灯下の地図
ハクヤ一行は、昼食の片づけを終えると、長テーブルに古い地図がぱたりと広がった。非常灯の白が紙の皺に細い影を落とし、端のマグからはまだ温い湯気が立っている。
「僕たちのいる拠点は……たぶん、このへんだよ。」
アビスが鉛筆の先で小さな丸を描いた。紙の右上――北東寄りだ。丸のすぐ脇に、もうひとつ控えめな点。
「ここが拠点近くの『ユラシノ村』。養蚕が名産の村。……それと、大体の物はここで調達できると思う。糸や布、油や塩、簡単な道具も。人が用心深いぶん、静かに取引できると思うんだ。」
地図の中心には太い黒字で『ゼルガルド』その首都には冥土本部。その北側、岩場の記号のそばに灰獣の里、道が交わるところに交易の中心地『ヴィルダン』。
「ヴィルダンの南端……『フロウエル』。」
とハクヤが指をすべらせて止めた。
「俺の生まれた村だ。」
抑えた声にわずかな震え。エイゼは短く頷く。
東の余白には東の国『ヒナモト』。西側は砂目の模様で砂漠の国『ザハラ』、さらに外縁に西の国『オルドナ』。
「国境線が薄いな。」
エイゼが眉間に寄せる。
「巡回ルートを読ませないために、わざと消してあるんだな……。」
南は濃い緑で塗られ、熱帯の国『ミティカ』の文字が浮く。
そして南西の角。色が擦れた紙の地肌に、かろうじて残る細い文字――『セファレル』。
レイラが身を乗り出す。
「この、セファレルって……?」
アビスは一拍置いてから、言葉を選ぶように答えた。
「たしか、希少な部族の地名だね。冥土とはほとんど関わりがないはずだよ。それに、滅多に人前に出ないし、出るときも顔や肌を布で隠す。……だから、情報はほとんど残ってない。」
「なるべく、情報量の少ない部族などに接触は組まない。そして、境界は越えない。」
エイゼが確認する。
「うん、必要になればユラシノみたいな村を仲介にするよ。」
アビスは『セファレル』の上を点線で囲み、端に情報極少、要敬意と小さく書き添えた。
ガルツが地図の中央を指でとんとん叩く。
「現実路線なら、補給はユラシノだな。足を伸ばすにしてもフロウエル経由が目立たねぇはずだ。」
「……前に立ち寄った、灰獣の里は気配が荒い。近づくなら風下から、だろうな。」
とザハーク。
「目的は交易路の把握。まずは観察からだ。」
エイゼの判断は早い。
「そして、動線はこうだ。」
エイゼが白板のメモをはがし、地図の端に貼る。
『一日目、拠点からユラシノ村。第一補給、静かな取引。午後にフロウエル偵察、夕方ヴィルダン外壁の取引路観察。
二日目、追加の物資調達。布・塩・油・乾燥食・針金。医薬品情報収集。ユラシノで絹糸・布の確保。
三日目、帰路で見張り塔のパターン採取、外周に隠し貯蔵の設置を考案。』
「行くのは三人。ハクヤ、ザハーク、レイラ。
アビスと私は拠点で電力の維持と見張りを続ける。」
「俺は機械室の冷却をいじっとくぞ。過負荷で飛ぶと面倒だからなぁ。」
ガルツが肩をすくめる。
「特にボウズ二人、無茶すんなよ。」
ハクヤは『フロウエル』の文字をそっと親指で撫でた。
「……エイゼ。」
「わかってる。」
エイゼが穏やかに返す。
「滞在は短く、人目を避け、なるべく名前じゃなく合図でやりとりをしろ。そして、戻る場所はこの拠点だ。」
「ああ、わかってる。」
ハクヤは出発点の丸を二重にした。アビスはユラシノから拠点へ戻る裏道に細い点線を足す。
「……アビスくん、材料、見かけたら拾ってくるね。」
レイラが手帳に書き足す。
「白い布、細い針金、透明のビーズ――スズランの髪飾り用。ユラシノで絹糸が手に入れば最高かも。」
地図をたたむと、廊下に夜の風が入ってくる。人工芝を撫で、手押しポンプの金具が遠くでかすかに鳴った。
「……よし、出るか!」
張り切って立ち上がったハクヤが、剣帯を確かめながら戸口へ向かう。
「待て、ハクヤ。」
エイゼが呼び止めた。倉庫のカゴから古布を一枚取り出す。
「これを目深に被れ。絶対に顔を見せるな。北の街は信者が多い。」
「……了解。」
ハクヤは布端をつまみ、頭からすっぽり被る。額から鼻筋にかかるように落ちた布が視界を狭める。
エイゼは近づき、うなじに二回ノックしてから布に触れた。
「前を少し上げる。……視界を確保。頬は影に入れろ。ここは折り返して、風で捲れないように。」
指先が器用に布の端を織り込み、頬骨のラインに沿って留め結びをつくる。喉元の余りは胸の革紐に軽く通し、走っても外れないようにした。
「どうだ?」
「……まあ、息はしやすい。見た目は?」
「どこから見ても旅の影だ。――さぁ、行ってこい。」
エイゼが布の端を軽く整える。ハクヤは小さく頷き、布の内側で口元だけ笑った。
出発の気配が、静かに寮の空気を引き締める。
戻る灯りはここにある。だから、一歩は遠くへ。
出発は、いつも静かに始まる。




