~犬も喰わない編~
(1)
俺は相談屋。
200X年の日本。携帯電話が普及して、メールなどのコミュニケーションツールが発達し、人間関係や仕事の仕方が徐々に変わり始めたこの頃になっても、人は悩みを抱え、それを相談できる相手を探している。
そういう人たちの相談相手になって、悩みの種を少しでも解決することが俺の仕事だ。
大阪の田舎とも都会とも言えないところに自宅を持ち、その一室が仕事場兼応接室になる。
大抵のお客はと言うと、近所の飲食店をしているオーナーだったり、中小企業の社長だったりするが、たまに事件とも言えなくはない、ややこしい相談が来ることもある。
先週もそんな相談が一件、俺のところにやってきた。
俺は自宅2階の寝室で、携帯の着信音が鳴って目が覚めた。
まだ朝の7時だ。布団から出るにはつらい季節だが、仕事の電話を無視するわけにはいかなかった。
「はじめまして。本部と申します。朝早くからのお電話、申し訳ありません。
業永工業の韮西専務から相談屋さんのことをお聞きして、お電話させて頂きました。
少し相談に乗ってほしいことがあるのですが、一度お会いできませんでしょうか?」
そう電話先の男性は話し始めた。声色に震えがあり、朝から興奮を抑えきれていないような感じだ。
「何か急ぎのように感じますが、本日でしたらいつでも対応可能ですよ。」
本部と名乗る男性の抱えている不安感を察し、直ぐの対応を提案した。
案の定、本部はこれからこちらへ向かうとのことだった。
布団から出て、椅子に掛けてあるパーカーを着て、本部が来るまでに身支度を整えることにした。
部屋を出て廊下に出ると、昨晩はかなり冷え込んでいたのか、吐く息が白くなっていた。
キッチンに向かい、急いでコーヒーを入れようとインスタントコーヒーに手を伸ばした。
昨日の夕飯の皿がそのままになっており、米粒が乾いて茶碗に張り付いている。
蛇口をひねり、水を出す。
昨日の晩は晩酌をしなかったので、今晩は外に飲みにもでも出ようと考えていた。
テレビでは朝の情報番組がやっており、やれ役者の不倫だ、やれ浮気だ、といった芸能ニュースや、週末の天気予報などいつもと変わらない日常がそこにはあり、今日も一日平和だと感じていた。
(2)
ワイシャツにセーターを着こみ、2杯目のコーヒーを飲んでいると、インターフォンが鳴った。
本部が来たのである。
俺は彼を応接室に案内して、ソファーに掛けるように促した。
彼の目にはほんのりクマがあり、マフラーの下の白いシャツには少ししわが目立つ。
セットしていたのであろう髪型も、朝方の出勤にしてはすでに崩れてしまい、ペタッとしている。
少しアルコールの匂いもするようだ。
「何か飲みますか?コーヒーや紅茶でも」
そう問うと彼はコーヒーを求めた。
彼はホットコーヒーを受け取り、一口飲みと、緊張がほぐれたように口を開いた。
「韮西さんからあなたはなんでも相談に乗ってくれると聞きました。
こんなこと知り合いにも相談できなくて。
以前に専務とゴルフに行ったときに、会社のことで色々とお世話になっていると聞いていまして。
それで。特に人間関係のことについてはプロフェッショナルだとお伺いしました。」
俺は企業顧問とは言わないが、会社の社内の人間関係について相談を受けることが多い。
人事のことなどもそうだが、ほとんどは新人の女性社員が泣いていただの、部長とアルバイトの女性が不倫関係にあるだのといった種類の相談だ。
聞いてみると、本部は機械部品メーカーの営業をしているようで、
業永工業は得意先になるで、彼はその担当営業マンとのことだ。
若そうにみえるが、歳は26~29才くらいだろうか。
左手の薬指には結婚指輪が見える。
冬でもほんのり色黒い肌は、趣味のゴルフ焼けか、疲れからそう見えるのだろうか。
「それで相談屋の私に、どのようなことをご相談でしょうか。」
そう尋ねると、本部は少し間を開けて話し始めた。
「実は今週の火曜日から出張で九州の方に行っていまして、本当は明日の金曜日の晩に帰宅する予定だったのですが、仕事が早く片付いたもので、木曜日の晩に帰ってきたのですが。
サプライズをしようとワインを買って自宅に帰ると、そこに妻の姿はありませんでした。
ただ、妻からのメールは届いていて。
私はどうしたらいいかわからなくなってしまいました。」
そういうと彼の固く握られた手は細かく震え、感情を押しころしているようだった。
「メールを拝見しても?」
そう尋ね、彼の携帯電話を受け取り、メールを確認をした。
『受信日時:2月9日(水)17:47
まだお仕事かな~?私は家でごろごろしていますー!
お仕事頑張ってね~(ハート)。』
『受信日時:2月10日(木)20:11
お仕事お疲れ様。けいくんがいないと寂しいよ。
今も一人で家でぼーとテレビ見ています。
明日は何時くらいにこっちに着く?
