第一話 侯爵家
まだほんの少しあどけなさを残した青年は軽い擦過音とともにカーテンを開けた。
外は昨日までの雨も上がり、雲の切れ間から日が差している。
窓を開けると枠にたまっていた雨水がさっと落ちていく。
足下だけはぬかるむだろうが、旅立ちにはそう悪くない。
そう思いながら今日まで自分の部屋だった場所をぐるりと見回して、窓を閉めた。
ふっと自嘲しながらも部屋を出て、五つほど隣の部屋へ来ると執事の一人に声をかけ.る。
「いらっしゃるか?」
「はい、先ほどからお待ちになっております。」
「そうか、では。」
「かしこまりました。」
コンッ コンッ コンッ
たたきつけず、それでおいて確実にわかる様にと絶妙な力でノックをやってのける。
当たり前と言えばそうなのかもしれないが、この執事が行うノックはブレた事がない。
ノブが回り、ラッチが開く音がする。
「おはようございます。お待ちしておりました。」
「ああ、すまないな。」
いつもとは少しズレた会話。
扉を開けてくれた家令もどこなく覇気がない。
「お待たせしました。」
あらためてこの部屋の主へ顔を向け、小さく頭を下げた。
こんな軽い対応ができるのもこれが最後だろう。
この関係も、これから告げられる言葉で終わるのだ。
「よい。そこに座れ。」
「いえ、このままで。」
指し示られたソファには一瞥もくれず返答した青年に、壮年の男性は苦笑を浮かべて、再度口を開いて告げた。
「いいから座れ。最後くらい親子として話しをさせてくれ。」
「承知しました。」
青年が口元に浮かべた苦笑もまた、よく似ている。
二人が腰を落とし、座面を整えたのを待ち構えたかの様に家令が紅茶を出す。
少しばかり静謐な時が流れ、やがてソーサーへカップが置かれ、壮年男性が口を開く。
「…お前を我が侯爵家から廃嫡する。」
「承知いたしました。」
苦虫を噛みつぶした様に口元をゆがめる男に向かって、淡々とした答えが返ってきた。
わかっていた事だ、そう、わかっていた事なのだ。
答えとともに深く頭を垂れた青年-息子-をじっと見つめる。
「私は、非道い父親だな。」
「…」
「顔を上げて、良く見せてくれ。」
すっと姿勢を正し、まっすぐこちらを見つめる息子に言葉を続ける。
「妻の、お前の母の願いすら守れなかった。」
「…」
「あの子を頼みますと、それだけなのに。」
「それは違います。」
いっそ罵ってくれれれば。
そう思っていた矢先に返ってきた言葉。
「私には、この国の貴族社会を生き抜いていく事はできないでしょう。その最たる理由も。」
「ああ、お前は貴族の中では魔力が少なすぎる。平民ほどの少ない量しか持っていない。」
息子が、小さく肩をすくめて、話を続ける。
「この国の貴族では、魔力の多寡が基準のひとつ。それは王族でさえ例外ではありません。」
「…まぁな。」
「そしてそんな者が大貴族である侯爵家を継ぐ、いや継げるわけがない。それ故に私を解放して守ってくれた。」
ギシッとソファが音を立て、深く身を預けながら、右手で天を仰いだ顔を覆いくぐもった声で父親が続ける。
「それでも廃嫡だなどと告げねばならんのだ。お前はそれをわかっていて、あの福音の日から準備をすすめていた。」
この国では12才になると、神殿で福音と呼ばれる魔力発現の儀式を受ける。
平民にとっては自由意志であるが、貴族にとっては義務。
そして息子は平民なみの魔力量しか発現しなかった。
無論、訓練によって増やす事はできるが、一生を費やしても貴族社会の最低ラインなど超える事はできない量。
ショックを受け、閉じこもった息子にどうしてやる事もできず、手をこまねいていた翌朝。
「父上、僕を棄ててください。跡継ぎは叔父上にお願いして従弟を養子を迎えれば。」
「馬鹿者!」
「この家はそれでなければ成り立っていけません。」
すすり上げながらも揺るがない、わずか12才の息子の瞳。
抱きしめながらも力が入らない。
「馬鹿者…大馬鹿者…」
彼にとって、従妹でもあった妻は隣接する辺境伯家の出身、義父と義兄に頭を下げ、息子と仲の良かった甥を養子に迎えた。
幸いにもかねてから兄様、兄様と息子を慕ってくれていた事もあり、時折ケンカはしつつも、こじれる事もなく二人は成長した。
「優しすぎるのだよ、お前は。」
「そんな人間が権謀術数渦巻く貴族社会を渡っていく事などできません。弟にはそんな責務を担わせてしまって申し訳ないと思いますが。」
