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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第一部 旅立ちと決意 第1章 冥土を背に
12/54

運命の再会

 焚き火の炎が揺れ、森の静寂にパチパチと薪が燃える音だけが響く。

夜の冷気が辺りを包み込む中、エイゼは焚き火の向こうでじっと座っていた。

琥珀色の瞳は揺れる炎を映しながらも、どこか遠くを見つめているようだった。


その傍らには、ハクヤ、ガルツ、レイラ、ザハークがそれぞれの場所に腰を下ろしていた。

誰もが無言だった。

──今日の戦いの疲労が残っているのもある。

だが、それ以上に、エイゼが語った「真実」が皆の心に重くのしかかっていた。


「お前が……俺の、母親……か。」


焚き火の灯りに照らされるエイゼの横顔を見つめながら、ハクヤは低く呟いた。

エイゼは静かに目を開き、淡々と答える。


「そうだ。」


それは、あまりにも現実離れした話だった。

自分が生まれた経緯。

そして、それでもなお、赤子だった自分を守ろうとしたエイゼの決断。

ハクヤは拳を握りしめた。

彼女がどれほどの苦しみを背負ってきたのか──その片鱗を知っただけで、胸が痛む。


「……ハクヤ。」


不意に、エイゼが名を呼んだ。

その声はいつもの冷たさが薄れ、どこか優しさが滲んでいた。


「……お前が生きていた。それだけで、私は……。」


一瞬、エイゼの目に一筋の光が揺らめく。

それが涙なのか、焚き火の灯りがそう見せたのか──ハクヤには分からなかった。

ハクヤは、そんな彼女を見つめたまま、迷うように手を伸ばした。


だが、その手を引っ込める。

──何をしていいのか、分からない。

これまで「母親」という存在を知らずに生きてきた。

突然、自分を生んだという女性が現れて、これまでの人生がひっくり返るような衝撃を受けた。

それなのに、心の奥底では、ずっと感じていた。


(……俺はずっと、お前を探していたのかもしれない。)


その答えに触れるのが怖くて、ハクヤはまた手を握りしめる。

だが──

エイゼがゆっくりと手を伸ばし、ハクヤの頭にそっと触れた。

母親としての自覚など持たぬ彼女が、それでも、ただ一つの真実を証明するように。


「……お前は、私の子だ。守るのは当然だ。」


その言葉に、ハクヤの胸が締め付けられる。

迷いが消え、彼はそっとエイゼの腕に触れた。


「……馬鹿だな、お前。」


震える声で、そう呟いた。


「こんなにボロボロになってまで、俺を……守ろうとして……。」


エイゼは、少し驚いたような顔をしたが、何も言わず、ハクヤの背にそっと手を添えた。

まるで、互いの存在を確かめるように。


「……家族、みたいなものじゃない?」


不意にレイラが呟いた。

ガルツが鼻を鳴らし、肩をすくめる。


「今さら何言ってんだ、ボウズ。もうとっくにそうだろ。なぁ。」


ザハークは夜空を仰ぎながら低く笑う。


「なら、家族のためにやることは一つだな。」


ハクヤはゆっくりと立ち上がる。


「冥土を……必ず潰す。」


その言葉に、誰も異論はなかった。

エイゼもまた、焚き火を見つめながら小さく頷く。

彼女が初めて心の底から守りたいと思えた“家族”が、今ここにいた。


夜が明け、ハクヤたちは森を抜け、霧に包まれた廃墟へと足を踏み入れた。

崩れた石壁、割れた窓、長年の放置によって荒れ果てた建物──ここはかつて、「冥土」の研究施設の一部だったらしい。

――ここには、冥土の闇が眠っている。


「……本当にここに何かがあるのかぁ?」


ガルツが壁に手を当てながら言う。


「わからない。でも、俺たちはこれまで冥土の影を追ってきた。今更怖気づくわけにはいかない。」


ハクヤは鋭い眼差しで廃墟を見つめる。

レイラがそっと頷く。


「ここには……冥土の実験に関する記録が残されているかもしれないね。」


「……それが俺たちにとってどれほどの意味を持つか……。」


ザハークが低く呟いた。

そして、彼らは廃墟の奥へと進んでいった。

長く続く廊下の奥、埃をかぶった机の上に、一冊の古びた記録が置かれていた。

ハクヤがそれを手に取り、表紙を確認する。


「これは、冥土の研究記録……?」


ページを開くと、そこには詳細な実験内容と、幾つもの名前が記されていた。


「検体ナンバー001、ルシウス(死亡)

