6
かつて、ファルスアレンという国があった。
国土はわずかに町ひとつ。しかし周囲の国は一貫して不干渉を決め込んでいた。
いつの頃からか、そこには遺跡があった。
ある者はイエールが極秘裏に建設した魔法装置と言い、またある者はそれ以前の神の御座だと論じた。
遺跡の力は単純明快。
いずこからか湧き出る魔力を結晶化すること。
一粒で魔術師数人分の魔力を開放して見せるそれは千の騎士を一瞬で葬り去る大魔術の源となり、竜すらも下僕のように飼いならした。
それを起動させえる一族が王となり治める国。
されど決して世に開かず、出入りを許されたのは魔術師とごくわずかな商人だけだった。
13系統魔法という独自の魔術体系を成立させ。その最奥たる原理魔術を完成させるべく、誰もが研鑽に励んでいた。
イェールが滅び、すぐに興ったとされるその国は100年の時を経て、新たな時代の流れに飲み込まれることになる。
すべては末代の王と、その娘が引き金となって。
絶世の美姫と歌われた第一王女サニアライトと第二王女ルニトニア。
本来ならば力ある魔術師に嫁ぐのがしきたりであったが、時の王は統合され行く国々に関心を寄せ、外との同盟のために娘を差し出そうとしたのである。
国の中枢とも言える魔術師は皆憤慨した。
これには自分たちを蔑ろにしたという以外に理由がある。
一つはこのファルスアレンで信仰されていたオーディアル教は『穢すための戦い』を禁じていたのだ。
魔術と神聖術が存在するために意外と思われがちだが、魔術師にこそ本来信仰心の高い者は多い。
それは神という無形かつ高次元の存在こそ魔術の至る姿であり、信仰と魔術は同義とさえいえる精神主体論である。
だが、無論王にもそれなりの理由があった。
周辺国家で起こる侵略戦争の余波で、この国に食料を持ち込む商人が激減していたのだ。
整備された町並み美しいファルスアレンであったが、食料自給率は0に等しい。
魔術師が生み出したマジックアイテムを商人に卸し、代価で他の物を仕入れているという貿易をしているこの国にとっては死活問題なのだ。
攻めることが出来ないならば、同盟を組み、守りの対価を得る。
それが王の示した方策なのだ。
事実この魔道王国が後ろ盾としてつくならば、町一つ維持する食料など安いものである。
東西にあった国は喜んでその同盟を承諾し、調停の運びとなり、反発する最中に一端を見た食料難に反対していた魔術師たちも背に腹は変えられず折れていった。
しかし、それでもなお反対したものがいた。
それが常に国民に顔を見せず、それゆえに『醜悪なる魔女』とうわさされた第三王女、スティアロウだった。
彼女はオーディアルを信仰せず、また代償とばかりに姉が『売られる』姿を寛容する事が出来なかった。
彼女が選んだのは戦う道だった。
関係を悪化させ、戦を巻き起す。
なし崩しに戦いに巻き込まれた諸国は、しかし圧倒的な魔法力の前に陥落。わずか数日をもって国土を数百倍にした恐るべき国を生み出したのだ。
世界が突如現れた脅威に目を向けたとき、そして荒々しき刃がさらなる渇望に振り上げられたとき、ファルスアレンは停止した。
『神殿』と呼ばれた魔法装置が停止し、魔力の支えを失ったファルスアレンはあえなく消滅することになったのだ。
その背景には四人の存在があった。
しかし同時に戦争に導いたのもこの四人。
そしてそのすべてはたった一つの掌でのことだった。
「いまぞルーンには女王、アイリンには木蘭など、名だたる者ぞおるが、かつては女の舞台なぞどこにもなかった。
魔術の分野でさえ、まず最初にありきは男女の垣根であった」
老、女魔術師、そしてついでに精神魔法の魔学士。この三人は一人の少女の話に耳を傾ける。
「王女と言っても何が出来るわけでない。
勝手に婚姻させられ子を為し一生を終える。
それが女の当たり前の生き方じゃった。
しかし、わしは違う。違う考えをいつしか持っておった」
今思えばこそ、不思議な環境だった。
かのイエールの再現も可能であろう莫大な魔法力があり、決して攻め出ず。
されど第三王女の周りには才覚あふれる女給がいた。
まるで世の間違いを無理やり気付かせんとするように。
