第三十七話 小さな願いと大きな願い
・Happiness depends upon ourselves. (Aristotle)
「ファイヤショット!」
実際には小さな声で詠唱している。
いかに魔法はイメージが大切とはいえ、火竜母娘と同じ様に無詠唱とはいかず、かと言って相対している敵によっては詠唱から使おうとしている魔法を読み取られてカウンターを返される事もある。
今のファイヤショットは多人数を牽制するために、小さなファイヤボールを散弾の様に使う魔法。
火竜たちからすれば、たかってくる冒険者をいちいち相手するのが面倒くさいからよく使っている技だと言うが、人にしてみれば確実に当てるためには高度どころではない制御が求められる。
今のラッセルでは確実に相手取れるのは二人。それ以上はとにかくそっちの方向へぶっ放すしかできない。
それでも、相手にとっては脅威そのもの。予測して逃げてでもいなければ、シールドを張る以外避けようがないのだ。
そして動きを止めたら今度はシールドを突き破ってくる威力の火矢が来るか、シールドもろとも火で包まれてじっくり蒸し焼きとなるのだから、どちらにしても詰んでいるのだ。
「殲滅戦ならともかくとして、まだ威力が強すぎますね?」
「単体のファイヤボールなら普通より強いかな? くらいにはなってきたんだけど、慌てるとどうしても力業になっちゃうなぁ。」
「師匠も技の上達には反復あるのみだって言ってましたしね。とにかく続けましょうか。」
そう言うバイオレットは風魔法版と言えるエアショットを放つ。彼女はラッセルの倍以上の5人を相手取れるが、殺傷力は低い。
もっとも、風魔法で多人数を相手するのであれば、大技の旋風系を放てばそれで終わりなのであるが、周囲に何もない平原でもなければ周囲に甚大な被害が出かねない。それは火魔法でも同じであるが、被害の大きさは桁違いだ。
『レティは隠密にも長けてるわけだから、長射程の練習もいいんじゃないかしら?』
右手の人差し指を頬にあて、とんとんと叩きながら、フレアが何やら考え込む。
『だんなさまのは火だから離れた場所からだとどうしても目立つでしょ? だったらほぼ不可視の攻撃ができるレティの特性も活かせるかなって。』
「今でも50mくらいなら当てられますけど…」
『それで確実に頭だけいける?』
「それは難しいですね…」
レティの猫耳が伏せられた。
『まあ、時間はあるからあせらず行きましょ。倒すだけならどうとでもなるし?』
象は蟻を気にしない。
いかにも頂点に立つ生物らしい適当さを見せるフレアに対し、二人は口元をひくつかせた。
◇
「おじいさま達はまだ戻ってこないのかしら。」
窓から外を見ながら、バーミリオンがため息と共に不満を漏らす。
外とは言っても、外壁が邪魔をして庭園までであり、本当の意味での外部が見渡せるわけではない。
秋も少しずつ深まり、風も冷たくなっている。次の雨では、山頂が雪化粧を始めるかもしれない。
領民達は秋の収穫が終わり、豊穣祭を済ませると、今度は冬に向けて保存食などの準備に忙しくなる。
お風邪を召してしまいますよ、との侍女の声に、バーミリオンは窓を閉めソファへと場所を移す。
その前に、ジンジャーティーが出される。一緒に出てきたクッキーはこの城のパティシエが作ったもので、決して美味しくないわけではないのだが、バイオレットに比べるとどうしてもおとる。
「フレアお姉様、今頃レティさんのお菓子食べてるんだろうなぁ…」
その言葉に呼応するかの様に、小さな魔方陣がテーブルに立ち上り、すっと消える。
同時に、もうすっかり見慣れた光文字が空中に躍る。
<おすそわけよ、ミリィ。>
その光文字の先には、栗のタルトが乗った皿。
火竜の城では、はしゃぐバーミリオンを遠見水晶で見ながら、フレアとバイオレットが微笑んでいる。
『おや? ミリィがどうかしたのか? わらわの加護で、大抵の事は問題ないはず…?』