検体ナンバー002、ミィカ(死亡)

検体ナンバー003、アビス

検体ナンバー004、ヴェール(死亡)

検体ナンバー005、イチタカ(死亡)」


次々と続く名前の中に、見覚えのあるものがあった。


「検体ナンバー006、エイゼ」


ハクヤの手が震える。

次の瞬間、仲間たちがその名を見て言葉を失った。


「エイゼが……ここで実験されていた……?」


レイラが唇を噛みしめる。

ガルツが無言のまま拳を握る。


そして――


「検体ナンバー007、名前無し、エイゼの子供」


その言葉を目にした瞬間、ハクヤの心臓が大きく跳ねた。

――自分もまた、冥土の実験体だった。


「俺が……冥土で生まれた?」


ハクヤの声は震えていた。


「まさか……そんな……。」


レイラが息をのむ。


「お前も……奴らに作られたのか……?」


ガルツが悔しげに呟く。


ハクヤは頭を抱えた。

記憶にある幼少期――自分を育てた老夫婦、冥土の教え、そして剣を握るようになった日々。

だが、そのすべては――

『与えられた』ものだったのかもしれない。


「俺は……本当に、俺なのか……?」


自分が何者なのか、どこから来たのか。

今まで信じていたものが音を立てて崩れていく。


「ハクヤ……。」


レイラがそっと手を伸ばそうとするが、ハクヤはその手を取らず、ただ呆然と記録を見つめていた。

その時――


「お前は、お前だ。」


低く静かな声が、背後から響いた。

振り向くと、そこにいたのはエイゼだった。

エイゼは静かにハクヤを見つめていた。


「確かにお前は冥土によって生まれた存在かもしれない。だが、それが何だ?」


「お前の生きてきた時間は、本物だろう。」


ハクヤは目を見開く。


「……でも、俺は……。」


「お前はハクヤだ。」


エイゼは言葉を紡ぐ。


「私もかつては、自分が何者なのか分からなくなったことがある。実験体として生かされ、道具として扱われ……私の命には意味がないと思った。」


「だが……私は生きている。」


「お前も同じだ。」


「お前が誰に作られたかではない。」


「お前がどう生きるか、それが重要なんだ。」


その言葉に、ハクヤの心の奥底で何かが揺れた。

自分が何者かを決めるのは、過去ではない。

未来をどう歩むか、それがすべてなのだと。

ハクヤは拳を握り、ゆっくりと顔を上げた。


「……ありがとう、エイゼ。」


「礼はいらない。」


エイゼはそっけなく答えたが、その声にはどこか温かみがあった。


「さて、お前らぁ。」


ガルツが不意に口を開いた。


「どうやら冥土の研究資料はここにすべて残ってるみたいだが……どうすっか?」


「……燃やそう。」


ハクヤの声が響いた。


「これは、過去の呪いだ。こんなものに縛られる必要はない。」


ガルツがニヤリと笑う。


「……言うと思ったぜ。」


レイラとザハークも頷く。


「じゃあ、燃やそうか。」


レイラが鞄からマッチを取り出した。

冥土の記録――彼らの呪われた過去が、業火の中で灰となっていく。

その光景を見ながら、ハクヤは静かに誓った。

――俺は、俺として生きる。

冥土が与えたものに支配されるのではなく、自らの意志で。


「行こう。」


そして、彼らは再び歩き出した。

過去ではなく、未来へと――。

そして、一行は廃墟を出て、辺りを警戒していた。


「……なんか、妙な気配がするなぁ。」


ガルツが銃を構え、周囲を警戒する。

ザハークも獣の嗅覚を働かせ、低く唸った。


「……クンクン……何かが、いる。」


エイゼは静かに剣を抜いた。その琥珀色の瞳が、鋭く細められる。


「エイゼ。」


その瞬間、聞き覚えのある声が響いた。

エイゼの動きが止まる。


──闇の中から、一つの影が現れた。

黒髪、赤い瞳。

漆黒の衣に包まれた青年が、薄く微笑んで立っていた。


「やぁエイゼ、久しぶりだね。元気そうで何より。」


胡散臭い笑みを浮かべ、エイゼに向かって軽く手を振っていた。


「アビス……?」


その名を口にした瞬間、エイゼの胸が締めつけられるような感覚に襲われた。