「すべては仕組まれておったのじゃ。
しかしその謀に亀裂を入れたのも、謀った本人であった」
それに備わったのは 人をひきつけるルックスと巧みな話術。
それを支える知識と感性。
そして人並みはずれた程度の魔力。
魔王と称するにはいささか見劣りするが、もう一つ、かの存在が持ちえたものがあった。
それは『無敵』
一つの概念であり、それを発現するためにその他の力全てを置き去りにしたと言っても過言はない。
これに対するもの、必ず負ける。
例え神を招いたとしても、この『無敵』は絶対だった。
「無敵だと? そんなふざけたことがありえるのか?」
ルフェルナの顔には訝しいと言い張る渋面が刻まれている。
「ありえたのじゃ。仕方なかろう」
「ですが、あなた方はそれを倒したというのですよね?」
魔学士は逆にその謎賭けを必死に解こうとしている風だ。
しかし淡々とした語り部である少女は眉根も動かさない。
「それは後に語ろう。
ある日のことじゃ。何のつもりかかの魔王は一人の女性に目を付けた」
「お前ではないのか?」
紫煙と共に向けられた問いに嫌いを見せたのはどちらのためか。
「……違う。ただの村娘。
それに自分の力の一部を分け与え、そして試した」
誰の顔にも「何を?」という問いが浮かんでいたが、少女は言葉を止めない。
「『無敵』の概念を得た娘は、その力を『呪い』とし忌み嫌った。
そうして賢者の集う国、ファルスアレンへと訪れたのじゃ」
「そうして君と会ったのだね」
老の言葉にようやく浮かんだのは自嘲の笑み。
「それを利用しようと考えたのがわしじゃ。
何をしようとしても、わしに動かせる力はたよりない騎士一人であったからの」
例え分け与えられたかりそめでも『無敵』の概念は恐ろしい力を持っていた。
如何な内容、状況に関わらず、相対すれば常勝を約束される。それはどんなに有利な状況であろうとも。
その力の研究を代償に村娘の助力を得たスティアロウ。
そして彼女の従者たる騎士。
同じくして一人の賢者が王女に協力を申し出た。
彼の明晰なる頭脳は的確に攻略するべきポイントを指し示し、瞬く間に王女は国の実権を裏から握る準備を整えた。
あまりにもうまく行き過ぎたための慢心か、それとも賢者の甘言か。王女が次に取った策は外への進軍。
悪化した外交と仕組まれた事故。
そして要人の暗殺。
生まれる大義名分にプライドの高い賢者達の多くは憤慨し、そしてその驕りを利用されることになる。
「戦いは圧倒的じゃった。
わしに軍略を教えた者の手管はいまだ誰も知らず、面白いように相手は術中に嵌まり、強大な魔力を背景としてまさに『無敵』を誇ったのじゃ」
「そう言えばお前は軍略が得意だったな」
少女はわずかに肩を竦める。
「戦略だけじゃな。戦術に関しては取るに足らん程度じゃ。
わし付きの女給から俄仕込みで学んだにすぎん」
「女給?って、あの女給ですよね?メイドさんとか」
精神師の言葉に理解できないという顔をして、
「まぁ、特異じゃったな」
と、少々バツが悪そうに頬を掻く。
「まぁ、そこは気にせぬとよい。話を続けるぞ」
英雄のサーガのように偶然も何もかもを味方につけたような流れ。障害なく思い通りに進む展開。
そんな中で騎士と、呪われた娘は違和感を覚えていた。
それは、その違和感は突然現れた賢者への疑問に昇華する。
「そのパターンからすると」
「然り。そやつが魔王じゃよ」
押し隠す表情は苦い。
「しかし、魔王と称するほどの存在が、どうして一介の人間の手助けなど?」
その問に、少女はやけに悄然とした面持ちで言葉に詰まる。
「ふむ。つまり魔王は君を気に入ったわけだね」
老賢者の言葉に誰もがまさかという顔を見せ、されど当の本人は否定の言葉を出さず。
「魂の形で物事を見ることの多い魔族は、たとえ昆虫でも愛することがあると聞いたことがあるねぇ。
まぁ、さすがに人間ほどに魔法回路が発達していないと気に入るほどになりえないそうだけど」
さも当然のように語る老賢者。
「まぁ、否定はせぬ。
あやつの目的は楽園を作ることじゃった。
本人曰く……あー……」
やけに言い淀むと、訝しげに紫煙を吐く。
「つまりは、二人でつつましく生きる世界を造ろうってことかしら?
