呪われた皇女、竜帝陛下に拾われる。 竜帝に愛されたのは可憐な白猫子猫でした。魔女の呪いで猫に転生したお姫様、白銀の竜帝に救われ愛されます。
「お前など、畜生道に堕ちれば良いのよ! 魂が擦り切れるまで動物として生きる呪いをかけてあげるわ!!」
白銀に凍りついた宮殿。
灰色に染まったその景色の上空に浮かぶ魔女。
白い髪、白いローブがはためき、そこから覗く細い枯れ木のような手足が揺れた。
「なぜなのです! わたくしたちが貴女に何をしたというのですか!」
氷結が吹き荒ぶ中ただ一人佇む少女がそう抗うように叫ぶ。
周囲にはただただ理不尽なその災厄によって絶命した人々。
少女を祝おうと集まってくれた者たちが物言わぬ氷の彫像となって転がっている。
魔女の、最後の呪いの為に生かされたその少女に。
しわがれた声が響いた。
「ざまあみろだわ。このアタシをのけものにした報いよ」
「そんな」
「お前が生まれた日、神々と共にお前に祝福をあげたこのアタシの恩を忘れ、この祝宴に招待しなかったお前の父親が悪いのよ! はははっ」
狂った笑いが響く中。
少女の足元も段々と凍りついていった。
死を覚悟した彼女はそれでも両手を胸の前に合わせ、祈った。
(わたくしのせいで……。ごめんなさい。神様、わたくしはどうなっても構いません。でも。ここに集まってくれた全ての人々にはせめて来世で幸せな一生を送れるようお力添えをお願いいたします……)
目の前には氷像となった両親の姿。
そして、最後まで自分を守ろうと魔女を睨みつけ立ったまま氷漬けとなった、騎士、ユリウスの姿を目に焼き付け。
少女の意識はそのまま途切れたのだった。
ああ、どうか。
ユリウス様が来世で幸せに暮らせますように。
そう願いながら。
■■■■■
それはまだ神々が身近にあった時代。
古の聖皇国、ケイローン。
永く栄えたこの国が滅ぶのは一瞬のことだった。
皇帝サジタリウスの一人娘セレナの17歳の誕生日。
国内外から要人賢人を招き大々的な祝いの場を設けたそのパーティの場で悲劇はおきる。
パーティに招待されなかった事に怒った氷の魔女グラキエスによって、皇国首都サイロンは一瞬にして凍りつき。
そして。
グラキエスはセレナに呪いをかけたのだった。
「お前など、畜生道に堕ちれば良いのよ! 魂が擦り切れるまで動物として生きる呪いをかけてあげるわ!!」と。
輪廻転生。
全ての魂は死と共に大霊に溶け混ざり、新しい生として生まれ変わる。
しかしセレナにはそれすら許される事は無く。
最初に気がついたとき。
その生は一瞬で潰えた。小さな虫に生まれやっと陽の光を見れたと幸福感に包まれた瞬間に、セレナの第一の転生は終わったのだった。
他の何かに食べられたのかもしれない。
それとも、ただただ押しつぶされたか何かかもしれなかったけれど。
それはセレナ自身には判断がつかなかった。
その後。
何度も何度もそうした小さな命を巡った後。
彼女の魂は草食動物の中にあった。
細い手足を伸ばし大地を駆けるその気持ちの良さに幸福を感じたとき。
大きな肉食獣によってその体は噛み砕かれ絶命した。
その後も似たようなものだった。
自身の肉体が肉食動物のそれであった時もあった。しかし。
セレナはそれが自然の摂理であるとは理解していても、どうしても他者を殺して食べる事ができなかった。
命はめぐる。
頭では充分わかっている。
生き物としての本能もそれを求めていたにも関わらず、人としての記憶がそれを邪魔するのだった。
