第十七話 竜の城 - 継承、あるいはそれすらも -
『待たせたな。いや、座ったままで良い。ラッセルよ、これを見てはくれぬか?』
ラッセルの前に、例の宝箱を置き、火竜女王は正面へと座り直す。
その手はかすかに震え、顔もこわばっている。
「どうしたのですか? そんなに緊張なさって。」
『…………………開けてみよ、危険はない。』
たっぷりと時間をかけ、それでも火竜女王が逡巡しながら即す。
「承知しました、では。」
親指で留め金を外し、蓋を開けた。
同じ物ではないにせよ、見覚えがあるものにドクンっと心臓がはねる。
「これはー…」
『我が兄の宝鱗よ。』
「残っているのですか!」
火竜女王が首肯する。
箱の中、上質な天鵞絨の真ん中に乗せられた、フレアの物よりやや大ぶりな、紅き宝石と見まがわんばかりの鱗。
箱の中央は少しくぼみ、宝鱗が動かない様にしつらえてある。
これが、我が祖に力と地位を与え、今に至る運命を敷いてくれた源かと、全身が熱く感動している。
『本来-、宝鱗というものはこの世に残らぬ。次代を産み育て、そして死ぬ時に我が子に与え、子へとその叡智を引き継ぎ、消える。人格はそのままであるがな。そうやって我ら竜は膨大な知見を得てきた。』
「それがここにあると言う事は。」
出ない唾液を必死で飲み込もうとする、慌てて紅茶を飲もうとするも、指先が覚束ない。
『だんなさまが動揺するのはわかります。ですが、知ってもらわねばならないのです。』
差し出された紅茶を一気に飲み下す。
冷めてしまっているが、それがありがたかった。
それをわかっていて、フレアは差し出したのだろう。
『そなたの想像通りであろうな。兄上は次代を残さず死を迎えた。いつかヒトのー いや、自らが道を敷いた新しき血が竜に入る時、その全てを伝え竜の伴侶にする一助のためにと。』
重い。
とてつもなく重い。
万年を生きる竜が、その生の果てに託した想い。
目の前が暗くなる気がした。
『だんなさま。』
いつの間にかフレアが寄り添い座っていた。
それが少し身を下げ、向き直って手を握る。
『ここから先は、無理強いはしません。わたくしは、それでも一緒にいますし、それに。 』
しばし逡巡し、哀しそうな顔をして告げる。
『次代を作る事は今までどおりでもできるのです。』
バンっとテーブルが叩かれた。
「フレア! あなたはそんな事思っていないでしょう! 一瞬で想い恋い焦がれて! この人の子を産みたい! そう思ったでしょう! 素直にそう言いなさい!」
ぴんっと尻尾を真っ直ぐ立て、その毛は太く逆立つ。
猫人の怒りの表情。
瞳孔は細くなり、肩をすくめ、背中が丸まっている。
だがその目には涙が浮いている。彼女とて、胸に秘めた想いは同じなのだから。
『バイオレット貴女…ありがとう。』
『(たいした娘よな)バイオレットよ、礼を言わせてもらうぞ。』
言葉は出さず、バイオレットはただ無言で頭を下げた。
『さてラッセル、宝鱗に触れてくれぬか? すまぬがバイオレット、ラッセルの指先をほんのちょっとでいい、切りて血を出してくれ。後で治す故。』
「まるで義兄弟の儀式ですね。」
「…あるいは、似た様なものかもしれぬな。」
自嘲気味に笑う。
この男と邂逅してから、こんな顔ばかりしている気がする。
兄上、この役目、うらみますぞとそんな事を思った。
『さあ、その指で宝鱗に触れるがよい、フレアの宝鱗へ触れた時と同じ、血を介しての接触となる。』
迷いは吹っ切った。
おそるおそるではなく、彼は真っ直ぐに手を伸ばした。
触れた-
宝鱗から炎が立ち上る。
火竜女王の橙とも、フレアの蒼とも違う、紫の炎。
不思議と熱くないそれは、くるりと腕に巻き付く様に動き、やがて手の甲から身体に入り込む様にして、消える。
宝鱗は、ただの宝石と成り果てたかの様に輝きを失くした。
またドクンっと心臓が脈動する。
二度、三度と続く度、身体の中に熱が送り込まれていく。
今まで詰まっていた水路が開かれ、澱んだ水が押し流され、澄んだ水に変わっていく様に。
やがて隅々まで巡った熱が、へそ下に集まっていく。
剣の師に教わった、気と呼ばれる力の概念を思いだし、その熱を一度骨盤へ落とし、またへそ下へ、みぞおち、心臓、のど、頸、眉間へと移動をさせていく。
そんなイメージを持つ。
最後に頭頂へ、そして空に放つ。
いつしか閉じていた目を開くと、滂沱の涙を流している火竜の母子がいた。
『だんなさま、成りました。竜気が見て取れます。』
『兄上の全てを受け取ってくれたか、ありがとう…感謝する…』
「ラスティ…あなた髪が…」
その愛称さながらの、赤さび色の髪。
それが今はどうだ、くすみが抜け、鮮やかな焔を思わせる色に変わっている。
そして一房の紫色の髪。
『魔力の状態は髪の色に現れる。そなたがくすんだ色であったのは、澱んで滞っておった故。取り込んだ兄上の力がその詰まりを開き、浄化し、正常な状態に整えた。叡智については- 』
人にはわからぬ言葉で、火竜女王が何事かを問う。
なぜか理解し、それに対しての答えが脳裏に浮かぶ。
その表情を見て取ったか。
『そなたが知らぬ事も、記憶の中から湧いて来る様であろう? 兄上が身罷られてからの事は蓄えられておらぬが、そこはわらわとフレアで補うことが出来よう。』
火竜女王は満足そうにうなずいた。
フレアはラッセルの腕を抱きしめ、肩に額を当てて、静かに泣き続けている。
跪いたバイオレットが、時折ハンカチでその涙を拭う。
「他にも、私の様な者がいるのでしょうか?」
涙のあとは残しながらも、晴れ晴れとした表情で、火竜女王が告げる。
『それは正直わからぬ。兄上はいくつもの試みをしておった、その中で結実したものもあるかもしれぬが、此度は兄上とわらわと言う、近しき者の後裔であった事が大きな理由であるとわらわは思う。あるいは、それすらも神のたくらみであったのかもしれぬな。悠久の時を生きる我ら竜族が、この世の不思議を解き明かそうとする事で、退屈せぬ様にと。』
やっとこタイトル回収です。