灯の寮
瓦礫と硝煙の匂いが、ようやく風に薄まっていく夕暮れだった。
ハクヤ一行は、荒れた街路の突き当たりに残る四階建ての建物の前で足を止める。白い外壁は煤に染まり、窓ガラスは蜘蛛の巣状に割れている。かつて冥土の新人兵が寝起きし、規律を叩き込まれた寮――いまは廃墟。だが屋根には鈍く光るソーラーパネルが並んでいた。
「……ここだよ。」
アビスが低く呟く。喉元には、いましがた解き放たれた首輪の痕が赤く残っている。
「場所だけは知ってた。僕は独房だったから、中はわからないけど……。」
「十分だ。」
エイゼが頷き、壊れた扉を押し開ける。蝶番が悲鳴のような音を上げた。
「ガルツ、ザハークは先行偵察。レイラ、医療バッグを。ハクヤ、外周の確認はお前と私だ。」
「了解。」
ガルツが鉄パイプを肩に担ぎ、ザハークは鼻先をわずかに震わせる。
「……古い罠の匂い。廊下の先に二つ、低い位置だ。子ども部隊向けの高さ……いやらしい。」
「冥土らしいな。」
ガルツが前へ出て、透明な糸を指ではじく。かすかな鈴の音――だが応答はない。
一階は広い食堂と厨房、掲示の残骸。壁の標語「奉仕の誓い」は半分焦げ落ちていた。
二階は同じ造りの部屋が並ぶ長い廊下。部屋にはベッドがあり個室になっている。
三階は教室と訓練室。床に白線が引かれ、壁には鏡。
四階は倉庫と機械室、屋上へ上がる鉄階段。屋上にはソーラーパネルと朽ちたアンテナ台。
地下には広い多目的室。稽古や訓練の他にも、礼拝を行ったりしていたのかもしれない。
「まずは目と耳を潰す。」
エイゼが言い、天井隅の黒い半球――防犯カメラを見上げる。
「ガルツ、ザハーク、破壊。ハクヤ、外のアンテナ基台にGPSビーコンがある。片っ端から抜け。レイラ、アビスの傷を診ろ。」
「了解だよ。」
レイラが消毒液を当てると、アビスは小さく息を呑んで笑った。
「……自由って、こういう感じなんだね。世界がちゃんと聴こえる。」
「生きる手順を覚えろ。」
エイゼは分電盤の蓋を開け、配線を目で追う。
「供給は死んでいる。だが系統は生きてる。屋上に行くぞ。」
屋上に出ると、風が熱を攫っていった。パネルは砂にまみれているが、架台はしっかりしている。
「清掃で効率が戻る。コネクタを外す。」
エイゼの指示に、アビスがラッチを押し込み、ハクヤがケーブルを受けて束ねた。
「インバータは四階機械室。蓄電池は……多分リチウムだな。」
ハクヤが覗き込み、眉を上げる。
「動くか?」
「動かす。今日は無理でも、明日までには点くだろう。」
エイゼは風に髪を払った。
「水は?」
「中庭の井戸、生きてたよ!」
レイラが顔を出す。頬が上気している。
「手押しで汲めるよ。金気は薄いし、煮沸すれば十分!それに食堂や洗面所の蛇口も全部、井戸水!」
「よし。電と水、住むための骨が揃う。上出来だ。」
ガルツが機械室の蓋を外し、古びたインバータを覗き込む。
「まだやれる面だ。コンデンサは気になるが、今は贅沢言えねぇ。」
夕刻。
まだ電気は使えないので、ランタンで照らしながら、アルコールランプを使い、夕食を作るのであった。鍋でスープが煮える。乾燥野菜と豆の缶詰、砕いたパスタ。
ハクヤはお玉で鍋を回し、鼻をくすぐる香りに腹を鳴らした。
「腹減った……。」
「同感だね、ハクヤくん。」
アビスが穏やかに笑う。
「音がいいね。生きてる音だ。」
エイゼが長椅子に腰を下ろし、アビスの喉を改めて見る。
「アビス、首はまだ痛むか?」
「もう大丈夫。キミが解放してくれたから。」
「やはり治りが早いな。私たちは遺伝子のおかげで、浅い傷はすぐに治るからな。」
「たしかにね。でもこれはキミの愛のおかげだよ。」
「そんなバカな……でも、あなたが生きててよかった。」
「エイゼ……。」
ザハークは窓に耳を寄せ、鼻をクンクンと嗅ぎながら、
「……風が変わる。東から湿り。夜半は雨。」
と呟いた。
「明朝に屋上の点検追加すっぞ。滑るからなぁ。」
ガルツが工具袋を閉じる。
食後は清掃。
二階の部屋は、埃を払い、ガラス片を集め、錆びたベッドフレームを磨く。
寝具は倉庫の布団や毛布を日干しし、汚れが酷いものは廃棄。今夜は寝袋と毛布で凌ぐ手筈になった。
レイラは医療室を立ち上げ、包帯と止血材、鎮痛剤を分類する。
ザハークは入口に落とし戸の罠を仕込み、
「……来訪時に三十秒稼げる。」
とだけ言った。
アビスは厨房の煙の流れを読み、簡易の薪台を組んで煤の滞留を減らす工夫を重ねる。
ハクヤは壁一面に地図を貼り、冥土の拠点、井戸、見張りに適した屋根角度、避難経路を書き込む。
エイゼは電力の優先順位と計画停電の時間割を白板に整然と記した。
〈電力優先順位〉
一位:医療関係(緊急)
二位:警報・非常灯(夜間)
