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焔翼のグリフォン  作者: いねの
第一部 旅立ちと決意 第1章 冥土を背に
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生きる意味

数年前――


冥土の食堂にて。


ガルツは無言で食堂のテーブルに腰を下ろした。薄暗い照明の下、金属製のトレーに並んだ食事は、どれも無機質な色合いをしていた。


タンパク質ペースト(灰色がかったベージュの塊)

炭水化物ゼリー(半透明の寒天状)

合成野菜ペースト(緑色の泥のようなもの)

塩味スープ(ぬるく、無色透明)


無駄のない栄養設計。まさしく軍用の食事。

これを毎日食って生きる。それが「冥土」の一般兵としての現実だった。


ガルツはフォークを手に取り、まずはタンパク質ペーストをひとすくい口に運ぶ。

——もそっ


舌の上で崩れ、噛む必要すらない。

しかし、口の中が一瞬で乾くような感覚があった。

味は…限りなく無に近い。わずかに感じるのは、粉っぽい大豆のような風味と、かすかな塩味。


(……味気ねぇな。)


次に、炭水化物ゼリーを口に運ぶ。プルプルと震えるそれをスプーンですくい、一口。

——ツルン


舌触りは悪くないが、ほぼ無味。かすかに甘さを感じるが、言われなければ気づかない程度だ。冷えているせいで、余計に人工的な印象が強い。


(……せめて、もう少し温かければなぁ。)


ガルツはスプーンを置き、合成野菜ペーストに目を向ける。

緑色の泥。これもまた、美味そうには見えない。スプーンで軽くかき混ぜると、糸を引いた。


(……これは……野菜、なのかぁ?)


疑念を抱きながらも、一口食べてみる。

——ヌルッ


(……青臭ぇ……。)


野菜らしさを再現しようとしたのか、妙に草のような風味がする。だが、ナチュラルな味わいではない。まるで薬草を無理やりすり潰してペースト状にしたような、人工的な青臭さ。飲み込んだ後に残る渋みが、なんとも言えない不快感を残した。

最後に、スープをすすってみる。

——ズズッ


……ぬるい。ただの塩水。これ以上の感想はない。

ガルツは無言で食事を続けた。文句を言ったところで、食事が変わるわけではない。これが「冥土」の日常。戦うために最低限の栄養を摂取する、それだけの行為。


食堂には他の兵士たちもいるが、誰も楽しそうに食事をしてはいない。ただ無言で、淡々と食べるだけ。


(……せめて、もう少し「人間の飯」っぽくならねぇもんかね。)


そんなことを思いながら、最後の一口を飲み込むと、金属製のスプーンをそっとトレーに置いた。

喉を通る感覚すらも機械的で、満足感とはほど遠い。


「……ふぅ。」


溜め息をつくのは、何もこの食事のせいだけではない。

食堂の中は静かだった。規則正しく並べられたテーブルと椅子、食事を取る兵士たちの無言の咀嚼音、時折聞こえるトレーの擦れる音やスプーンがぶつかる音。


そのどれもが、まるで工場の機械音のように冷たい。

ここにいる誰もが、食事を「味わう」ことなく、ただ栄養補給の作業としてこなしている。


ガルツはトレーを横に寄せ、手元のコップを手に取った。中身は透明な液体——ただの水だった。

——ゴク、ゴク


……ぬるい。

せめて冷たい水なら、口の中の残滓をさっぱりと流してくれるのに。この温度では、ただでさえ味気ない食事が、さらに不快な余韻を残す。


(……これが「冥土」の飯ってやつか。)


食べるたびに思う。この食事をあと何年、何十年と続けなければならないのか。


「——おい、ガルツ。」


不意に、向かいの席に誰かが腰を下ろした。顔を上げると、同じく一般兵の男が、無表情でこちらを見ている。


「どうした、ため息なんかついて。」


「……別に。」


ガルツは短く答え、トレーを片付けようと立ち上がった。


「食事が不満か?」


「別に、不満じゃねぇよ。慣れたもんだ。」


「俺はもう味なんて気にしなくなったよ。結局、食えりゃいいんだ。」


男はそう言いながら、自分のトレーに乗った合成野菜ペーストをスプーンですくい、無表情のまま口に運ぶ。まるで歯車が回るような、一切の感情を排した動作。


ガルツはしばらくその様子を眺めたあと、空になったトレーを持ち、食器返却口へと歩いていった。


(——味を気にしなくなる、か。)


それはつまり、「人間」であることをやめる、ということなのかもしれない。


ガルツは食堂を後にし、兵舎の無機質な廊下を歩きながら、かつて食べた「普通の飯」の味を思い出そうとした。


温かいスープ。焼きたてのパン。香ばしい肉の匂い——。


だが、それらは記憶の奥底に沈みすぎていて、もう味すらも思い出せなくなっていた。


 レイラは食堂の隅の席に静かに腰を下ろした。

目の前には、栄養素を計算され尽くした軍用食が並んでいる。


無機質なトレーの上には、合成タンパク質のペースト、炭水化物ゼリー、野菜ペースト、そしてぬるい塩味のスープ。


(……これ、いつになったら慣れるのかな。)


スプーンを手に取り、まずは合成タンパク質ペーストをすくう。

無臭、無味、無個性。口の中に広がるのは、ただ栄養素が詰まっているというだけの感覚。


(……お肉の味をつけるとか、もう少し工夫できないの?)