彼は確かに、エイゼの過去にいた。

孤児院時代の幼馴染であり──かつて、エイゼが心を許した存在。

しかし、今目の前に立つ彼の瞳は、あの頃の優しさとは違う。


ハクヤが剣を構える。

だが、アビスはまるで気にする様子もなく、ゆっくりと歩み寄る。


「おっと、そんなに警戒しないでよ、エイゼの仲間たち。」


「……お前さん、冥土の手先か?」


ガルツが銃を向けると、アビスは肩をすくめて小さく笑った。


「……ふふ、それはどうかな?」


次の瞬間──

アビスの体が、闇に包まれた。

黒獅子の体、山羊の頭部、蛇の尾。

──キマイラの姿へと変貌し、唸り声を上げる。


「……くるぞ!」


ザハークの叫びと同時に、アビスが疾風のように飛びかかった。

エイゼの剣が閃き、獣の爪と激しくぶつかり合う。

火花が散る中、アビスが静かに囁いた。


「ねぇエイゼ。僕は、冥土の『狩人』になったんだよ。」


その言葉に、エイゼの瞳が揺れる。


「……お前が……冥土の狩人……?」


エイゼの声には、微かな震えが混じっていた。

目の前にいるのは、かつて孤児院で共に過ごしたアビス──。

彼は彼女の過去の大切な一部であり、そして今、冥土の手先として対峙している。


「そうだよ、エイゼ。」


アビスの声は穏やかだった。

だが、彼の赤い瞳の奥には冷たい炎が揺れている。


「アビス……お前は、冥土を憎んでいただろう?」


エイゼは低く言った。


「なのになぜ、奴らの手先になった?」


アビスは少しだけ微笑んだ。


「憎しみだけじゃ、人は生きられないよ。」


彼の言葉に、エイゼの胸がざわつく。


「エイゼ……僕は、キミと一緒に生きたかったんだ。」


アビスの声が夜の静寂に響く。


「だけど……キミは僕を置いていったじゃないか。」


「違う……!」


エイゼの瞳が大きく揺れた。


「私は──」


「キミは冥土から逃げた。そして、キミは自由を手に入れた。でも僕には、それが許されなかった。」


アビスの赤い瞳が、じっとエイゼを見つめる。


「冥土に囚われた僕は、何度も実験を受けた。ひたすら痛みと苦しみを与えられ、そしてようやく手に入れたものが、これさ。」


黒獅子の体、山羊の頭部、蛇の尾──。

キマイラの異形を持つ彼は、まるで冥土の創り出した『究極の生物兵器』のようだった。

アビスは冷たく微笑んだ。


「僕はもう、人として生きることはできない。だから、せめて……キミにとっての『最強の敵』になろうと思ったんだ。」


彼の言葉に、エイゼの背筋が凍りつく。


「なら……お前を取り戻す。」


エイゼは剣を構え、力強く言い放った。


「お前は冥土の狩人じゃない。お前は、私の仲間だった!」


アビスは静かに首を振る。


「そんな綺麗事ばかり……僕は、もう戻れないよ。」


彼の瞳が、かすかに悲しげに揺れた。


「だったら……私が、お前を連れ戻す!」


エイゼの翼が広がる。

琥珀色の瞳が鋭く輝き、彼女の体が疾風のように駆け出した。


「……来るんだね。」


アビスもまた、キマイラの体を弾けるように動かした。

──刃と牙が交錯する。

森の静寂を切り裂きながら、二人の戦いが始まった。

一方、ハクヤたちは戦いを見守っていた。


「おいおい、エイゼが一人で戦ってるんだぞ。」


ガルツが苛立ったように拳を握る。


「なんで俺たちが動かねぇんだってよ。」


ザハークは静かに目を閉じる。


「……これは、エイゼとアビスの問題だ。」


レイラが不安げにハクヤを見つめる。


「ハクヤくん……本当に、行かなくていいの?」


ハクヤは黙っていた。

エイゼが『母』だと知ってから、彼の中で何かが変わりつつあった。


「俺が行けば、エイゼは俺を庇うだろう。」


ハクヤは低く呟いた。


「だから……待つ。」


ガルツは不満そうに舌打ちしたが、ハクヤの決意を見て黙った。

レイラは小さく微笑んだ。


「……信じてるんだね。」


「ああ。」


ハクヤは二人を見つめる。


(エイゼ、お前は俺の母親だ。)


(……だからこそ、俺は信じる。お前が負けるわけがないって──!)


