第四十一話 火竜女王
Names and natures do often agree.
「これは炎竜様? どうかなさいましたか? 何か問題でも?」
『慌てなくてもよかろう? 害意があってきたわけではない。辺境伯よ、全員が揃うまでしばし待ってくれ。』
「はぁ...確かに炎竜様に粗相を働いた覚えもございませんが。」
火竜女王が辺境城の一室、やや広めのサロンに転移してきた。
もちろん、いつもの連絡方法で一言ことわりを入れてからである。
すまぬが...と火竜女王の頼みで辺境伯と一族の主要な者が集められている。
当然、いの一番に駆けつけてきたのはバーミリオン、これを火竜女王は満面の笑みで迎え、抱き上げて頬ずりしている。
辺境伯は、淑女教育は苦労しそうだと渋面を作っているが、どうせ火竜女王がなんとかするだろうと早々に思考を切り替えた。
『ん、来るか。』
「?」
火竜女王のつぶやきに辺境伯が眉根を寄せる。
一方バーミリオンは火竜女王のひざの上で、足をぷらんぷらんとさせてご機嫌だ。
すると部屋の片隅で魔方陣が立ち上り、皆の視線はそちらへと向く。
「お待たせしました。」
現れたのは、ラッセルたちとカーマイン侯爵家二人と家令。
留守番しようとしていた家令は、強引に引っ張られてきたが、さすがに彼も転移は初めての経験であり、目を白黒させている。
ふわっとした光に包まれたと思い、それが晴れたら目の前には辺境伯一族がいるのだから無理もない。
「どうだ? さすがのお前も声すら出んか? くくく」
主人バーンのからかう声に、家令が珍しく声も発せずにうなずいている。
気安い主従と言うよりは、友人同士のやりとりだ。
『急な呼び立てをしてすまぬな、侯爵よ。今日は皆に見せたいものがあって集まってもらった。』
「いえ。転移であれば一瞬ですからな。帰りも送っていただけるのでしょう?」
『無論よ。心配せずともよい。』
「して、炎竜様。我らに見せたいものとは?」
『こちらでございます。お義祖父様。』
そう言って、フレアが何やら手元に転移させてきた。
その間にバイオレットがテーブルにクッション状のものを準備している。
「記録水晶? それにしても大きな...」
その言葉に微笑みを返したフレアが、クッションの上にその水晶を置いた。
クッションは転がり防止だったらしく、軽く揺らして収まりを確認した後、彼女は少し下がる。
『さて、皆様方はよく見える様に水晶へ近づいてくださいませ。あわてずとも、何度でも再生しますので、前後はあとで変わってもよろしいかと。』
その言葉に従い、まずは年長者から前へ陣取る。
そのかたわらで、バイオレットはそそくさと何やら準備をすすめている。
『よろしいですか? お気を確かに...というのもおかしいですが、そうなるかと思いますので。お母様?』
『よかろう。始めるとするか。』
言うが早いか、火竜女王が後ろから水晶に触れ、魔力を注ぐと同時に操作を行う。
一瞬、水晶内がゆらめいたかと思った直後、記録映像が見えてくる。
辺境伯家一同が固唾を飲んだ。
◇
「うーん...護衛侍女はまいたけど、まだせいぜい森の入り口よね? 火竜と会えるかなぁ、その前に連れ戻されちゃうかしら?」
火竜の森。その結界の外側をひとりの少女がつぶやきながら歩いている。
物腰は貴族子女のそれであるが、動きやすい乗馬服にレイピアを帯剣し、時折太陽の位置を確かめながら森の中心部と思われる方向へと進む。
もちろん道があるわけではなく、時折下生えをかきわけたり、藪漕ぎをしている。
やがて、大木がいくつか倒れ、ちょっとした広場になった場所にたどり着いた。
「ちょうどいいわね。休憩しましょっと。」
倒木のひとつを椅子代わりにし、少女は腰をおろした。
次いで水筒から少し水を飲む。
途中で見つけて摘んできた木イチゴを口にすると、その酸味が疲労をほどいてくれる感じがする。
ふうっと大きく息をついて、目を閉じる。
視覚が閉ざされた分、集中力は聴覚へとまわる。さらにブーストをかけて耳を澄ますと、鳥の羽ばたきとさえずりが聞こえてきた。
いくつか残っていた木イチゴを少し離れた倒木の上に置くと、彼女はまた元の場所に戻った。
「さあ、来てちょうだい。見るだけだからね。」
やがて、甲高い鳴き声とともに、白地に黒い斑点を散らした、尾長の鳥が現れた。
「あ。ライトニングバードだわ。やっぱり珍しい鳥がいるのね。」
木イチゴをついばむ姿をしばらく見ていると、ライトニングバードが頭をあげた。
その視線をたどると、やや小柄な鳥がいつのまにか枝に止まっていた。
ライトニングバードはついぱむのをやめ、チッチッチッチッと短く鳴いて場所をゆずった。