部屋に入ってきた火竜女王が、遠見水晶をのぞき込みながら続ける。
バイオレットは軽く会釈し、猫人特有の挨拶で、しっぽの先端がぴんっとはねる。
『何も問題はなさそうだが? ん?このタルトを送ったのか。』
こちらのテーブルと、タルトを頬張っているバーミリオンの表情で気がついたか、彼女もまた頬を緩める。
『唇を読むに、辺境伯達が王都に行っているのでさみしいみたい。しっかりしているとは言っても、まだまだ子供だしね。』
『そうか、フレアも遊びに行ってやれば良いではないか?』
『大丈夫かしら? いらぬ問題を引き起こさなければいいんだけど。』
『なに、そんなものどうとでもなろう?』
デリカシーがあるのかないのか、割と傲慢な考えだなーと、バイオレットは心の中でつぶやいた。
竜とは、神をのぞけばこの世界の頂点。他の生物の事など無関心なのだが、ひとたび身内としてしまえば徹底的に庇護する、それはもう執着に近い。
そのまれな存在どころか、本当の身内となったラッセルをはじめとしたカーマイン家とフラム家。
ますます慎重に立ち回らねばな、と常識人枠の(と自分では思っている)バイオレットは心を新たにした。
『まあ、都合を聞いておきましょ。』
そう言いながら、フレアは宙に指を躍らせた。
◇
王都では、カーマイン家とフラム家のタウンハウスは隣り合ってはいない、またいらぬ憶測を呼ぶ可能性もあるためだ。
だが、十分に連携できる程度には近い。
息子達は一足先に領地へと返したが、その両家の当主は、今日も王城にて国王達と話し合いを続けている。
竜がこの地を襲う事はないとわかってはいても、愚者をおさえるためには大義が必要なのだ。
その意味で、伯爵家で起こった惨事はいい抑止薬となった。
人の口に戸は立てられぬ。いくら秘匿しようとも、情報は各家の影達によって速やかに広がっていた。
「その後、ラッセル殿たちはどうなのだ?」
「炎竜様の元で、魔法の訓練にいそしんでいるとのよし。威力を抑えるのに苦労している様です。」
「過ぎた力は身を滅ぼす、か。そなたの息子はよくわかっておるな? バーンよ。」
国王の言葉に、父はありがとうございます、と頭を下げる。
「それで、北へと旅立つのは…」
これは宰相。
「これから冬を迎えます。いかに火竜の加護があるとは言え、春を待ってからになりましょう。五月祭を終えてからで良いのではないかと考えております。」
「その五月祭だが、王都の祭礼にご参加願うわけにはいかぬだろうか?」
王弟が横から割り込む。
辺境伯と侯爵が難しい顔をした。
「我々と言うより、フレア様たちがどう思うか…でしょうな。」
「それはわかっているのだが、この際不穏分子を抑えるのに一役買っていただけたらと思うのだ。先日の事件の噂は貴族どもに広がっているとは言え、いずれまた不心得者が出ないとは限らん。」
「極大魔法の一発でも打ち上げてもらうのですか?」
辺境伯の冗談めかした言葉に、それも有りではあるがな、と国王。
吐き出す様に続けた。
「むしろ問題は貴族達より、直接お姿と力を見ておらぬ、ギルドの連中だ。単なる冒険者とテイマーが竜をどうこうできるわけがなかろう。そんなことが出来ていたら、とっくにこの世界は統一国家ひとつだけになっておるわ。闇ギルドはすでにこそこそと動いているのを、いくつか鬼人族に潰されておる。」
「それは…」
「炎竜様の手の者であろうな。自らの懐に入った者を害そうとするものは許さぬ。そういうおつもりだろう。まぁ、手の者に潰される程度の相手なら、炎竜様たちに危害が及ぶ事もあるまいよ。」
「我らもそろそろ自領へ帰らねばなりません。こちらから連絡する術はありませぬが、何かのおりにお話はしてみましょう。」
その頃自領にて、孫娘がフレアに会えると小躍りして喜んでいるとは、思ってもみない辺境伯であった。
※転移させるぞー(by火竜女王)
まだ本業は修羅場ではありますが、一話だけ更新です。