エイゼとアビスの戦いは激しさを増していた。

剣と牙が交錯し、衝撃が地面を揺らす。


「……ねぇエイゼ、本気で戦わないのかい?」


アビスが静かに呟いた。


「キミの力は、こんなものじゃないだろう?」


「……私は、お前を殺したくない。」


エイゼは剣を強く握る。


「お前は……私にとって、大切な仲間だった。」


アビスの表情が一瞬だけ揺らぐ。

だが──


「……甘いね。」


彼の黒獅子の体が一気に跳躍し、エイゼの間合いに入り込んだ。


「くッ……!」


エイゼが防御の態勢を取るが──

──ドンッ!!

アビスの獣の脚がエイゼの腹部を叩きつけ、彼女の体が宙を舞う。


「エイゼ!!」


ハクヤが立ち上がる。

エイゼは倒れ込み、地面に血を吐いた。

だが──


「……フン。」


彼女はすぐに立ち上がり、剣を構え直した。


「まだ、終わってない。」


アビスが目を細める。


「なるほど。なら、キミが本気を出すまで、僕は何度でも試すよ。」


彼の体が再び闇に包まれる。

エイゼもまた、傷だらけになりながらも剣を構え続けた。


アビスの体を覆う闇が、まるで生きているかのように脈動した。

黒獅子の足が地を蹴り、山羊の頭が低く構え、蛇の尾がしなやかに揺れる。


対するエイゼもまた、息を整えながら剣を構え直す。

彼女の傷だらけの身体は、すでに限界に近かったが、それでも彼女の琥珀色の瞳は揺るがない。


「まだ戦うつもりかい、エイゼ?」


アビスが低く呟く。


「……お前を取り戻すまで、私は倒れるわけにはいかない。」


エイゼは静かに答えた。

その言葉に、アビスの赤い瞳がかすかに揺れた。


「……どうして、そんなに僕にこだわるの?」


「決まっている。」


エイゼは剣を強く握りしめる。


「お前は……私の仲間だったから。」


その一言が、アビスの心をかすかに乱した。

だが、彼はすぐに冷たい微笑みを浮かべる。


「……もう遅いよ、エイゼ。」


次の瞬間、アビスの黒獅子の体が跳び上がった。

雷のような速度でエイゼに迫る。


「くッ……!」


エイゼも即座に反応し、剣を振るう。

刃と牙が交錯し、激しい火花が散った。

その衝撃で、二人の体が弾き飛ばされる。

エイゼは地面を転がりながらもすぐに立ち上がる。

アビスもまた、しなやかに着地してこちらを見据えていた。


「……ねぇ、本気で来てよ、エイゼ。」


アビスの声には、どこか哀しみが混じっていた。


「じゃないと……僕はキミを殺してしまう。」


一方、戦いを見守っていたハクヤたち。

ガルツは苛立ちを隠せずに拳を握りしめた。


「チッ……! もう見てられねぇ。俺たちも行くぞ!」


「……待て。」


ザハークが静かに言った。


「エイゼは、まだ戦っている。」


「だからなんだよ!? こんなの、ただの私怨じゃねぇか!」


ガルツが吼えるように言った。


「エイゼが本当にアイツを取り戻したいなら、さっさとぶん殴って連れ戻せばいいだろ!」


レイラは眉をひそめながら、静かに呟いた。


「でも、それができないのは、エイゼさんがアビスくんを大切に思っているからなんだよ。」


ハクヤは黙って見つめる。


(……エイゼ。)


彼女が本気を出せない理由は、分かっていた。

アビスが、かつての大切な仲間だったから。

しかし――


(それでも、お前は……勝たなきゃならない。)


