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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第一部 第2章 灯の寮
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エンジンの唸り

 二階の隅の部屋は、黄昏の色をそのまま飲み込んでいた。割れた窓から風が入り、ほつれたカーテンが音もなく揺れる。非常灯の白が壁に細い三角を落とし、その刃先が床の木目をなぞっている。


ザハークは椅子に腰を下ろし、掌の上の小さな毛皮の切れ端を見つめていた。縁の血は乾いて硬く、指の腹にざらりと引っかかる。鼻先を掠める、遠い日のクウガの匂い。


「……全部、俺のせいだ。」


耳は伏せ、尻尾は床に沈んだまま動かない。喉の奥でガルル……と低い音が回り続ける。怒りとも悔しさともつかない、止めどころのわからないエンジンの唸りだ。


――コン、コン。


味方の合図。ザハークは返事をせず、短く鼻を鳴らした。


「入るぞ。」


ドアが軋み、ガルツが工具袋を肩に引っかけて顔を出す。額に油の筋が一本走っている。


「さっき下で低い唸りがしてな。インバータが噛んだのかと思って――。」


言いかけて、ガルツの視線がザハークの掌で止まった。毛皮。その小ささ。その硬さ。察しは一拍で終わる。


「……そうか。」


余計な言葉は飲み込まれた。ガルツは工具袋を床に置き、壁にもたれて立つ。静けさが、部屋の形をもう一度確かめた。


「なぁ、ザハーク。」


ガルツは声を落とす。


「エンジンってのは、回さなきゃ固まる。でも、回しすぎりゃ焼き付く。要るのは冷却と油だ。……お前の中のそれも、同じだ。」


「……ほっとけ。」


「ほっといたら、お前さんが壊れちまうぞ。」


 ガルツは膝を折り、視線の高さを合わせる。ポケットを探って、薄い革を取り出した。手袋を解いたような、掌大の皮の切れだ。裁ちばさみ、蝋を引いた糸、針――道具が膝の上で小さく鳴る。


「お前さん、それ、貸せ。」


ザハークは牙の裏で躊躇を噛み、やがて掌を差し出す。ガルツは毛皮の端をつまんだ。ぶっきらぼうに見えて、指先は驚くほどやさしい。


「飾りじゃねぇ。作るのは護りだ。」


ガルツは革を二つ折りにし、縁をサドルステッチで素早く縫い上げていく。口は残し、底は丁寧に二度返し。端を指で揉んで柔らかくならすと、端革から細い革紐を裂いて通し口を作った。小さな巾着が手の中に生まれる。


清潔な布切れで毛皮をやさしく包み、ほつれが出ないよう角を内へ折り込む。包みを巾着の中へ滑らせ、口紐をきゅっと引く。さらに紐端に輪を作り、胸の革紐や剣の柄の根元に結べるよう、結び目を固く整えた。


「これで揺れても落ちねぇ。汗も泥も中で守れる。」


 ガルツは小袋を手のひらで転がし、口紐の滑りを確かめる。


「置き場所がないから、音が暴れる。置く場所を作れば、少しは静かに回るっつーことだ。」


差し出された皮の小袋を、ザハークは両手で受け取った。胸の奥の唸りが止んだわけじゃない。けれど、音の居場所がひとつ決まった気がした。


「……俺のせいだ。俺が鈍かった。読めなかった。……あいつは、俺を庇って……。」


「冥土が撃った。まずそこを忘れるな。」


 ガルツの声が、わずかに荒くなる。


「責任を全部自分に載せるのは、あいつの選択を軽くすることだ。クウガってやつは戦士だったんだろ? なら、仲間を生かす選択を自分で選んだ。お前はその選択を運ぶ側に回れ。」


「……運ぶ?」


「そうだ。」


ガルツは顎で小袋を示す。


「これを括り付けて、毎回、敵のほうへ運べ。怒りは燃料にして回せ。ただし、焼き付くな。回しすぎたら一度止まって冷やせ。……冷やす時は、俺んとこに来い。エンジンも心も、冷却は任せろってことだ。」


ザハークは、息の抜けるような短い笑いをこぼした。小袋の紐を自分の胸の革紐に通し、拳でそっと押さえる。伏せていた耳が、わずかに起きる。尻尾が床から指一本ぶんだけ浮いた。


「……借りるぞ。」


「預けるだ。」


ガルツが言い直す。


「お前に預ける。返せとは言わねぇ。いつか名前の板ができたら、その時は一緒に刻もうぜ。この寮は、そういう場所にすんだ。」


 ザハークは小袋の重みを確かめ、ゆっくり頷く。金色の瞳に、怒りの赤だけでなく、薄い決意の色が混じった。


「……あいつを、置いていかない。」


「置いていかなくていい。括り付けたまま進め。」


 ガルツは立ち上がり、工具袋の取っ手を握る。出ていく前に、ふり向きざまにひとこと。


「さっきの唸り。機械室じゃなくて、ここだったな。――いい音だぁ。回し方を覚えりゃ、もっと遠くまで行けるぞ。」


ドアが閉じる。静けさが戻る。建物のどこかで、低い電気の唸りが床板を伝っている。ザハークは胸の小袋をもう一度握り、目を閉じた。


ガルル。

さっきより、音は少しだけ行き先のある回転に近かった。

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