寒が走る。
(俺が……被験体?)
「だが、お前はある事情で施設から外へと流れた。結果として、お前自身は自分の出自を知らずに育った……。」
「……そんな、馬鹿な。」
全てが崩れていく感覚に襲われた。
「そして皮肉なことに——」
研究員の男は、静かに笑う。
「お前は自らの意志で、『元いた場所』へと戻ってきたわけだ。」
「……っ。」
ハクヤは拳を握り締めた。
(ふざけるな……!)
冥土に入団し、この国のために戦うと決めた。
それが——
「全部、仕組まれていたってのか……?」
静かな怒りが胸を焦がす。
研究員は冷たく見下ろしながら言った。
「ハクヤ、お前は我々にとって、非常に興味深い存在だ。」
そして、言葉を続けた。
「これから、お前には選択をしてもらう。」
「選択……?」
「そうだ。」
研究員の目が細められる。
「お前はこのまま、実験体として扱われるか——」
「もしくは、我々の側につくか。」
「……ッ。」
ハクヤの背筋を冷たい汗が伝う。
(実験体……?それとも、冥土の『兵器』として……?)
「選べ、ハクヤ。」
研究員の声が低く響く。
ハクヤは奥歯を噛み締めた。
——運命を、選べというのか。
——ドンッ!
突如として、施設全体が激しく揺れた。
「何だ!?」
研究員たちが一斉に動揺し、警報が鳴り響く。
「……来たか。」
ハクヤは、かすかに震える空気の中で、その気配を感じ取った。
冷たい鋼鉄の扉の向こうから、重く鋭い足音が近づいてくる。
「被験体エイゼが拘束を突破!現在、研究区画へ侵入中!」
警備兵の叫びが響く。
そして——
——ガシャアアアン!!
分厚い扉が吹き飛んだ。
舞い上がる粉塵の中から、『それ』が現れる。
鋭い琥珀色の瞳が、獲物を狩る獣のように光っていた。
「……お前。」
ハクヤの目の前に立っていたのは、白い支給服を纏った女——エイゼ。
彼女の顔は血と汚れで荒れ、目の下には深い隈が刻まれていたが、その双眸は狂気すら感じさせるほど鋭かった。
「……まだ、生きていたか。」
低く、抑えた声でエイゼは言った。
だが、その静けさとは裏腹に、彼女の全身は戦闘態勢に入っていた。
警備兵たちが次々と武器を構える。
「被験体エイゼ、直ちに投降しろ!」
「……。」
エイゼは無言のまま、ゆっくりと肩を回す。
そして、静かに剣を抜いた。
「……貴様らに従う理由はない。」
その瞬間——
エイゼの姿が、一瞬にして掻き消えた。
「っ!?どこだ!?」
警備兵が狼狽する間もなく、彼らの間を疾風のごとく駆け抜ける影。
——ギャインッ!
鋭い金属音とともに、一人の警備兵が吹き飛ばされた。
「うわぁあああっ!」
「化け物め……!撃てッ!!」
銃声が響く。
だが——
エイゼはまるで踊るように身を翻し、銃弾をかわす。
その刹那、彼女の背中から——
銅色の翼が広がった。
「……なっ。」
ハクヤは言葉を失った。
(なんだ……これは……!)
エイゼの白い支給服が破れ、その下から露わになる銅色の翼。
彼女の指先は鋭い鉤爪のように変化し、その体はまさに人ならざるものだった。
「グリフォン……?」
ハクヤは、無意識のうちにそう呟いた。
その瞬間——
エイゼが、一気に地を蹴った。
「——退け。」
轟音とともに、彼女は警備兵たちの隊列に突っ込んだ。
「ぐあああっ!!」
一閃。
警備兵の鎧が引き裂かれ、血飛沫が舞う。
彼女の目が、ハクヤを捉えた。
鋭い琥珀色の視線。
「お前をここから出す。」
「……っ。」
ハクヤは、己の血が震えるのを感じた。
(こいつは……。)
自分と同じ、いや、それ以上の何かを持っている。
彼の知らなかった、自分自身の根源を——。
「ハクヤ!」
エイゼの叫びが響く。
「今すぐ、来い!」
その声は、命令ではなく——
共に戦う者への、呼びかけだった。
エイゼは荒れ狂う施設の中で、鋭い瞳をハクヤに向けていた。
その言葉は、命令でも脅しでもなかった。
それなのに——ハクヤの胸に、妙な感覚が広がる。
(……何だ、この感じは。)
自分を見つめるこの女の瞳。
恐怖ではない、殺意でもない。
ただ、強く、確かに「守るべきもの」を見据える眼差し——。
「ぐっ……!」
背後から迫る警備兵の攻撃を、ハクヤは咄嗟に剣で受けた。
エイゼはそれを見て、迷いなく動く。
彼女の剣が閃き、警備兵を瞬く間に倒していく。
「立っていられるなら、戦え。」
そう言い捨てる彼女の声は冷たい。
けれど、どこか——。
「お前、何者なんだよ。」
ハクヤは息を切らしながら、エイゼを見た。
エイゼは一瞬、迷うように視線を落とし——
「……私は」
言葉が詰まった。
(言えない、こんなことを……。)
——「お前の母親だ。」
その言葉が喉の奥に絡みつく。
今まで無視し続けてきた感情が、喉を締めつける。
だが、それを振り払うように、エイゼはただ剣を振るった。
「私が何者かなんて関係ない。お前は、ここから出るべきだ。」
その言葉には、今までと違う何かがあった。
ハクヤはそれを感じ取りながらも、まだ言葉にできない。
けれど、確かに——。
「……チッ、分かったよ。」
ハクヤは肩をすくめながら、剣を握り直した。
エイゼはそんな彼を見て、わずかに目を細めた。
(……やはり、血は……。)
その思いを振り払うように、彼女はまた剣を振るう。
その戦いの中で、少しずつ、何かが変わり始めていた。
ガキィン!