その分、そうした肉食獣に転生した場合の一生は短かかった。
その後も何度も何度も色々な生き物に転生しその生を終えていったセレナ。
時には蛇に、そしてダニであったことも蚊であったこともあった。
本能のままに人の血を吸って、満腹感に浸ったままパチンと潰されたことも。
呪いによって記憶を保ったまま次々に別の動物に生まれ変わる彼女の心は疲弊し。
絶望を通り越して悲しみの底にまで落ちたセレナ。
自分が自分であるという尊厳も擦り切れて何処かへ行ってしまったと思われたそんな時。
次に生まれ変わったのは小さな哺乳類だった。
ただひたすらに本能の赴くまま母親の乳を求め。
そして。
全身を優しく舐められることに喜びを感じた。
そこは、林の中の薄暗い木立の根元であったか、堆積した枯葉や枝に隠されたそんな僅かな隙間に彼らはいた。
目はまだよく見えなかったけれど、周囲にある温もりが彼女にとって安心できる存在であるということだけは理解できた。
ゴソゴソと動く小さなその命が自分の兄弟姉妹なのだと。
そして、自分を舐めてくれる大きなふわふわもふもふとしたものが、自分の母親なのだと。
やがて。
体も少しだけ大きくなり自分で自分の体を支えることができるようになると、兄弟たちはそのねぐらを這い出して外の世界へと飛び出して行った。
母親がビャーと鳴く声が聞こえる。
ああこれは自分達を呼んでいるのだとそう思ったセレナも、遅ればせながらねぐらを這い出て。
目に光が飛び込んできたと思ったら、身体中を母親が舐めて綺麗にしてくれた。
それは。
綺麗な白い長毛の猫だった。
兄弟たちの中には黒いのもまだらなのもいたけれど、セレナ自身も自分で見た感じでは母親のような白い子猫で。
兄弟皆で母親について動く。
時には狩の真似をして昆虫を捕まえる兄猫。
そして母親が狩った鳥に皆で食らいついて食べる。
数ヶ月の間は母親のお乳をもらえたセレナにも、母猫はそんな狩を教え勧め。
肉を食べるように促すようになった、けれど。
段々と弱っていくセレナは、皆の足手纏いになるようになった。
最初のうちは口に咥えて運んでくれていた母猫も、大鷲に襲われた時にはとうとう他の兄弟を逃すのが精一杯となり、ついにはセレナを庇って大鷲の爪に倒れた。
泣いて、泣いて。
声が枯れるまで泣いたセレナ。
自分のせいで。
兄弟たちから母親を奪ってしまった、と。
泣きからしたセレナはただ一人、いや、一匹。
林の中を彷徨ったのだった。
木苺や木の蜜を啜り、なんとか命を長らえてきたそんなセレナ。
しかし子猫が一匹生きていくには自然は過酷すぎた。
灰色狼に目をつけられ追い回された挙句、噛みつかれ傷だらけになったセレナはそのまま息絶えるかと思われた。セレナは、白猫子猫の生もこれでおしまいかと、諦め意識を失った。
■
パチパチと暖炉に火がともっている。
まだ早春とあって夜は冷え込む時もある。この夜もそんなふうに外は冷たい風が吹いているだろうに、ここは随分と暖かい。
意識が戻った時、セレナはそんなふうに部屋の暖かさに感謝して。
自分の置かれた状況を把握するのはワンテンポ遅れた。
「目を覚ましたかな」
こちらを覗き込む大きなコバルトの瞳。
白銀の髪はゆったりと背中に流れ、そして頭上に見えるのは柳の枝のようにしなった二本の大きな角だった。
大きな手で優しく撫でてくれる彼に、何故か警戒心を抱くこともなく喉をゴロゴロと鳴らしてしまったセレナ。
傷だらけだった身体はどうやら癒えていた。
魔法?
