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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第一部 第2章 灯の寮
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太陽の瞳

 白い唄が細くほどけ、広場に静けさが戻った。巫女が祭壇の脇に膝をつき、天蓋の垂れをひとすじ持ち上げる。


「これで祈りは終いです。“繭の子”よ、ありがとうございました。」


ハクヤはそっと身を起こし、肩に掛けた白布を外して巫女へ返す。布は陽を含んでまだぬくく、指先に柔らかくまとわりついた。壇を降りると、輪の向こうでレイラが大きく手を振る。ザハークはいつもの調子でうなずいただけだが、その目は「無事」を確認してほどけている。


「おつかれ、太陽の瞳さん。」


 レイラが茶目っ気を隠さず囁き、紙包みを胸元に押し隠したまま、鼻歌の調子で続ける。


「終わったら皆で桑茶、飲もうね。」


 長老が進み出て、白布の細い端切れをひと巻き差し出した。桑の葉を朱で押した、小さな印が一つ。


「通し布じゃ。村の者に見せれば、静かに買い物ができる。……それと。」


長老は顔を近づけ、声を落とす。


「瞳は隠しておきなさい。ヴィルダンから来る白の買い付けには、冥土の目が混じる。珍しい色は話の種になる。話は、風に乗って余計な耳まで届く。」


ハクヤは布の端を指で弾き、小さく会釈した。


「忠告、感謝します。」


「礼はいらん。春が無事なら、それでいい。」


 通りの端で太鼓が二つ、軽く鳴った。祈りの後の「繭起こし歌」が始まる合図だ。小さな子らが白い房を手に笑って走り抜け、その一人がハクヤの足元で立ち止まり、じっと見上げた。琥珀色に気づいたのか、ただ背の高さに驚いただけか、わからない。ハクヤは布の端を押さえ、目だけで柔らかく笑い返した。


帰り際、布屋の女主人が広場の方を顎で示した。


「南門の巡回が明日から増えるそうだよ。ヴィルダンの外壁で、新しい見張り台が立ったって話。街へ向かうなら、水車小屋のほうの川沿いを抜けなさい。」


ザハークが短く礼を言い、店を離れてから小声で告げた。

「……匂いの流れが変わってる。油と鉄が濃い。話は本当だ。」


「なら、南門は避けよう。」


ハクヤは通し布を腰袋にしまい、地図の頭の中の線を一本書き換える。


「水車小屋から土手を伝って、フロウエルへ折れる。見張り塔は遠目に観察、接触はしない。」


レイラが胸当ての内側をそっと押さえた。白いスズランはまだ秘密だ。アビスがエイゼに渡すその瞬間を想像すると、胸の奥がかすかに弾む。


夕方、村は食事の支度で香りを変えた。湯のたつ音と、炒った麦の匂い。三人は長老に浅く礼をし、白の参道を風下へ抜ける。帯のような白布が、背を押すように一度だけ揺れた。


村を離れると、風は少し冷たくなる。川面に沿って獣道がのび、葦の影に小さな鳥が跳ねた。ザハークが先、ハクヤが中、レイラが後ろ。足音を散らし、言葉を少なく、しかし歩調は軽い。


「……ハクヤくん。」


 レイラが前を見たまま言う。


「繭の子、似合ってたよ。」


「……寝そうだったけどな。」


ザハークが淡々と刺す。


「まあ少し……寝た、かも。」


 ハクヤは観念したように笑った。


「でも、いい匂いの中で、いい唄だった。」


土手道がいったん高くなり、遠くにヴィルダンの外壁が筋のように見えた。夕光に縁取られて、上に新しい影――見張り台が一つ、確かに増えている。


「明日の昼、壁の外側の流れを観る。人の出入り、荷車の種類、腕章の色。夜はフロウエルで短く寄る。」


ハクヤが息を整え、段取りを重ねる。


「腕章は白と鉛が多い。赤が混じったら、近寄るな。」


ザハークが補う。


「了解。……帰ったら、桑茶、淹れてあげるね。」


レイラが明るく締めた。


小さな丘の陰に焚き火を隠し、三人は短い野営に入った。火は低く、湯は薄く。言葉は必要な分だけ。夜風が葦を撫で、遠くで犬が一度吠える。


(いま、白布の下で目を閉じたときの感触が、まだ残っている。)


ハクヤは横向きに寝息を整え、布の端からのぞく通し布にそっと指を触れた。母の白と、村の白が、重なる気がした。


灯の寮では、蓄電池のランプが静かに緑を灯しているはずだ。戻る灯りがある。だから遠くへ行ける。

薄い星が増え始める。明日の風向きが、葦を通して耳に届いた。


――夜が、ほどけていく。

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