鋼がぶつかり合う音が施設内に響く。
エイゼとハクヤは背中を合わせながら、迫りくる兵士たちを迎え撃っていた。
「くそ、次から次へと……!」
ハクヤは歯を食いしばりながら剣を振るう。
対するエイゼは、まるで戦闘を舞うように流麗な動きで敵を斬り伏せていく。
「お前はまだ甘い。攻撃の無駄が多い。」
「チッ……いちいちうるせぇな!」
そう言い返しながらも、ハクヤはエイゼの動きを盗みながら戦っていた。
彼女の剣技には無駄がない。殺すべき相手を、一撃で仕留める技術。
(……こいつ、本当に何者なんだ?)
戦いながらも、ハクヤはエイゼに対する疑問を拭えなかった。
その時——
「囲まれたな。」
エイゼが低く呟く。
四方を完全に封じられた。
「おい、どうする。」
「……お前は下がれ。」
エイゼは剣を捨て、静かに目を閉じた。
「は……?」
次の瞬間——
——バサァァァッ!!
白い支給服が引き裂かれ、巨大な影がハクヤの前に現れる。
「なっ……!」
その姿は——獅子のような体躯に、鷲の巨大な翼。
グリフォン。
まさしく伝説の存在が、目の前にいた。
「まさか、お前……!」
ハクヤが言葉を失っている間に、エイゼは咆哮し、圧倒的な力で敵をなぎ払う。
「ハァァァァァッ!!」
吹き荒れる衝撃波と共に、兵士たちが吹き飛ばされていく。
——これが、この女の本当の姿なのか。
ハクヤは呆然と、エイゼの姿を見つめていた。
「お前も……この力を持っているはずだ。」
グリフォンの姿のまま、エイゼが低く呟いた。
「……は?」
「まだ目覚めていないだけだ。」
ハクヤの琥珀色の瞳を、エイゼは見つめる。
「お前は——私の『血』を継いでいる。」
「……っ!」
ハクヤの心臓が跳ねる。
(どういう意味だ……!?)
エイゼの言葉の意味を理解する間もなく、警報の音が施設全体に響き渡った。
「クソッ、今は考えてる暇はねぇ!」
ハクヤは頭を振り、剣を構えた。
「エイゼ……いや、お前が何者かは知らねぇが……」
「……。」
「とにかく、この場を切り抜けるぞ!」
ハクヤの言葉に、エイゼは小さく頷いた。
——それは、二人が初めて共闘を認めた瞬間だった。
「エイゼ! 俺が前に出る、お前は援護しろ!」
ハクヤは叫ぶと同時に、迫り来る兵士たちに向かって剣を振るった。
「……言われるまでもない。」
エイゼは冷静に返し、巨大な翼を広げると、一気に飛翔する。
バサァッ!
吹き荒れる突風と共に、彼女は空中から兵士たちを蹂躙した。
「ぐああっ!」
「こ、こいつ……化け物め!」
圧倒的な力の差に、兵士たちは恐怖に震えた。
しかし、冥土の施設が育てた兵士たちは簡単に怯まない。
「包囲を崩すな! 数で押し潰せ!」
指揮官の声が響くと同時に、さらに多くの兵士が流れ込んできた。
「チッ、キリがねぇ……!」
ハクヤは剣を振るいながらも、焦燥感を覚えた。
エイゼもまた、冷静に状況を見極めていた。
「……このままでは持たない。」
彼女はハクヤの元へ舞い降りると、低く呟いた。
「どうするつもりだ?」
「……出口を開ける。お前はその隙に脱出しろ。」
「は?」
「私はここに戻されても構わない。だが、お前は生かさねばならない。」
「……ふざけんな!」
ハクヤは怒りに満ちた声で叫んだ。
「何でお前だけ犠牲になるんだよ! ふざけたこと言ってんじゃねぇ!」
「お前は……ここにいるべきではない。」
エイゼの声は静かだった。
「お前がここに留まれば、いずれあの男に捕まる……それだけは避けなければならない。」
「……あの男?」
エイゼは答えなかった。
だが、その目は強い決意に満ちていた。
「お前は自由を得ろ。私はそれを望む。」
「……っ!」
ハクヤは拳を握りしめる。
(こいつ……一体何を知っている……?)
しかし、今は考えている暇はなかった。
施設の奥から、新たな兵士たちが現れた。
「……チッ、わかったよ。」
ハクヤは剣を構え直し、エイゼと並び立つ。
「だが、一緒に生きてここを出るぞ!」
エイゼは一瞬、驚いたようにハクヤを見た。
(……この男は。)
エイゼの中に、かすかに揺らぐ感情があった。
(何故……こんなにも、私に向かってくる?)
しかし、彼女はすぐにその考えを振り払うと、低く呟いた。
「……愚か者め。」
だが、その声には、わずかに柔らかさが含まれていた。
「行くぞ、ハクヤ。」
「おうよ!」
——共闘の戦いが、今始まる。