ハクヤは、静かに立ち上がる。


「……俺が行く。」


「ハクヤくん……?」


レイラが不安げに見上げる。

ハクヤは剣を手に取り、低く言った。


「俺は……あの戦いを止める。」


その言葉に、ガルツが驚いたように眉をひそめる。


「お前、止めるって……まさか、エイゼを邪魔するつもりか?」


「違う。」


ハクヤは剣を鞘から抜き放ち、鋭い瞳で前を見据えた。


「エイゼが迷うなら……俺が決着をつける。」


エイゼとアビスの戦いは、なおも続いていた。


互いに傷を負いながら、それでも刃を交えることを止めない。


「エイゼ……何故キミは……まだ戦うんだ…!?」


アビスが叫ぶ。


「お前が……お前が冥土の犬になることなんて、許せないからだ!」


エイゼも叫び返す。


「お前は、そんなところにいるべきじゃない……!」


「今さらそんなことを言われても、僕には帰る場所なんてない!」


アビスの赤い瞳が、怒りに燃える。


「僕の居場所は、冥土しかないんだよ!!」


エイゼの胸が強く痛んだ。


(……そんなことはない。『あなた』は……孤独じゃない。)


だが、その言葉を口にする前に――


「エイゼ!! もう、やめろ!!」


鋭い声が、戦場に響き渡った。

エイゼとアビスが、同時に振り向く。

そこには――

剣を構えたハクヤが立っていた。


「ハクヤ……!?」


「もう……いいだろ。」


ハクヤは静かに言った。


「俺たちは、冥土を潰すために戦ってるんだ。けど、お前たちの戦いは……違う。」


その言葉に、エイゼの瞳が揺れる。

アビスも、驚いたようにハクヤを見つめた。


「キミは……?」


「俺はハクヤだ。」


ハクヤは剣を構え、アビスに向かって言った。


「エイゼが本気になれないなら……俺が、お前と戦う。」


その言葉に、アビスの表情が変わった。


「……キミが、エイゼの『息子』か。」


彼の赤い瞳が細められ、低く笑みを浮かべる。


「面白い……。」


アビスはゆっくりと構え直した。


「なら、僕が試してあげるよ。キミが、どれほどの力を持っているのかを。」


ハクヤは深く息を吐き、剣を握る手に力を込める。


「来いよ……冥土の犬。」


風が吹き抜ける。

エイゼは、その場で立ち尽くしていた。

彼女の心には、強い動揺が渦巻いていた。


(……私は……どうすればいい?)


戦うべきか、止めるべきか――。

その答えを見失いながら、エイゼはただ、ハクヤとアビスの戦いを見つめていた。


――静寂を破るように、剣と爪がぶつかり合う。

ハクヤとアビスの戦いが、今ここに始まった。

エイゼはただ、拳を握りしめながら、それを見つめていた。


(あなたを……止めなければならない。でも……あなたを失いたくない。)


エイゼの心は、深い闇の中に沈みかけていた。


――剣と爪が交錯する音が、戦場に響き渡る。

ハクヤは一瞬の隙も許さぬように剣を振るい、アビスは獣の俊敏な動きでそれをかわしながら反撃を繰り出す。

両者ともに、一切の手加減をするつもりはなかった。


「やるじゃないか、ハクヤくん……!」


アビスの声が低く響く。


「お前もな……!」


ハクヤも負けじと叫ぶ。

二人の戦いは、互いの本気をぶつけ合うものだった。

そこに躊躇も、迷いもない。

だが――

エイゼはその光景を、ただ黙って見ていることしかできなかった。


(……なぜ、こんなことになってしまった?)


かつては、アビスとこうして刃を交えるなど、夢にも思わなかった。

彼とは共に笑い合い、支え合った過去がある。

だが、今目の前にいるアビスは、過去の彼とは違う。

キマイラの体を持ち、冥土の「狩人」として生きる存在。


そして、ハクヤは……そんな彼を止めるために、今戦っている。

エイゼは強く拳を握りしめた。


(……私は、どうすればいい?)


アビスを止めなければならない。

だが、それは彼を殺すことを意味するのか?

彼を救う方法は、もうないのか?