治療部隊の者たちは、戦場に出る一般兵よりは多少待遇がいいとはいえ、食事に関してはまったく同じだった。栄養が取れればそれでいい。味なんて二の次。


(でも、せめて温かいスープくらい……。)


スープを口に含む。

——ぬるい。塩味のみ。


はぁ、とため息をつきながら、そっとスプーンを置く。


ふと、食堂の向こう側を見ると、ある男が立ち上がるところだった。


短く刈られた黒髪、無精ひげの浮いた顔。無造作に着崩した冥土の支給服。その姿からして、一般兵だろう。

彼は食器を片付けた後、ゆっくりと食堂を出て行った。


(……あの人、ため息をついてた。)


レイラはぼんやりと、その背中を目で追った。

食事を終えた兵士たちは、みな無言で立ち上がり、食堂を出て行く。そこに会話はほとんどない。食べることは、ただの作業。


——味を気にすること自体が、ここでは意味を持たないのかもしれない。

レイラは静かにスプーンを手に取り、再び淡々と食事を続けた。


 エイゼは壁に寄りかかりながら、目の前の金属製の皿を睨んでいた。


手足には分厚い拘束具がはめられ、鎖が床に固定されている。自由など、微塵もない。

皿の上には、冷え切った食事が乗っていた。


タンパク質ペースト(灰色の塊)

炭水化物ゼリー(どろりと揺れる半透明の物体)

野菜ペースト(緑色の泥のようなもの)

ぬるい


スプーンは与えられていない。

かつて、それを武器にして看守を襲ったことがあったからだ。


エイゼは無言で、指先でタンパク質ペーストをつまみ、口に運ぶ。

——もそっ


乾いた舌触りが広がる。味はない。ただの「燃料」だ。


(……まだ、生きろってことか。)


冥土は彼女を殺す気はない。生かし、戦わせ、使い潰す。それが目的だ。だから食事は支給される。

しかし、食事とは名ばかり。生き延びるための最低限の栄養補給。

エイゼは次に、炭水化物ゼリーを指先ですくい、口に含む。

——ツルン


……まるで虫のような食感だった。

食べるたびに思う。


「どうして私は、こんなものを食べてまで生きているんだ?」


天井を見上げる。鉄格子の嵌った小さな窓から、薄暗い光が差し込んでいた。

どれだけ食べても、どれだけ生き延びても——彼女に未来などない。


しかし、それでも本能が訴えかける。

生きるために食う。それだけだ。

エイゼは淡々と、無機質な食事を口に運び続けた。


 鉄の扉が重々しく開き、看守がエイゼを睨みつけながら命じた。


「……散歩の時間だ。」


手足に拘束具がついたまま、エイゼは無言で立ち上がる。自由とは程遠いが、独房から出られるだけでも少しはマシだ。


歩くたびに、鎖が床を擦る音が響く。

カチャ、カチャ、と規則的な音が静寂を切り裂いた。

施設内の「散歩できる範囲」は極めて限られていた。


独房エリアから伸びる長い無機質な廊下、鉄格子で封鎖された狭い中庭、そして兵士たちの訓練場の一角——。どこも監視が行き届いており、逃げ出す隙などない。


エイゼは無言のまま歩く。

——何度も試みた脱走。何度も受けた拷問。

それでも諦める気はなかった。


ふと、食堂の前を通りかかる。


扉の隙間から、兵士たちが無言で食事を取る姿が見えた。みな淡々と栄養を摂取するだけの作業をしている。


その中に、一人の男の姿が目に入った。

——黒髪、無精ひげ、無造作な支給服の着崩し。

一般兵の中でも粗野な雰囲気を持つ男。彼もまた、冥土の歯車の一部でありながら、どこか鬱屈した影をまとっている。


だが、どうでもいい。


(……くだらない。)


兵士も、ヒーラーも、管理者も、ここにいる者は皆、冥土の駒。自由などない。


エイゼは視線を逸らし、また歩き出した。

鉄格子越しに見える中庭には、わずかに枯れかけた木が一本。まるで彼女自身のように、命を削られながらも立っている。


(……このまま終わる気はない。)


エイゼは冷たい風を感じながら、再び脱走の計画を練り始めていた。


 食器を片付け、食堂を出ようとしたガルツは、ふと遠くの廊下に目を向けた。

白いフードを深く被った者が、ゆっくりと歩いているのが見えた。


——足を引きずるように、よたよたと。

異様な雰囲気をまとったその姿は、明らかに普通の兵士とは違った。


手足には拘束具。

鎖が床を引きずる音が、遠くから微かに響いてくる。

ガルツは無意識に足を止めた。


(……囚人か?)


