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わらいあい

作者: 新月栄都

テーマは自分でも重いかもしれないと思いましたが、ぜひよく考察して考えてみていただけると嬉しいです。

「あ」


 右隣で風香が妙な顔をした。咎めるような、憐れむような、悦ぶような、嗤うような。ただでさえ平凡な顔が、より一層汚かった。

 寝ようと閉じかけていた目を半分開き、風香の視線の先を見れば、三十代くらいの男性が電車に乗ってきている。風香が私の膝を叩いた。嫌な予感しかしなかった。


「どしたの」


 言いながら、少しめくれた制服のスカートを整え座り直すように見せかけて、風香と五センチほど更に距離を開け、気付かないフリをする。


「だから、ほら」


 風香は私とその男性を交互に見て、眉をしかめてみせた。男性が扉の前の鉄の手すりに掴まりふらふらしている姿に、わざとらしいほど声を潜める。


「あの人、やばくね」

「ああ、まあ」


 嫌な予感は的中だった。電車の扉が閉まり、動き出した反動で、もう五センチ彼女から離れた。今度はしっかりと目をつぶる。

 静かな車内に、ぼそぼそと何か呟き声が聞こえる。低い声に、たまに裏声がまじる。


「ね、ね、ね」


 風香がまた私の膝を叩いた。内心では顔をしかめて、気付けよ、と思う反面、「ん?」と私は目を開ける。


「何か変なこと言ってる。やばくない? 迷惑だよね」


 風香の視線の先は、その男性。まだ席が空いているのにも関わらず、扉付近の手すりに掴まり、虚空の一点を見つめて何か呟いている。


「電車の中で喋るとか、非常識だよ」

「だね」


 お前もだよ、という言葉は呑み込む。まだ文句を言い続ける風香に適当に相槌を打ち、ただ、黙れよ、と願う。

 乗ってくる人より降りる人が多くなったこの車内は、かなり静かで、聞こえるのは冷房の音と人々の衣擦れくらいだ。その男性の独り言もそうだが、風香の声も目立つ。証拠に、スマホを見る女性がちらちらこちらを気にしている。同類にされているようで嫌だった。私は風香とは違う。

 自分の左側に置いていたスクールバッグを風香との間に置いて、もう五センチ風香から遠ざかる。この際だから英単語帳を取り出して、私はそれを眺めた。寝たフリは通じないようなので。


「お、勉強?」


 風香がにやりと眉を上げる。私がわざわざ空けた十五センチをゼロに縮め、こちらに身を乗り出して本を見てくる。


「英語? なんだよ由衣、ガリ勉かよー」

「いやいや、期末考査の二週間前だから、ってだけだよ。あ、そういや風香もそろそろって言ってなかった?」


 風香は一瞬、真顔になった。それから、あはっ、と馬鹿みたいにわらう。


「あんなの勉強するだけ無駄だよ。どうせ将来使わないんだし。一週間前でもしないって」


 言い訳にしか聞こえなかった。紅を引いた唇から唾が飛んで、見るに堪えない。


「あたしは一夜漬けでやるって決めてるの。それまでは部活。JKのうちに遊ばなきゃ。この前も赤点はとらなかったから、楽勝だよ」

「そっか。お互い頑張ろ」


 風香は自分の声が大きくなっていることに気付いていないのだろう。話題が変わったのはいいが、車内の人の視線が痛い。風香が馬鹿にした男性も銅像のように静止して風香を凝視している。風香を見ると、しかし何も気付かず黙って指先のネイルをいじくっていた。剝がれかけたぼろぼろのネイルは汚くて、やっぱり痛々しかった。

 つくづく思う。何故こいつとまだ一緒にいるのだろう、と。今日もそうだ。この時間、つまり下校中、私と風香は同じ電車に乗ることが多い。

 もっともそれは、当然といえば当然の話だが。私達はもともと同じ地元の中学校に通っていて、家は近い。というよりマンションで上と下の関係だ。保育園、小学校、中学校と、いつもということもないがある程度遊んだし、親同士も仲は良い。

 でも、どこかズレていた。喧嘩こそなかったが、それは多分もとからで、高校が別になって顕著になった。風香の私を見る目にはっきりと違和感を覚えた。率直に言えば、見下されている気がした。努力することを馬鹿にして、自分はへらへら曖昧に生きている。

 向かい側の窓の外を見ると、ちょうど夕日が建物の陰に隠れるところだった。まだ空は薄いオレンジ色だ。何が部活。風香の高校の距離からして、授業が終わってすぐに帰ってきたのだろう。入学前、胸高鳴らせて風香が語っていた部活の話は、四月の終わりには、一切話題にならなくなっていた。