「それはあの子も納得済みだ。そんな世界からお前を解放し、自由にしてやれる。それが何よりもうれしいと言っていたよ。」
「そうですか。私にはもったいない、本当にできた弟だ。」
「そうだな。義兄上の教えも良かった。跡継ぎとしても申し分ない、そう思うよ。」
「冷めてしまいましたな、いれなおしましょう。」
「お前にも世話になった。」
「なんの。わたくしにはもったいない、よくできた弟子でございました。」
親子の会話に割り込みながら、家令が紅茶を取り替える。
すっと背を伸ばし、胸元に手をあてて一礼。
次の瞬間には、右腕が恐ろしい勢いで振り抜かれた。
「お見事でございます。失礼をいたしました。」
「冗談を言うな。お前こそ、途中から軌道を変えて当てる事など造作もないだろうに。」
顔に向かってくる裏拳を、ケーキフォークを構えて迎撃した
触れる直前で止めた家令もまた破顔している。
この家令は体術の師でもある。
幼い頃からじっくりと成長に合わせてきめ細やかに指導を行ってきた。
年端もいかない少年が覚悟を決めてからは組み手を増やし、領兵たちとの実戦訓練にも参加させ、より経験をつませた。
おのが知る限りの相手を倒す技術をたたき込む。
それは何も対人戦だけではない、野の獣、魔獣、ありとあらゆる生き物を相手にする術。
すべては何があっても生き延びさせるために。
「筋肉でガチガチに固めては直線でしか攻められないただの力押しです、応用が利きません。しなやかに、ですが必要な時に必要なだけ存分に力を発揮できる身体を作るのです。」
「武器は壊れるものです。何も使えなくなったとき、最後に頼る事になるのは己の肉体のみ。そして身体を自在に動かせれば、武術などどうとでも覚えられます。」
そう言って、槍・長剣・短剣・投擲術・杖術などを披露してくれた。
「そうか、いつも武器を持って父上のそばにいるわけではないものね。」
「おっしゃるとおりでございます。だから最後には無手、あるいはその場にあるものを工夫して使う事が肝要となるのです。」
パンっと大きく柏手が響く。
「よくぞここまで鍛え上げてくれた、ワシなど反応もできなかったぞ。」
呵々大笑しながら礼を言ってくる主人に向き直り、深く深く頭を下げた。
「わたくしこそ、最後に得がたい弟子を得る事ができました。深く感謝いたします。」
「うむ。では、よいか?」
「かしこまりました。」
怪訝な顔をする息子に対し、家令から受け取った細長い包みをテーブルに置く。
ゴトンっと重たい音が響く。
「これは?」
「餞別だ、持っていくが良い。」
「開けても?」
こくりと父がうなずくのを見て、包んでいる羅紗を広げた。
家令は満足そうに笑みを浮かべている。
「これは? 師匠の佩剣ではありませんか!」
「拵えはこの国に合わせて作り直してあるからな、剣身のみなのによく気づいた。」
クックッと人の悪い笑みを浮かべ、呆然とした息子を見つめる。
家令もまた、おだやかに微笑んでいる。
「手入れの道具も入れてあるぞ。やつが使っているものを手に入れるのは難儀したがな。」
「我が友も、あなた様に使っていただけるのを楽しみにしておりました。試し打ちだが遜色はない。
自分はやっと本打ちをする決心がついたから、その時が来たら渡してやれと。」
捧げ持つ様に持ち上げる。
一礼した後、剣をあらためて見る。
脳裏に浮かぶのは、家令から紹介された友でもあるという剣の師。
朱色の、防水性が高い魔獣の革が巻かれた鞘へ収め、改めて礼をする。
「さあ、名残惜しいが出立するといい、ギルドには話しを通している、これからは制限が外れるはずだ。」
「本当に何もかもご存じですね。」
「当たり前だ、ワシはお前の父であり、ここの領主だぞ。この領冒険者最強の剣士が息子だなど、これだって誇れる事ではないか?」
眉根を寄せた息子の肩を叩き。続いて抱きしめる。
いつのまにか、自分の身長も肩幅も、身の厚さすらも超えてしまったな。
幼き頃抱きしめた時を思い、そんな感慨を抱く。
「ああ、忘れていた。これもだ。いつか、妻に迎えたいと思える女性が見つかったときに渡すと良い。」
「母上の形見のネックレス…」
「そういう事だ。あいつが、お前の妻になる人のためにと、祝福をかけている。」
「まったく、みんな過保護過ぎですよ。」
部屋中に三人の笑い声が広がる。
門出にふさわしい、そんな一室の光景。
扉の外で聞き耳を立てていた執事も、目尻に涙を浮かべていた。
本編スタートです。