いつも作ってもらってばかりだからご飯作っておくよ(はーと)
九州土産もよろしくね!』
「私が帰宅して、家で待っていた時にメールが来たんです。
偶然にも私も一人で家でぼーっとテレビを見ていたんですがね。
メールには自然な形で返信しました。
それから家の中に何か証拠があるのではないかと、探索しました。
その時は何も出てこなければいいなと心の中で思っていたのですが。
以前に家の掃除をしている時に、妻のタンスの引き出しの奥に10㎝ほどの空間を見つけたことを思い出した。
私なら何かを隠すならそこに隠すだろうなと思ったことを覚えていました。
そこを探ってみると、DVDとへそくり、そして大人のおもちゃを見つけたんです。
あー、これは完全にクロだなと思いましたよ。」
そう苦笑しながら淡々と話す姿は、現実を受け入れたくないような悲観した姿ではなく、
まるで何かを決めた鬼のような不気味な雰囲気があった。
「それで、私一人ではどうしても良い案が思い付かなくて、あなたに相談しようと思ったのです。
少し怒りで我を忘れてしまうかもしれないので。」
そう言う彼に、私は尋ねた。
「良い案とは?」
彼は一息置いて答えた。
「事実確認です。どうしたら妻と浮気相手に復讐ができるか、相談したいんです。」
(3)
二人分のコーヒーカップと昨日の食器を洗いながら、お昼のワイドショーを聞いていた。
今朝の来訪者のようなことがテレビの向こう側でも起きているのだろうなと考えながら、先進国の教育進歩と弁護士の多忙さについての関係性を見出していた。
今朝、本部の相談を受けた俺は、出来る限りのアドバイスをした。
そして昨日、事の顛末の報告を受けた。
俺のアドバイスを聞いた本部は、妻に帰宅は金曜日の深夜になってしまう旨のメールを早速送信した。
そして自宅に事実確認の準備をしに戻った。
夕方彼は自宅に着いたが、その時、まだ妻は帰宅していなかった。
本部は自宅に入ると、早速作業に取り掛かった。
テレビそばのサイドボードの中にデジタルカメラをセットし、また、仕事用に持っていた12時間連続録音可能なボイスレコーダーをリビングにセットした。
そして帰宅前に借りてきたレンタカーに乗り込み、自宅が見える駐車場で待機した。
待っている間の時間は、本部にとっては長いような短いような不思議な時間だったという。
20時頃、一台のタクシーが家の前に止まると、妻と一人の男が出てきた。
まるでカップルの連れ添った二人は、本部の家へ入っていった。
本部は二人が家に入ったのを確認すると、急いで二人が乗ってきたタクシーへ駆けつけ、事情を話し、タクシー運転手の連絡先を入手した。
一度レンタカーに戻ってしばらくすると彼の携帯に妻からメールが届いたという。
内容は『けいくんの大好物の麻婆豆腐作ったよー。帰ったら温め直して食べてね!(はーと)』とのことだった。本部は呆れてしまったという。
帰宅は深夜になる旨を再度本文に含め、メールを返信した。
30分ほど経った21時頃、一旦家の様子を見に行った。
そのまま突撃しようとも考えただが、玄関の横のリビングのカーテンが少しだけ開いていたので、そこから中の様子を確認することができた。
そこから男の顔を確認することができたのだが、その顔に見覚えがあった。
それは妻のいとこだったのだ。
結婚式にも参加してもらって、年末年始の帰省でも会っているので間違いがなかった。
その光景に湧き上げる怒りを抑え、本部は車に戻り、電話をかけ始めた。
相手は自分の両親と妻の両親だった。
胃が痛くなるのを我慢しながら、両家の親に今すぐに自宅まで来てほしいと頼んだ。
のっぴきならない状況を察した両親たちは本部の申し出を了承してくれた。
30分ほど経った頃、両親たちからもうすぐ到着すると連絡を受け、再度自宅の様子を伺いに車を出た。
部屋の様子はというと、二人はリビングで抱き合っていたのだ。
駐車場で両親たちと合流すると、事情を察したのか、弟も一緒に来ていた。
そこで本部は事情を説明した。
妻の父親はそれを聞くと、怒りに震えながら何度も謝罪をしてきた。
本部の父親は、涙腺がゆるい性格で、すでに涙を目に浮かべている。
弟は本部を労わり、なにかあれば任せてくれと肩を掴んでいた。
大人5人が連れ立って、自宅の玄関前まで到着した。
物音を立てないように本部はみんなに合図を送り、部屋の様子を玄関横の窓から確認した。
妻が後ろから突かれている様子に震えと胃の不快感が止まらなかった。
音を立てないように慎重に玄関のカギを開け、扉を開けると、情事の音が一層大きくなった。
ドンドンと何かを打ち付けるような音と、妻の喘ぎ声、運動でもしてるような激しい息遣いが聞こえてくる。その状況に固まってしまった空気の中、弟が走り出した。
勢いよくリビングの戸を開けると、
「なにしとるんじゃー」と叫んだ。
そういうと同時に弟は男のほほを右から殴りつけ、倒れた男の上にマウントを取ると、何度も殴りつけた。
妻の父親は、妻の顔面を引っぱたくと、そのまま連続でビンタを喰らわせていた。
その光景にあっけに取られ足が固まってしまい、ただただ本部は眺めることしかできなかった。
つづく