「そういえば、風香って何の部活入ったの?」


 我ながら意地悪だと思った。風香はアイシャドウの滲んだ目を丸くしてこちらを見て、やはりすぐに笑みを張り付けた。


「ダンス部だよ。由衣こそ」

「すごいじゃん! 風香んとこのダンス部って結構強豪だよね。ていうか風香ずっと言ってたもんね」


 私は風香の言葉を遮って身を乗り出した。


「やっぱ練習とか厳し」

「ま、まあまあだよ。そうでもないから。由衣こそ部活はどうなの?」

「私は帰宅部。高校は勉強しなきゃだし」


 そっか、と風香は顔を上げて電車の天井にかかったミュージカルの広告をじっと見つめた。私はどこかすっきりして、何も言わずに手元の単語帳に目を落とした。

 しばらくして、車内にアナウンスが流れる。女性の、綺麗な発音の日本語。途中でその上から、思春期男子のような声が被さった。向かい側の男性が、手をマイクのように口にやってアナウンスより早口で次の停車駅の説明をしている。


『右側の扉が開きます。ご注意ください』


 風香が性懲りもなく、私の肩を揺さぶった。


「まただよ、あの人。ほんといい加減にしろよって感じ。アナウンス聞こえないじゃん」

「そうだね」


 お前がいい加減にしろよ。


「英語までなんか言ってるし。へったくそ」


 それ、お前が言えることかよ。

 中学校の授業で当てられた時、風香が「does」

を「ドエス」と読んでいたのを、私は知っている。


「……目くそ鼻くそをわらう」


 ため息をつき、前を向いて風香の愚痴を聞き流す準備をする。しかし、風香の声は一向に聞こえなかった。怪訝に思って横を見ると、こちらを見て風香が固まっていた。あ、と私は思わず自分の口を覆った。

 ガタンガタン、と電車の音が大きくなる。電車が静止したのと同時に、風香が何かを堪えるようにして言った。


「誰が、何だよ」


 扉が開くと、風香はそそくさと立ち上がって電車から降りる。私も急いで風香に追いついた。二人とも何を言うわけでもない。もともとこの駅で降りるつもりだったし、家が近いから別行動をとる必要もない。ただ黙って、並んで歩いた。


「あのさ」


 マンションの下まで来て、風香が立ち止まった。


「ごめん、やっぱなんもない」


 風香は少し目を伏せて再び歩き出した。

 二人でマンションの中に入る。薄暗い一階で、足音だけがやけにうるさかった。エレベーターの前まで行き、三角のボタンを押そうとして、二人の指が重なる。私が手を下ろして、風香が押した。すぐに来たエレベーターに乗る。風香が私の分も階数指定のボタンを押した。わずかに揺れて、次に浮遊感がやってくる。


「あのさ、風香」


 今度は私が切り出した。風香は私の前にいたが、鏡で表情は互いに見えていた。


「ああいうの、良くないと思うよ。身体の不自由な人のことをあんなふうに言うのは。差別だよ」

「それって、あのガイジのこと?」

「ガイジって。言い方」

「何、差別用語だ、って?」


 肯定の意を含めて睨むと、風香がこちらを振り向いた。は、とわらう。


「結衣もじゃん。それに、あたしのことも馬鹿にしたでしょ。偽善者」

「待って。何のこと?」

「自覚してないあんたの方がタチ悪いよ。鼻くそも目くそも、ただの悪口じゃん」

「そういうつもりは……! それはそういう言い回しがあるってだけで」

「別に説明されなくても知ってるし。ていうか由衣、だから嫌われるんだよ」


 風香の言葉に、私は押し黙る。


「あたしも、他人のこと言えないけど。どっちもどっちじゃない」


 皮肉げにわらって、風香がエレベーターから降りた。いつの間にか、着いていたようだ。風香は「じゃあね」とだけ言って、私に背を向ける。

 私は、閉じていく扉をぼうっと眺めた。風香と未だに一緒にいる理由、いや、動機に、今気付いた。風香とは多分友達ではないけれど、私には他にもいないのだ。学校ではいつの間にか一人になっていた。だから風香がいないと自分を保てなかった。でも多分それは私だけではない。

 風香とはこれからも一緒に下校するのだろうと思った。

この二人の女子高校生や、登場した男性に、作者は特に何の感情があるわけでもありません。でも、こういったことに対して不快感を覚えると共に、登場人物の誰かには共感する部分が少しはあり、自分の中の醜さを見つめてしまいます。人の弱い部分ばかり見たくなる時が誰しもあるのではないかと、少なくとも作者は思っています。書いていてかなり辛かったです。これをきっかけに何らかの感情が動いた方が、もし評価やブックマークをしてくださると、作者冥利に尽きます。読んでくださりありがとうございました。

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