髪
実在の人物・団体・書籍などにはいっさい関係ありません。
事実とも多分関係ありません。
作者の妄想です。
髪と聞いてあなたはどんなもの思い浮かべるだろうか。黒髪、茶髪、金髪、最近では赤や青などの鮮やかなものも増えている。色だけではない。長さ、艶、巻き具合、分け目などなど細かく分ければ髪は無限の姿で存在しているように思われる。
なぜ髪はこれほどまで多くの種類に分かれたのか。
その起源は古代メソポタミア文明まで遡る。メソポタミアでは人間の体毛は不浄であるとされ、脱毛の文化が生まれた。脱毛とは髪を失う行為のように思えるが今から振り返ると、これは髪が様々な姿を獲得するために必要なことであった。人間は自分の毛を好きなように弄るということをこの時代、初めて意識したのだ。同時代にカツラが開発され、権威や地位の象徴となったことがそれを裏付けている。カツラというのは技術の乏しかった時代に最も簡単に髪の形を変えることのできるものだった。
この脱毛とカツラの風習は古代エジプトでも紀元前30年にローマの植民地となるまで続いていた。
染髪はこの古代エジプトの時代から始まった。エジプト人は髪をヘナで赤橙色に染めた。古代ギリシアでも同時期に金髪が嗜好され、アルカリを牛脂で固めた軟膏を髪に擦り込み、太陽の光に何時間も髪を晒す事で脱色する技術が生まれた。
シーザーが北欧系婦人を捕虜としてローマに連れ帰った後に、古代ローマでも金髪への憧れが高まり、ギリシア式の脱色が流行した。
中世ヨーロッパでは、キリスト教が化粧全般を不道徳なものとして排斥したため、約1000年間ヨーロッパの中心地でこの文化は廃れた。辺境の地では髪を青色に染める文化が細々と生き残った。
ヨーロッパで染髪が息を吹き返したのはルネサンスの時代である。金髪が再び流行となり、1000年前と同じ方法で髪を染める者が増えた。しかしこの方法は髪の毛がアルカリと陽の光によって痛んだ。
痛んだ髪は艶を失う。そもそも染めた金髪では艶はそこまで目立たない。艶が最も重視されているのは我らが日本の黒髪である。
平安時代、魅力的な女性の象徴は長く艶のある黒髪であった。長い黒髪と艶がその人の豊かな暮らしを象徴したからである。
しかし、人が髪に艶を求めた本能的な理由はその髪の持ち主の豊かさなどではない。
艶、光沢を美しいと思う心は人間が本能的に水を求める事に起因している。人類が世界中に広がっていく時、様々な砂漠を抜けた。そのとき人の遺伝子に水、つまり光を反射するものを美しいと感じる感性が刻まれた。それ以来、艶々したものは人間の根源的欲求を満たすものとなった。
これは蟹谷秀樹が著書『AVと文明』の中で述べたローションオイルによるエロチシズムの増大と同じ効果である。ツヤと同じ漢字を用いる艶やかという言葉が色気のあるという意になることもこれを示唆している。
これまで髪の美しい部分について焦点を当ててきたが、一方で抜け毛というものはまるでメソポタミアの頃と同じように不浄のものとして見られることが多い。頭から生えている髪の束を触るのはなんの抵抗も無いが、これが抜け毛や切られた髪の束となるとたとえ元は自分のものだったとしてもなんとなく触るのを躊躇ってしまう。
これは髪が「生と性の象徴」であるだけで無く、特に黒髪においては「死の象徴」でもあるということが主な理由だと考えられている。
日本では、長い黒髪は古来より女性の魂であると言われてきた。「髪を切る」という行いは「魂を切る」行い、つまり「死」なのである。
日本では死や死に携わる事を穢れと呼んで触れることを避けようとしてきた。抜けた毛や切られた毛に対する嫌悪感もこの穢れに対する日本人独特の感覚から生じているのだ。
しかし、切られた毛が「生の象徴」となることがある。カツラである。髪の毛を病気などで失ってしまった人のために作られる天然の髪の毛を使ったカツラ。これは髪という魂を失った人に新しい命を授けるかのような「生の象徴」であり、その材料となるための毛は切られた毛であるにも関わらず「生の象徴」として機能するのである。
丸本安治は「髪の毛」を「神の気」であると言った。
生と死は神の領域であり、その両方の性質を併せ持つ髪はまさしく神が宿っているのだ。
今日、さまざまな様相を呈している髪もそれぞれに神が宿りその人独自の「生」を象徴している。多様性の時代になり生き方が無限に広がる現代、髪もまた無限の可能性を秘めている。何かを変えたいとき、人生の大きな転機が来たとき、思い切って髪を切り、染めてみるのはどうだろうか。