第十二話 竜の城 - 我が名は -
「あれは温泉なのですか?」
先ほどまでの湯を思い出し、彼が言う。
アルカリ分が高いのか、ぬるつきのある湯だった。
もちろん成分云々は知るよしもないのだが、平滑面に流せば足さばきの練習にいいかもしれないな、などとしょうも無い事を考える。
『その通りよ。ここは我らが住まう土地。ゆえに火ノ山が活発なのは知っておろう?』
「そうですね。麓の辺境伯領もその恩恵に与っています。北の地にありながら、健康な者が多いのもその効用にあやかっていると。」
『まあ、持ちつ持たれつという事よ。』
「こちらからは何も返せてはいないのですが?」
『そうでもない。我らに干渉せずにいてくれるではないか、それで良いのだ。いちいち煩わしいのでな。』
「そんなものですか。」
サロンで話し込む二人を見守っている鬼人執事の角がわずかばかり光る。
さりげなくそばに寄ってきた。
「ご歓談中申し訳ございません。お二方のお召し替えも終わり、晩餐のご用意も整いました様でございます。」
『では、晩餐室へ行くとするか。』
立ち上がり、さっさと歩き出す火竜女王の背中を見やりながら、サロンの扉を閉じる執事に質問する。
「今のは?」
「念話の一種でございます。あなた様が知る種族とは違い、私ども竜族に仕える鬼人族は、角を介して簡単な意思疎通ができるのです。これも長きに渡りお仕えする事で身につけた技。いや?進化ですかな。」
「へぇ…それは便利なものだな。見張りにも使えそうだ。」
「おっしゃるとおりに大変便利なものでございます。もっとも、ここまでたどり着く事ができる者などおりはしませんが。」
話しながら、その角が再度ぽうっと光る。
サロンを出た事を伝えでもしたのだろう。
「ですので、私どもにとっても久々…と申しますか、今代では初めてのお客様でございます。侍女たちも磨きがいがある女性がいらっしゃった事でたいそうはりきっております。おわかりでございましょうが、我らが主のお二人は完成されておりますので。」
「そうさな…彼女も他人の世話を焼いてばかりで自分の事などいつも二の次だ。よろしく頼むよ。」
「かしこまりましてございます。」
鬼人のわりには柔らかく笑う執事から目を離し、あらためて火竜女王を見やる。
『娘どもは先に来ておった様じゃの。 ああよい、気にするな。』
『ね? 案外気さくでしょう? うちのお母様。』
身をかがめ、幼女の肩に手を当てながら、火竜公女が安心する様に伝える。
「さて、遅れましたがあらためてご挨拶を。」
主従二人で姿勢を正す。
右手を胸に当て、左手は後ろに回し腰を折る。
侍女はスカートをつまみ、ひざを折った。
「カーマイン侯爵家が長子、ラッセルと申します。隣におりますはバイオレット、侍女にございます。」
「バイオレットにございます。」
『よい、今更ではあるが楽にな。カーマインとは、隣を治める者の一族か?』
「その通りです。我が身は故あって家督を継ぐ事はございませぬが。」
姿勢を戻しつつ、顔を上げる。
目の前には抱きつかんばかりの火竜公女がいた。
手袋を外し、人化した際とは形状が違うやや裾が短めのドレスをまとい、先ほどまではなかった緋色の髪飾りで髪をとめている。
「さあ、お嬢様。ご挨拶を。」
「あ、あの、バーミリオン・フラムと申します。この度は大変申し訳ございませんでした。助けていただきありがとうございます。」
『上手にできたのぅ。わらわは火竜女王。ちまたでは炎竜と呼ばれておる。娘は火竜公女といったところか。それにしても物怖じしない娘よ。さすがは辺境伯の一族じゃな。』
しゃがみ込んで目線をあわせ、優しく頭を撫でてやる。
緋色の光が1秒にも満たない間、幼女の頭上で円を描く。
『ご褒美じゃ。ささやかではあるが加護を与えた、成人するまでの間はわらわの魔力が状態異常から守ってくれよう。』
「ほわぁ…ありがとうございましゅ。」
噛んだ。
それすらも愛おしく、ほんわかとした空気が流れる。
火竜女王が立ち上がる。
『さて、我ら火竜の一族。実は名がない。』
「それは?」
『なに、竜とは絶対数が少ない上に、我らは念話にて話ができる。それ故に個々を言葉で識別する必要がない。』
「なるほど?」
『さ、まずは食事にしようぞ。鬼人族が作る料理とは言え、遜色はないはずよ。』
やっと名前解禁です! けっこうかかったなぁ。
この章はタイトル回収へ向けてのお話となります。