良い物は良い
昼前、配電盤の緑ランプが安定してから灯の寮は一気に表情を変えた。
廊下の非常灯は薄緑から白へ、食堂の照明は低出力でふわりと点り、機械室のインバータは規則正しい呼吸を続ける。倉庫で眠っていた家電に順番に通電していくと、短い起動音があちこちから重なった。
「……尽く、冥土製の電化製品だな。」
ハクヤが食堂カウンターに並んだケトル、温風機、古い冷蔵庫のロゴを睨みながら鼻を鳴らす。
「と言いつつも、良い物は良い。だだアイツらの“人間の扱い方”が気に入らないだけだ。」
「要するに――冥土の上層部がイカれてる。」
エイゼは壁の分電表にマーカーで『昼:洗濯機 OK(15分)夜:医療+警報 優先』と追記しながら言い切った。
「冥土は神話すらも“作り物”なのにな。」
「神話?」
レイラが首を傾げると、アビスが倉庫から持って来た薄汚れた冊子を掲げた。表紙には銀の箔押しで《冥土聖書 初等科版》とある。
「これ。新人兵や孤児院に回ってた“信仰教材”。合唱用の祈り、倫理規範、そして――“合成獣“の章。」
アビスはページをぱらりと開き、絵本めいた挿絵を指で押さえる。王冠のような角を戴く影が、空と海と大地を支配する図。
「全知全能の神として描かれてる。でも――。」
「存在しない。」
エイゼが静かに継ぐ。
「“合成獣”は神話の皮を被せた技術幻想だ。だが――今の冥土の技術『生物兵器』で“生まれる可能性”は、ある。」
ハクヤが眉をひそめる。
「……つまり、お前らエイゼやアビスを作った技術も、そのための鍵ってわけか?」
一瞬、場が静まる。アビスは無意識に喉の痕へ手をやり、エイゼは短く頷いた。
「そうだ。私たちが持つ構造、制御因子、そして抑制を外す設計思想――その全てが、冥土にとっては“合成獣”の設計図の断片だ。もし断片が全部揃えば、神話を現実に変えることも不可能じゃないだろう。」
アビスが低く付け加える。
「だから僕たちは……鍵穴を埋めるためじゃなく、壊すために生きてる。」
言葉が落ち、食堂の空気がわずかに重くなる。
ガルツが顎髭をさすり、
「やれやれ、神話まで工作品か。」
と吐き捨てる。
ザハークは鼻先をわずかに動かし、
「……ページの匂いが新しい。最近刷られた版もあるはずだ。」
と低く付け加えた。
「具体的に、どんな形?」
レイラが医療記録ノートを抱えたまま問う。
アビスは息をひとつ吐き、視線を落とす。
「遺伝子の段階で複数系統を縫い合わせて、抑制因子を外し、暴走を美徳として設計する。反応速度を上げるために痛覚を切り捨て、学習期間を短縮するために記憶の上書きを常態化する……。」
アビスは喉元の薄い痕を撫でた。
「神に近づけるって宣伝するけど、実際は人を遠ざける手順だよ」
「そして、暴れるだけの器は神ではなく、ただの兵器だ。」
エイゼの声は冷ややかで、しかしどこか哀しみを含んでいた。
「上層はそれを神話の成就と呼ぶだろう。だが、成就という言葉に倫理は含まれない。」
「……だったら、俺たちは逆をやる。」
ハクヤが壁の当番表にペンで線を足し、視線を皆へ。
「人に近づける運用だけ残す。機械も、道具も、知識も。全部人のため以外には使わない」
「賛成!」
レイラが即答し、白板に新しい列を作る。
〈灯の寮・禁忌〉
一、他人の体と心を勝手に作り替えない。記憶を塗りつぶさない。
二、痛みを奪って兵器を作らない。感情を壊して速さを選ばない。
三、子どもを戦わせない。子どもを試さない。連れていかない。
四、神話の名で命じない。名ばかりの権威を信じない。
「良い規約だ。」
エイゼが頷くと、ガルツがニヤリと笑った。
「お前さんら、紙切れに魂を入れるのがやけに上手ぇ。……で、当面の現実的課題は“この冥土製の鉄くず”の牙抜きだな。」
「……牙は、もう抜いてある。」
ザハークが無言でしゃがみ込み、冷蔵庫の背面のネジをコインで外す。金属板が外れて、内側の基板が露わになった。
「……通信モジュール、撤去。」
小さな金属片をコトリとカウンターに置く。
「……シリアルのラインも切断。端子は絶縁。」
細い配線が抜かれ、ビニールテープで丁寧に封じられているのが誰の目にもわかる。
ザハークは指先の油を布で拭い、短く言い足した。
「……外への“声”は出さない。拾わない。位置も喋らない。これで、勝手に喋る冷蔵庫にはならない」
「助かる。」
エイゼは器具のチェックリストに×印を入れ、次の列へ視線を滑らせた。
「午後、洗濯機を一回だけ回す。回す前に排水経路を確認。井戸は手押しポンプで問題なし、蛇口も直結。飲用は煮沸を徹底――。」
「ケトル、もう湧くぞ。」
ハクヤが冥土製の電気ケトルのスイッチを指で示す。緑のランプが点き、まもなく軽い沸騰音が立ち上がった。
「俺はコーヒーのブラックは無理だからな。……レイラ、薄めてくれ。」
「了解、ハクヤくん。牛乳も少し温めるね。」
レイラが笑い、マグを並べる。
アビスは棚の最奥から小さな金属缶を引っ張り出した。
「冥土印の保存茶葉、開封。……ね、こういうとこだけは本当に品質がいいんだ。」
「繰り返すが、物は良い。人の扱いが最悪だ。」
ハクヤが肩を竦める。
「だから物だけ剥ぎ取って、扱いの方は全部ひっくり返す。それが俺たちのやることだ。」
ひとしきり段取りが終わると、食堂のテーブルに温い湯気が並んだ。
エイゼは《冥土聖書》をテーブル中央に置き、ページの角を折って閉じる。
「これは保管する。敵の思考を読むために。」
彼女は短く言ってから、低く続ける。
「“合成獣”は神ではない。だが、誰かがそれを“作ろうとする”未来は現実だ。私たちは、その前に立つ。」
「もし、どこかで“合成獣”計画の実体を見つけたら、どうする?」
アビスが問う。
エイゼは皆を見回し、ひと呼吸置いて答えた。
「止める。破壊する。――そして、連れて帰れる者は連れて帰る。番号ではなく、名前で。」
静かな合意がテーブルを一周する。
ザハークが窓の外へ目をやり、
「……風向き良し。発電効率、午後は上がる。」
と呟いた。
ガルツは工具袋を担ぎ、
「機械室の冷却を改善しとく。過負荷で飛ぶと面倒だからなぁ。」
と立ち上がる。
レイラは白板に『午後:医療室 UV滅菌器 試運転』と書き足した。
ペンのキャップがはまる小さな音が、ここで生きるための規律がひとつ増えたことを告げた。