三位:洗濯機(昼の蓄電時に短時間)
四位:食堂照明(夜間一部)
「エイゼ、僕の部屋の灯りは最後でいいよ。みんなに使って。」
まだ仲間になったばかりのアビスがまだ気を使っているようだ。
「順番の話ではない。お前は休め。精神の回復も任務だ。」
「……うん。ちゃんと寝る。」
エイゼは腕を組みながらも、ほんの少しアビスに向かって微笑んでいた。
「それとな、ちゃんと食えよ。」
ハクヤが横から睨む。
「つまみ食いばっかりで腹に入ってねぇ。」
「ばれてた?」
「ばれてる。」
「あっははぁ。」
深夜。
見張り番は三交代。最初はザハークとガルツ、次にハクヤとエイゼ、最後にアビスとレイラ。
廊下は静かで、割れた窓から月が四角く床を切り取っている。
「なぁ。」
「なんだ、ハクヤ。」
「……今日は、ありがとな。」
ハクヤは窓の外を見たまま言う。
「迷いなく、アビスの首輪を壊した。」
「当然だ。」
「……だな。」
短い沈黙ののち、彼は続けた。
「まだ完全には信用できねぇ。けど、鍋の音で笑ってた顔を見たら、受け入れてもいいかと思った。」
「許しではなく、選択だ。群れに入れるという選択を、私たちが続けること。」
「……覚えとく。」
エイゼは立ち上がり、ハクヤの頭に手を置く。
「上出来だ。」
やがて雨音。屋根を叩く細かなリズムが寮全体に広がった。
「交代の時間だよ。エイゼ、ハクヤくん。」
アビスが欠伸を噛み殺し、レイラと並んで現れる。
「窓の施錠を再確認した方がいいかもしれない。湿気で緩む。」
「うん、了解。」
アビスが金具を一つひとつ確かめて歩く。その横顔の痕はまだ消えないが、目は確かに自由だった。
翌朝。
雨上がりの屋上は金属の匂いが濃い。
ハクヤとアビスがパネルを拭き、エイゼが接続を点検。
ザハークは外周を回り、
「……昨夜の訪問者なし。」
と報告。
ガルツは機械室でインバータの配線を締め直す。
「試験通電を行う。異音・異臭で即切り。レイラ、消火準備」
エイゼが主幹を上げる。
「できてるよ〜。」
カチリ。
奥で低い唸り。
インバータの表示が赤から橙、そして弱い緑へ。
廊下の非常灯が一つ、ふわりと灯った。
「やった……!」
レイラが目を丸くする。
「第一段階完了。」
エイゼが短く告げる。
「日中の蓄電で、今夜は一部照明が使える。洗濯機も短時間なら回せるはずだ。」
「よっしゃ!」
ハクヤが拳を握り、アビスは灯りを見上げて目を細めた。
「灯りって、あったかいんだね。」
昼は、拠点の“色”を決める時間になった。
レイラは医療室に簡易の記録台を置き、誰でも傷や不調を書けるノートを用意する。
ザハークは屋上の死角に監視位置を二つ増設し、双眼鏡の視界を交互に重ねて死角を潰す。
ガルツは折れた警棒を削って棍棒を作り、古い盾に革を張って補強した。
「お前さんらにも、一本ずつ作ってやるからな。」
アビスは厨房の棚を組み替え、食材と医療品を混在させない動線を引き直す。
ハクヤは玄関に当番表を貼り、見張り・調理・清掃・外周確認のローテーションを決めた。
エイゼは白板に任務と目的を二列に分けて書く。
任務:生存の安定、情報収集、戦力整備
目的:冥土の中枢への道を拓くこと
「……ねぇ皆、この拠点に名前をつけようか。」
レイラが白板の端にマジックを走らせる。
『仮称:灯の寮』
「初めての灯りが点いたからさ。どうかな?」
「悪くないな。」
ハクヤがぼそり。
アビスが嬉しそうに頷き、エイゼは
「ああ、採用だ。」
と短く決めた。
「旗とかも欲しいところだなぁ。」
ガルツが笑う。
「……表は灯、裏は影色。夜に目立ちすぎないように……。」
ザハークが実務的な一言を添える。
日が暮れると、小さな点灯式が行われた。
ランタンの火を一つ落とし、非常灯だけにする。薄闇に、顔の輪郭が柔らかく浮かぶ。
エイゼが前に出て、短く言った。
「――ここは一時の止まり木ではない。戻る場所だ。各員、誓え。明日も戻ると。」
最初に、レイラ。
「ボクは治す。体も、心も。必ず。」
ザハーク。
「見張る。気配を聴く。必ず。」
ガルツ。
「叩くべき時に叩く。守るべき時に守る。必ず。」
アビス。
「生きる。『僕』として。仲間として。必ず。」
そして、ハクヤ。
「……俺は守る。ここを。お前らを。必ず。」
エイゼは皆を見回し、最後に小さく頷いた。
「群れは誓いで立つ。――解散。明日は早い。」
その夜、ハクヤ一行は各々の自室のベッドで目を閉じた。
屋根の上で、雨の名残が風に乾いていく。
機械室では、蓄電のランプが淡く呼吸している。
“灯の寮”は、廃墟ではなく“拠点”として、静かに最初の夜を越えた。
――ここから始まる。
取り返すべきものは多い。
だが、戻る灯りがある限り、彼らは進める。