原理魔法の存在理由につながるわねぇ」
「ええい、そこ。にやけて言うでないわっ!」
「今思ったんだが」
紫煙をひと噴き
「お前はいじって楽しいのよ」
ぐ、と言葉につまる。
「まぁまぁ、今は話を聞こうじゃないか」
穏やかに執り成し、老賢者は先を促す。
「やがて、周辺国との戦争が終わったとき、世論は2つに分かれておった。
一つは、国の守りを両国に押し付け、研究に戻るという穏健派と、世界を統一せんとする強硬派じゃ」
「先ほどの話からすれば、結局強硬派が勝ち、そして」
「うむ、その刃は自滅へと走ったのじゃ」
その時には、王女の心の内にも乱れが生じていた。
思い通りに動く世界は確かに楽しい。
しかし、同時に戦争に心病む人を見るようになったのも確かだった。
その筆頭こそ姉姫であるサニアライトである。
「戦争の最中、婚姻が決まっていた隣国の王子が討ち死にしたのじゃ。
それで姉上はすっかり憔悴してしもうた」
同時にそれは、王女に着き従ってきた若き騎士も、呪いを解くためににともにあった少女の心も変えていた。
隣国の混乱。
内部での論戦。
戦争の足並みが整わなくなってしまったと悟る王女はそこでようやく振り返ることができた。
己の足跡が築いた地血山河の道を。
「わしは、問うた。この先に何があるのかを。
じゃが、それは余りにも不毛であった。
わしが望んだのは自由であるが、人の自由を喰らうて為すものではない。
三国を結んだ時点で、最初の言い訳であった理由も、そしてわしの確固たる自由の足場も出来上がっておったのじゃからな」
「どうしてそこで魔王の封印に繋がるのですか?」
精神師の問いに、ティアは苦笑。
「今となればそれ以上後ろを振り向き、己の足跡を見続けることから逃げたのじゃな……。
わしはまず約束を果たす事にしたのじゃよ。あやつとのの」
「呪いか?」
うむと、頷いて
「常勝を約束する呪い、その不可解なる解明をせんとしたとき、事件は起きたのじゃ」
軍の暴走。
強硬派が行った侵略戦は驚異的なスピードで首都を陥落させ、領土を一気に増やす。
国がその凶行に困惑する中、王女だけが、別の疑念を抱ける。
自分が線を引いていない地図に、誰が必勝の絵を描いたか。
考えるまでもない。
「わしは、あやつの元へ向かった。
そう、その時は知らぬ、魔王の元にの。
そこで初めて知ったのじゃ。
あやつの正体を」
目を閉じ、そして吐息をつく。
「のぉ、魔王とは何じゃ?」
投げかけられた問いに、沈黙。
「ザッガリアは最も力の強い魔族、という感じでしたね」
「だが師よ。私にはそこに疑問がある。
魔王は師の言う通り魔族の王だ。二人も三人も居るなど聞いたことがない」
ルフェルナの言葉に老はただ少女にその回答を求めた。
「ザッガリアが何者かこそ、見たこともないわしのあずかり知らぬところじゃ。
しかし、わしの知る限り魔王とは現象じゃ」
その言葉に首をかしげる一同。
「そもそもあやつがこの世界の存在かどうかも、未だ分からぬ。
しかし、あやつは、あの魔王はまさに『概念』であった」
「概念?」
精神術士の復唱に苦笑。
「正義、力、死、……それら一つ一つの根源を魔王と呼ぶ」
しんと、部屋は静まり、凍りつく。
「つまり、『無敵』という言葉というか、存在と言うか……意味そのものがその魔王だと?」
荒唐無稽な想像を疑いながら語るような口調で、しかし少女はしかと頷く。
「然り。
しかしザッガリアがこの世界唯一の魔王であらばあれが別の世界の魔王とて誤りといえぬかも知れぬな。
同時に一つ説明もつく。
『神殿』の甚大な魔力はいずこから噴出したか」
「『門』ですね」
老は目を細める。
「なるほど、その魔王が所属する空間はここよりも高位にある可能性がありますね」
「……なるほど。相転移のようなものじゃな」
「二人で納得しないで。意味がわからないわよ」
まったくだと頷く精神師。
「そうですね……例えば紙の上に箱を書くとしましょう。
どの角度から見たかは分かりませんが、とりあえず紙の上に箱が表現できます。
続いて木の棒で箱を作るとしましょう。
つまりは木の棒を辺と見なすわけです」
老はのんびりと中空に辺を描いた。
「さて、最初に書いた箱の画は、続いて作った木の箱の一部、と言う意味はわかりますか?」
