どこへ向かうか
数日後の朝。中庭の露が乾ききる前に、食堂の長テーブルへ全員が集まった。窓の外で手押しポンプの金具がひとつ鳴り、機械室の唸りが低く続く。
「備蓄が増えた。」
エイゼが最初に口を開く。茶の髪にひと房の白が差し、非常灯の白を受けて静かに光った。
「そろそろ“全員で”遠征に出てもいい頃合いだ。」
カウンターには、昨日までに詰め終えた保存食の袋と医療キット、工具包。冥土製の冷蔵庫は音もなく動き、扉の中で水筒の表面に薄く露がついている。
「でもエイゼ、僕たちまず、何をしたらいいのかな?」
アビスが身を乗り出す。
「まずは仲間だ。」
ハクヤがまっすぐ言った。
「仲間が増えれば、戦力が増える。俺は冥土の“すべて”をぶっ潰したいわけじゃない。人間の扱い方を、変えるべきだと思う。エイゼやアビスを兵器扱いするってのは許さねぇ。そして、作り物の神話も消す。『合成獣』なんて看板は、もう降ろさせる。」
テーブルに短い沈黙が落ち、アビスが頷く。
「……そうだね。」
声は軽くない、真っ直ぐな重さだった。
「……革命、だな。」
ザハークが低く言う。耳がわずかに立ち、視線は地図へ落ちたまま。
「ああ。」
ハクヤは受ける。
「俺たちが前に立てば、味方は絶対に増える。いまの冥土に不信を抱いてる奴は、案外多いはずだ。」
「たくましいじゃないか、ハクヤ。」
エイゼは腕を組み、わずかに口角を上げる。
「なら、冥土の信仰が薄い国を目指して戦力補充だ。この寮は部屋が多い。受け入れる余地はある。」
ガルツが顎ひげを指で弾いた。
「信仰が薄ぇなら、東の国『ヒナモト』だろ。あそこは独立した文化圏だ。教本より地元の掟が強ぇ。」
「……冥土を憎んでいるという点なら、灰獣の里は確実だ。もう一つ、俺たちが最初に出会った再生の地『ラズノア』。」
ザハークの声が続く。
「あそこも、根は冥土に貸しがある。」
レイラが地図を広げる。指先で冥土本部の北をなぞり、印を置く。
「ラズノアは本部のちょっと北。近くに灰獣の里。補給は……ユラシノから回せる。」
視線が自然とハクヤへ集まった。エイゼも、アビスも、ガルツも、ザハークも、レイラも――同じ「最後の判断」を求める目だった。
ハクヤは短く息を吸い、東の余白に書かれた『ヒナモト』『オオヤマ』の文字を見つめる。
「俺は、力がほしい。東の国には“武”の系統が残ってるって聞いたことがある。まずはそこで、俺たちの側に立つ『人』を見つけたい。」
「決まりだな。」
ガルツが手を打つ。
「東回りだ。」
「ルートを詰める。」エイゼが地図に指で線を置く。
「初手はユラシノで補給。そこから東へ。『オオヤマ』の北側を回る獣道を使う。街道は避ける。監視塔の目は、風上から外す。」
「渡河点は?」
レイラが問う。
「古い堰の上。」
ザハークが即答する。
「朝霧が濃い。足跡も残りにくい。」
アビスがメモを走らせる。
「装備配分――医療はレイラ。食料は僕とガルツで分散。警報装置は予備を二つ。拠点側の警報は時限で自動復帰。電力の優先順位は夜間の非常灯と警戒のみ。」
「拠点は無人にしない。」
エイゼが首を振る。
「全員で出て、日没前に一度戻る“行き戻り”で距離を伸ばす。最初の二日は足慣らしだ。防犯はザハークの罠とガルツの簡易トリップで補強して出る。」
「了解。」
ザハークが工具袋を引き寄せ、針金と鈴、極細の糸を並べた。
「飲み水は井戸。携行は三本ずつ。紅茶の葉は小分けにして――」
レイラは小さな秤で袋を等分しながら、笑う。
「ヒナモトのお茶とも交換できるかも。」
アビスが頷く。
「布と糸も。ヒナモトの仕立ては評判がいい。縫製の技術は武より早く人を助けることがあるよ。」
ハクヤは最後にもう一度、地図の東へ目をやる。琥珀の瞳が細くなる。
「東で仲間を見つける。……そして戻ってくる。ここに。」
「戻る場所の維持、な。」
エイゼが短く応じる。うなずきに合わせて前髪の白がそっと揺れた。
「出発は?」
ガルツ。
「明朝、薄明。」
エイゼ。
「今日のうちに荷を作り、夕刻に一度、外周を流す。夜半は交代で睡眠を崩すな。走るのは明日だ。」
確認のための視線がぐるりと一周し、それぞれの口から簡潔な「了解」が落ちた。立ち上がる椅子の音、包の紐を締める音、革の軋み――小さな準備の音が、“灯の寮”の朝に重なっていく。
扉に向かう直前、ハクヤがふと振り返った。
「……エイゼ。」
「なんだ。」
「俺たち、間違えねぇよな。」
問いは短く、真ん中を射抜いていた。エイゼは少しだけ顎を上げ、仲間全員を順に見た。
「間違えるな。ではない。」
彼女は言い直す。
「間違えたら、引き返す。名で呼び合い、禁律を守り、人として選び直す。そういう進み方を、私たちは選んだ。」
「……了解。」
ハクヤの口元に、わずかな笑みが戻る。
「行こう。」
アビスが声を乗せた。
「東へ。仲間を迎えに。」
外で風が起き、屋上のパネルの影が壁をすべった。
灯の寮の扉が、今日のためにゆっくり開く。
出発は、いつも静かにはじまり、そして確かに動き出す。




