太陽の瞳
白い唄が細くほどけ、広場に静けさが戻った。巫女が祭壇の脇に膝をつき、天蓋の垂れをひとすじ持ち上げる。
「これで祈りは終いです。“繭の子”よ、ありがとうございました。」
ハクヤはそっと身を起こし、肩に掛けた白布を外して巫女へ返す。布は陽を含んでまだぬくく、指先に柔らかくまとわりついた。壇を降りると、輪の向こうでレイラが大きく手を振る。ザハークはいつもの調子でうなずいただけだが、その目は「無事」を確認してほどけている。
「おつかれ、太陽の瞳さん。」
レイラが茶目っ気を隠さず囁き、紙包みを胸元に押し隠したまま、鼻歌の調子で続ける。
「終わったら皆で桑茶、飲もうね。」
長老が進み出て、白布の細い端切れをひと巻き差し出した。桑の葉を朱で押した、小さな印が一つ。
「通し布じゃ。村の者に見せれば、静かに買い物ができる。……それと。」
長老は顔を近づけ、声を落とす。
「瞳は隠しておきなさい。ヴィルダンから来る白の買い付けには、冥土の目が混じる。珍しい色は話の種になる。話は、風に乗って余計な耳まで届く。」
ハクヤは布の端を指で弾き、小さく会釈した。
「忠告、感謝します。」
「礼はいらん。春が無事なら、それでいい。」
通りの端で太鼓が二つ、軽く鳴った。祈りの後の「繭起こし歌」が始まる合図だ。小さな子らが白い房を手に笑って走り抜け、その一人がハクヤの足元で立ち止まり、じっと見上げた。琥珀色に気づいたのか、ただ背の高さに驚いただけか、わからない。ハクヤは布の端を押さえ、目だけで柔らかく笑い返した。
帰り際、布屋の女主人が広場の方を顎で示した。
「南門の巡回が明日から増えるそうだよ。ヴィルダンの外壁で、新しい見張り台が立ったって話。街へ向かうなら、水車小屋のほうの川沿いを抜けなさい。」
ザハークが短く礼を言い、店を離れてから小声で告げた。
「……匂いの流れが変わってる。油と鉄が濃い。話は本当だ。」
「なら、南門は避けよう。」
ハクヤは通し布を腰袋にしまい、地図の頭の中の線を一本書き換える。
「水車小屋から土手を伝って、フロウエルへ折れる。見張り塔は遠目に観察、接触はしない。」
レイラが胸当ての内側をそっと押さえた。白いスズランはまだ秘密だ。アビスがエイゼに渡すその瞬間を想像すると、胸の奥がかすかに弾む。
夕方、村は食事の支度で香りを変えた。湯のたつ音と、炒った麦の匂い。三人は長老に浅く礼をし、白の参道を風下へ抜ける。帯のような白布が、背を押すように一度だけ揺れた。
村を離れると、風は少し冷たくなる。川面に沿って獣道がのび、葦の影に小さな鳥が跳ねた。ザハークが先、ハクヤが中、レイラが後ろ。足音を散らし、言葉を少なく、しかし歩調は軽い。
「……ハクヤくん。」
レイラが前を見たまま言う。
「繭の子、似合ってたよ。」
「……寝そうだったけどな。」
ザハークが淡々と刺す。
「まあ少し……寝た、かも。」
ハクヤは観念したように笑った。
「でも、いい匂いの中で、いい唄だった。」
土手道がいったん高くなり、遠くにヴィルダンの外壁が筋のように見えた。夕光に縁取られて、上に新しい影――見張り台が一つ、確かに増えている。
「明日の昼、壁の外側の流れを観る。人の出入り、荷車の種類、腕章の色。夜はフロウエルで短く寄る。」
ハクヤが息を整え、段取りを重ねる。
「腕章は白と鉛が多い。赤が混じったら、近寄るな。」
ザハークが補う。
「了解。……帰ったら、桑茶、淹れてあげるね。」
レイラが明るく締めた。
小さな丘の陰に焚き火を隠し、三人は短い野営に入った。火は低く、湯は薄く。言葉は必要な分だけ。夜風が葦を撫で、遠くで犬が一度吠える。
(いま、白布の下で目を閉じたときの感触が、まだ残っている。)
ハクヤは横向きに寝息を整え、布の端からのぞく通し布にそっと指を触れた。母の白と、村の白が、重なる気がした。
灯の寮では、蓄電池のランプが静かに緑を灯しているはずだ。戻る灯りがある。だから遠くへ行ける。
薄い星が増え始める。明日の風向きが、葦を通して耳に届いた。
――夜が、ほどけていく。