「何をしている、エイゼ!!」


不意に、鋭い声が響いた。

ガルツだった。

彼は戦場の端で、じっとエイゼを見つめていた。


「お前がその場に突っ立ってる間に、ハクヤが命を張ってるんだぞ!戦うのか、止めるのか……どっちかに決めろぉ!!」


その言葉に、エイゼの瞳が揺れる。


(……私は。)


「アビス!!」


エイゼは、強く叫んだ。

戦いを続ける二人の間に割って入る。

ハクヤもアビスも驚いたように動きを止める。


「……エイゼ?」


アビスが、低く呟く。


「あなたは……私を恨んでいるの?」


エイゼの声は、静かだった。

だが、その一言に、アビスの赤い瞳がわずかに揺れた。


「……なんだい、今さら。」


アビスは微かに笑いながら、肩をすくめる。


「キミが僕を置いて行ったこと……それだけじゃない。」


「……。」


「キミは、自分だけが傷ついたと思ってるんじゃないかな?」


エイゼの呼吸が止まった。

アビスはゆっくりとした足取りで近づく。


「僕だって……たくさん苦しんだんだよ、エイゼ。」


彼の声が震える。


「キミがいなくなったあと、何度も、何度も……僕は、キミを探した……。」


その言葉に、エイゼの胸が強く締めつけられる。


「……じゃあ、なぜ冥土に?」


「……だって、それしかなかったからさ。」


アビスは寂しそうに微笑む。


「僕には、もう帰る場所なんてなかった。」


エイゼは、何も言えなかった。

アビスがここまでの道をどうやって歩いてきたのか、彼がどれほどの苦しみを抱えていたのか――

それを知ることが、怖かった。


「キミが、僕を……見つけてくれていたら……。」


アビスの声が、震えていた。


「……僕は、冥土なんかに……。」


彼の拳が強く握りしめられる。


「キミが……キミが僕を必要としてくれたなら……!!」


アビスの瞳から、一筋の涙が零れた。

エイゼの心が揺れる。


(……私は。)


だが――


「それでも、今のお前を止めなければならない!」


ハクヤが剣を構えながら叫んだ。


「お前がどんな過去を持っていようと、今、お前が冥土の側に立っているのなら……俺たちは戦わなきゃならねぇんだよ!!」


その言葉に、アビスの赤い瞳が鋭く光る。


「……そうか。」


彼の表情が、冷たいものに戻る。


「なら、仕方ないな。」


アビスの体が再び闇に包まれ、キマイラの姿へと変貌する。


「……もう、迷わないよ。」


その瞬間――

大気が震えた。

エイゼは歯を食いしばる。


(……戦わなければならないのか。)


(キミと……)


(あなたと……)


だが、そのときだった。


「――やめて!!!!!」


響き渡るような叫び声。

エイゼが振り向くと、そこには――

レイラが立っていた。

彼は、小さな体で必死にアビスの前に立ちはだかる。


「君たちは……! 何をしているの!?」


レイラの青い瞳が、悲しみに揺れる。


「お互いに傷つけあって、何になるの!? 君たちは本当に……本当にそれでいいの!?」


その言葉に、エイゼとアビスの瞳が揺れる。

レイラの手が震えながら、アビスへと伸ばされる。


「君がどんな過去を持っていても、ボクたちは……君を仲間だと思ってるんだよ……アビスくん!」


アビスの赤い瞳が、わずかに揺れた。

エイゼもまた、レイラの後ろで拳を握りしめる。


(……そうだ。)


(戦うことが、すべてじゃない。)


エイゼは、ゆっくりとアビスを見据えた。


「……アビス。あなたがどんな道を選んでも……私は、あなたを見捨てない。」


その言葉に、アビスの動きが止まった。


「……エイゼ……。」


風が吹く。

アビスの体が、わずかに揺れる。

そのとき――


「で、でも、 僕は……僕の大切なエイゼを傷付けて……キミの息子までも傷付けて…!!僕は、一体、一体どうすればいいんだ……!!」


アビスが叫んだ。

彼の体が震え、赤い瞳が苦しげに揺れる。

エイゼは、彼の叫びを、ただ受け止めた。


「……あなたの道は、あなたが決めるんだよ。」


エイゼは素の声で静かに言った。


「私は……あなたの選択を、信じる。」


アビスは、しばらくの間、黙っていた。

やがて――

彼は、低く呟く。


「……エイゼ、キミは……。」


彼の瞳に、涙が浮かんでいた。


「キミは、僕の……」


その言葉が紡がれる前に――

戦場の空に、黒き影が降り立つ。

冥土の幹部、白衣の男だった。

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