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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第一部 第2章 灯の寮
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再び幸せが訪れる

 遠征の熱が引くころ、寮の廊下には機械室の低い唸りだけが残っていた。


ハクヤは自室のドアを閉めるなり、靴を蹴って、そのままベッドへ倒れ込む。スプリングが小さく鳴り、洗い立ての白い寝具がふわりと肩を受け止めた。昼間、エイゼが洗って干したものだ。布は軽く、手触りは少しだけきしむ。まるで昔、彼を包んだおくるみの名残が、形を変えて戻ってきたみたいに。


「……俺……生きてる……。」


 珍しく寝言が零れる。布の影で唇がかすかに動き、まぶたの奥で目が何かを追う。手は剣も持たず、胸の上で緩んで重ねられていた。無防備――その言葉がぴたりと当てはまる寝姿だった。


しばらくして、廊下を渡る足音。そっと開いたドアから、エイゼが顔をのぞかせる。


非常灯に照らされた白は、夜の色を少し吸ってやわらかい。エイゼは部屋の空気を一度吸い込み、近づいて掛け布団の端を整えた。角を折り、肩口まで静かに引き上げる。髪が頬にかからぬように、指先で一筋だけ退ける。


「……よくやった、ハクヤ。」


誰にも聞こえないほどの声で言う。

雪の夜――あの透明な箱から抱き上げた、温い重み。白い布に包んだら泣き止んだ小さな呼吸。胸のすぐ下で揃う鼓動。

いま、同じ白が彼の肩を覆っている。もう檻ではない。戻る場所の布だ。


ハクヤがまた短くうわ言をこぼした。


「……行かない……見届ける……だけ……。」


エイゼはそっと頷き、窓の隙間を二指ぶん閉める。夜風で布が冷えないように。灯りを一段落として、ドアを静かに引いた。


部屋の中では、白い寝具がおくるみのように胸から背中までをゆっくり包み、寝息は等間隔に落ちていく。

ハクヤは、その夜はずっと――無防備に眠っていた。


その夜。アビスは、廊下の角で足音を聞き取り、そっと顔を上げた。非常灯の白に縁取られて、エイゼが無言で歩いてくる。アビスは小さく手を上げた。


「ねぇ、エイゼ。……大したことじゃないんだけど、少しだけいい?」


足を止めたエイゼに、アビスは自室の扉を開ける。中は簡素で、机の上の小さな灯りだけが温度を持っていた。


「これ、キミにプレゼント。レイラと一緒に考えたんだ。……気に入ってくれると、いいな。」


アビスが差し出したのは、淡い紙で包んだ小さな包み。エイゼは無駄のない手つきで紐を解き、紙を開いた。中から現れた白は、雪みたいに静かな光を含んでいた――スズランの髪飾り。絹の細いリボンに、小花がいくつも寄り添っている。裏側には目立たない細いピン。


エイゼは一拍だけ黙り、目を細めて微笑んだ。


「……綺麗だ。」


アビスの肩がほっと落ちる。


「つけてみてよ。絶対、似合うと思うんだ」


エイゼは頷き、鏡も見ずに指先で髪を整える。茶の髪に、前髪だけ一房、雪のような白が混じる――結わずに流したその耳上、こめかみの少し後ろに、ピンを静かに留める。白い花は茶の色に映え、前髪の白と呼応してほのかに光った。


「どうだ?」


問いは短い。アビスは思わず笑って、首を横に振った。


「綺麗だよ。……その言葉しか、出てこない。」


机の灯りが花弁の縁に沿って揺れ、白がわずかに呼吸するように見えた。エイゼは指で一度、確かめるように触れ、視線をアビスへ戻す。


そのとき、開いた包み紙の底から、小さな紙片がひらりと落ちた。エイゼが拾い上げる。そこには、整った字で一行――『再び幸せが訪れる』。


エイゼのまぶたが、きゅっと和らぐ。紙片を折って支給服のポケットにしまいながら、低く言った。


「……受け取った。」


沈黙がひと呼吸ぶん。アビスは照れ隠しに笑って、ふと思い出したように言葉を継いだ。


「何十年ぶりのプレゼントだろう。孤児院のとき、キミの似顔絵を渡した以来かな。」


「……そうかもな。」


エイゼはかすかに肩を揺らし、口元だけで笑う。


「お前は絵心があった。……だいぶ美化されていた記憶があるが。」


「事実を丁寧に描いただけ、ってことで、ね。」


「強弁だ。」


くす、と短い息が混ざる。エイゼはドアの方へ半歩寄り、白い一房の前髪に触れてから、もう一度だけ髪飾りを確かめた。


「大事にする。……ありがとう、アビス。」


アビスは首を振る。


「こちらこそ。……僕を受け入れてくれて、ありがとう。」


エイゼは返事を言わず、代わりに机の灯を指先で少しだけ絞った。花の白が夜に馴染む。扉を開けて出ていく背の横顔に、スズランが静かな音もなく揺れた。


扉が閉じる。残ったのは、灯りのぬくもりと、包み紙のかすかな手触り。アビスは胸の奥で息を整える。


(願いは言葉になった。あとは、守り続けるだけ。)


廊下の先、足音が遠ざかる。白い花は、茶の髪と白い前髪のあいだでそっと光り、明日の出発と帰還のしるしになるはずだった。

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