だが、冥土の囚人は基本的に外に出されることはない。ならば、あれは——。


彼女の歩き方には、どこか異様なものがあった。疲れ果てているようで、しかし、意識だけは鋭く研ぎ澄まされているような。

まるで「この世界にいること自体を拒絶している」ように見えた。


「……チッ。」


ガルツは舌打ちし、視線を逸らした。

ここでは、深く考えるだけ無駄だ。

何を見ても、何を感じても、それが「冥土」の現実なのだから。


——どうせ、俺たちはみんな同じだ。

ガルツは無言のまま、食堂を後にした。


 食堂を出たレイラは、廊下の奥から聞こえる鎖が床を引きずる音に気づいた。


(何の音……?)


振り向くと、白いフードを深く被った人物が、足を引きずるように、よたよたと歩いているのが見えた。

その異様な姿に、レイラは思わず足を止める。


(……誰? 兵士じゃない? でも、あの拘束……。)


放っておけなかった。

気がつけば、レイラの足はその人物へと向かっていた。


「……ねぇきみ、大丈夫?」


静かな廊下に、レイラの声が響く。


フードの下の人物——エイゼが、ゆっくりと顔を上げた。

猛禽のような琥珀色の瞳が、じっとレイラを見つめる。

無表情。だが、その瞳の奥には、疲労と冷たさ、そしてほんの少しの警戒心が滲んでいた。


低く、かすれた声が返ってくる。


「……お前は、誰だ?」


レイラは少し躊躇いながらも、穏やかな声で答えた。


「ボクは医療部隊の者だよ。でも君、歩き方が……怪我してるの?」


エイゼはわずかに口角を上げた。だが、それは嘲笑のような笑みだった。


「……怪我? そんな甘いもんじゃない。」


レイラの眉がわずかに寄る。


「じゃあ……?」


エイゼは周囲を見渡した。

それを確認すると、声を低くして答えた。


「……『罰』を受けた。それだけだ。」


レイラは息をのんだ。

罰。冥土におけるそれが、どんな意味を持つか——彼女はよく知っていた。


「……なぜ、そんな目に?」


エイゼは肩をすくめる。


「さぁ。ただ、ここから出たかっただけだ。」


レイラは目を見開いた。

その反応を見たエイゼは、少しだけ唇の端を上げる。


「お前は……」


ゆっくりと、問いかけるように続ける。


「それでもここにいる意味があると思うか?」


エイゼの問いかけが、静かな廊下に落ちる。

レイラは息を呑み、ふと過去のことを思い出した。


——実験の日。

自分は、ただの普通のか弱い男の子だった。

剣を握る腕は細く、戦場では何の役にも立てない。冥土にいる以上、強くならなければ生き残れないことは分かっていた。


だからこそ、実験を受けた。

身体強化のための処置。

それが自分を強くしてくれると、信じていた。


……だが、結果は違った。

確かに身体能力は上がった。しかし、同時にホルモンバランスが崩れた。

肌は白く滑らかになり、声は高くなり、身体のラインは女のようになっていった。

鏡に映った自分を見た時の、あの感覚。


「誰、これ?」


今でも思い出す。

見た目の変化——それは確かに、ショックだった。

けれど、それでも強くなりたかった。

冥土の中で生きていくために。

戦場で誰かを救えるようになるために。


——でも、自分はまだ弱い。

身体能力が上がったとはいえ、治療部隊の中でもまだ下っ端の方。

実戦で戦うことすら許されず、ただ命令に従い、負傷者の手当をするだけの日々。


「……意味、ね。」


レイラが呟いた瞬間、施設内に昼の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

エイゼはその音に反応し、ゆっくりと顔を上げる。


「……時間だ。」


それだけを呟くと、また足を引きずるように歩き出した。

よたよたと、けれど確かに前へ進むように。

レイラは何も言えず、その後ろ姿をただ眺めていた。


(あの人……何者なんだろう。)


あの琥珀色の瞳の奥には、ただの被験者とは思えない何かがあった。

歩くたびに響く鎖の音が、徐々に遠ざかっていく。

レイラはしばらくその場に立ち尽くしたまま、エイゼの姿が廊下の奥へと消えていくのを見送った。

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