「……その箱をある一点から見た図、という意味かしら?」
「はい、その通り」
訝しげに答えるルフェルナに笑みを向ける。
「絵でその箱を完全に表現することは理論上不可能です。
なぜならほんのわずかな角度の違いですでに別の情報となり、角度は無限に細分できるからです」
「ですけど、図面から立体のものは作れますよね?」
「それは三次元存在たるわしらの目が足りぬ情報を補えるからじゃ。
例えば縦、横、高さ、以外にもう一つ情報が在るとしよう。
それはなんじゃ?」
「え? あ……」
困る男に少女は苦笑して
「わしらは知らぬ。
あるとしてもそれを表現する手段がない。
逆にそれの存在する空間であれば、その情報が欠損したこの三次元を表現するのは紙に書くと同意なのじゃ」
「ゴメンナサイ、ワカリマセン」
魂の抜けた声でうめく男。
「今、必要なのは上の次元の情報は下の次元では無限に等しい格差があるということの理解じゃ」
「あ……それならなんとか」
「うむ、そして情報は魔術において力になる。
『神殿』がもしも上位の世界に繋がっておる門とすれば、溢れた魔力に納得が行く。
あれでもカケラ……そう、あちらから見れば小石一つの価値もないのじゃと」
「向こう側から魔力というキャンバスで何かを表現しつづけた場合、それは無限の表現となる。か」
「強引だけど、まぁ、しょせん予想だし、どちらにせよ私たちが理解できないことだよ」
「と、なれば。
『無敵』というのはその概念を表現しつづけているってことですか?」
精神術士の言葉に老は珍しく苦笑いを浮かべた。
「なるほど、故に概念。
ありとあらゆる角度からありとあらゆる観測───定義が出来る存在。
つまりこの世界から見れば無限」
「それぞれが観測する『無敵』こそが、かの存在を『無敵』にする。
鏡に威嚇する犬のようなものじゃ」
「それがどうして魔王なのですか?」
そろそろ脳みその限界を迎えようとしている精神術士の問いに、少女はさも当然と返答する。
「聞いておらんかったか?情報は魔術において力じゃからじゃよ」
「話が逸れましたね。それで、どうなったのですか?」
「……わしは王族じゃった。
それはつまり『神殿』を使う権利を有するということになる。
わしは、使ったのじゃよ」
「使った?」
深い吐息。
「先に言うておくが、もはやその明確な記憶はわしにない。じゃが、手順はわかる」
「待て、それはお前の話と矛盾するでないか」
ルフェルナの言葉に少女は小さく頭を振る。
「否、矛盾せぬ。
なぜならばファルスアレンは歪みが存在しておった。
そして強引な定義を為す足場も。
今、考えれば、あやつも同じくして世界を為すつもりだったのであろう」
「なるほど、呪的代償……生贄による見立てか」
女術士の言葉に少女は首肯。銀の髪が揺れた。
「……『神殿』の魔力を用いて強引に計算した呪式。
不完全ながら、それは十三系統魔法の最奥。
原理魔法じゃ」
「ファルスアレンの存在がかけらも残っていない理由はそこにあったのですね。
そして、貴女が戦乱という行為で『世界』の枠にに亀裂を入れてしまったために、その名前の全てが消えず、カケラとして残ってしまった」
そのカケラを見つけ、ライフワークとした老人の顔は泣き笑いのようでもあった。
「確かに誰が立ち向かおうともあやつに勝てる存在はおらぬ。
故にわしはあやつを無視したのじゃよ。元凶たるファルスアレンごと『世界』に隔離したがの」
吐き出した吐息はまるで鉛のように重く、そして無数の刺を為していた。
「町の人はどうしたのですか?」
「逃げたよ。わしは親友と『競争』したのじゃ。
わしが世界を作るが早いか、町の住人を逃がしきるのが早いか。
『無敵』にはやはり勝てんかったわ」
全てを語り終えたとばかりに、少女は己の肩を抱いて、小さな体をなお小さく丸くした。
「最後の質問になるわね。あなたはどうしてそこに居るの?」
問いに、少女は泣きそうな顔で、そして首を横に振る。
「わからぬよ。わしには何もわからぬ」
その瞳が映すのは恐らく、400年もの歳月の彼方。
「しょせん、わしは何も知らぬ……。
何も分からぬ、理解しておらぬ、ただの我侭な小娘だったのじゃろうよ」