枝の上の鳥はしばらくじっとしていたが、やがて静かに舞い降りて、数回木イチゴをついばんだ後、場所を譲ったライトニングバードと挨拶をする様に首をすりつけた。
「あら? 恋人かしらね? うふふ、いいなぁ。」
やがて二羽のライトニングバードはどこかへと飛び去っていった。
「さて、進むとしますか。」
ちょうどいい休憩になったと、少女は立ち上がり、お尻と手をぱんぱんと払った後、また森の奥へと入っていった。
◇
「フレイア...ぉぉ...」
ブレイズとバーンが嗚咽している。
他の一族も目を潤ませているが、幼かったバーミリオンだけは存命中のフレイアの記憶が残っていないのできょとんとしている。
ただ、髪の色をのぞけば自分がもう少し成長した感じの少女を見て、親近感を抱いた様だ。
先ほど用意を済ませておいたバイオレットがハンカチを配り歩きだした。
『これは、かつてフレイア殿が我らが森へ入ってきた時の記録。この後は護衛侍女共々記憶を混濁させ、森の入り口へ誘導しておいた。我らは幼子に手を出す気など無いが、魔獣に出会ってしまってはいけないのでな。』
「感謝いたします...炎竜様。我らは何もお返しできず心苦しいばかりで...」
『なに、こうやってバーミリオンがなついてくれているではないか。わらわにとっては最高のご褒美よ。』
優しく彼女の髪を撫で、時折指で梳く火竜女王。
バーミリオンはくすぐったそうにしているが、まんざらでもないどころか満面の笑みを浮かべている。
ふと、思いついた様にひざからおりて向き直り、数歩下がる。
一同が何をするのか不思議に思い見守っていると、バーミリオンは深くひざを折った。
「女王様。数々のご厚情ありがとうございます。」
『いやいや』
口元をにやつかせながら手を振る火竜女王へと、もじもじしながらバーミリオンが続ける。
「だけどいつも与えていただいてばかりで、我が家もおじさまの家もご恩返しがしたいのです。」
お嬢様...ご立派になられましたな。と使用人達は感動している。
血縁者は言うまでも無く、深く感じ入っている。
この数ヶ月の体験は、年端もいかぬ少女をとても成長させてくれたのだと。
「だけど、わたしはまだ小さくてお役に立つ事もできません。ですから、せめてフレアお姉様の様にお名前をつけさせていただきたいのです。」
火竜女王が目を瞬いた。
組んでいた足を解き、バーミリオンと正対してゆっくりとうなずく。
慈母...としか例えようのない優しき笑顔。
それは実の娘フレアしか見た事がなかった表情。
「よろしければ、これからはイグニス様と...どうでしょうか?」
『いぐにす...いぐにす...』
口の中でその言葉を転がす、何度もかみしめる様につぶやき繰り返す。
やがて両の眼に大粒の涙をたたえて、火竜女王がバーミリオンを抱きしめた。
『バーミリオン、何よりもうれしい返礼だ、ありがとう。』
「気に入ってもらえて、わたしもうれしいです! これからもよろしくお願いします!イグニス様。」
『お母様まで名前を得るとはね、これもまた神様の企みなのかしら?』
バーミリオンの頭を撫でたり頬ずりしている母を見ながら、それでも幸せそうにフレアがつぶやいた。
その腰をそっとラッセルが引き寄せ、バイオレットもまた猫人らしく身体をすり寄せてきた。
「でも、うらやましいですね。」
『あら? レティだってフレイアお母様に名付けてもらったんじゃない。私も一度会いたかったなぁ。』
「いつか、おとうさま秘蔵の映像を見せてもらいましょう?」
『ふふっ、いいわね? そうしましょう?』
◇
「どうした? 宰相よ、また渋面をしておるではないか?」
「陛下...炎竜様が名を得たとの報告が辺境伯より入っております。これよりイグニス様と名乗られると。」
「炎を熾す者...か、うまい事を言うな。して、誰が名付けた?」
「それがその...辺境伯の孫娘バーミリオン嬢らしいのです。」
「ふむ? 炎竜様の加護を得たと噂の令嬢か。」
「娶せる相手は炎竜イグニス様のお眼鏡にかなう者でなければならぬとのことですからな、純粋にかの令嬢を愛する者でなければならぬでしょう。」
「また目を配る案件が増えたということか。」
「第二王子殿下と末の王女殿下にお任せしましょう。あのお二人なら良き友人になれるかと。」
「ふむ? ...よかろう。まあ放っておいても自分たちで出かけるであろうがな。」
「さしあたっては彼の地での豊穣祭でございましょうか。」
「言うまでもなかろうが、炎竜イグニス様の手の者とはぶつからぬ様に注意せよ。」
「御意。」
思いつきエピソード追加。