うん、これは回復魔法のおかげかも。
そう理解するのにそこまで時間は掛からなかった。
「起きたならこれを食べるといい。弱った身体は魔法じゃ回復させられないからな」
そう言って器に入れて差し出してくれたのは、温かいスープだった。
ああ、もちろん熱すぎないようにぬるめになっていて、促されるままぺろぺろと舐めるように飲み込むと、その滋養が渇ききったセレナの猫の体の隅々にまで染み渡っていくようで。
お腹がいっぱいになって満足していると、彼は温かいお湯にタオルを浸し、血で固まったセレナの毛を優しく拭ってくれた。
そして。
乾いた布で水気を拭き取ると、あらためて彼女を撫で回して言ったのだ。
「綺麗だな。真っ白な長毛が輝いているよ。きっとあの人と同じように美人になりそうだ」
そう、遠い目をして語る彼。
「俺の名はアウグストゥルス、見ての通りの竜人族だ。お前は、そうだな。セレナと名付けよう。あの人と同じ魂の色をしたお前にぴったりの名前だとは思わないか」
そうセレナの猫の瞳を覗き込んで優しく微笑むアウグストゥルス。
(え? どうして?)
思いもかけず自分の名前を呼ばれ、動転したセレナ。
それでも。
もしかしたらこの人は、あの時に亡くなった方のどなたかなのだろうか。
自分はこうして動物に転生するしかできず、もう彼らと共に歩むことはできないけれど。
あの時の皆が転生し幸せな一生を送り直してくれたのだったら嬉しい。そう思ったのだった。
無骨な手ながらもかいがいしくお世話をしてくれるアウグストゥルスのおかげか、セレナの容態はどんどんと良くなっていった。
多分その中には動物性の栄養素もふんだんに入っていたのだろう。人が食べるには薄味なそのスープは、きっとセレナのために用意をした一品で。
滋養に富んだその食事のおかげで、セレナはぐんぐんと成長していった。
生まれたばかりの子猫にしか見えなかったセレナ。
しかし数日後には自分で立って動けるようになり。
そして。
椅子に座ったアウグストゥルスの膝の上に飛び乗り、そこで丸くなる。といったこともできるようになっていたのだった。
元気になったらお外に放されるのかな?
そうは思ったが、それでも自分が元気になったところを見せて。
お礼にいっぱい頭を擦り付ける。
今のセレナにはそれしかできなかったから。
数日後。
二人がそうして過ごしていた山小屋に、来客があった。
「お迎えにあがりました陛下」
そう、話す従者風の男性。
「ああ。無事に事は済んだ。そろそろ国に帰らねば皆が待っているだろうな」
「ええ。陛下の凱旋を皆心待ちにしております」
恭しくそう語る従者に、アウグストゥルスは腰を上げる。
「ラクラス。この猫を城に連れていく。私の部屋に温かい寝床を用意しておいてくれ」
「なんと、陛下、そのようなケモノを」
「これは私の大事な猫だ。粗末に扱うことは許さない」
恭順の意を示し恭しく腰を折る従者ラクラス。
そのまま馬車に乗せられたセレナ。
始終アウグストゥルスの膝の上で彼の話を聞きながら過ごした。
■
「物心ついた時、前世の記憶を取り戻した俺は、ただひたすらに氷の魔女の行方を追った。
あれから既に千年は過ぎ、もはやケイローンの記憶などこの時代の人々の心には残ってはいなかったのにな。
この世界で偶然にも竜帝となるべくして生まれた俺は、それでも人々に氷の魔女の危険を訴え、
そして魔女と対峙したのだ。
たった一人で」
そこまで一気にしゃべってから、アウグストゥルスは一旦ため息をついて。
「こんなことお前に話してもどうにもならないのにな。お前は猫なのだし」
「にゃぁ」
「ああ。答えてくれるのか。ありがとう」
「にゃにゃぁ」
「そうか、聞いてくれるか。
アウグストゥルスは笑みをこぼして。
「魔女は強かった。大勢の家臣を連れていくことはできたが、何人いてもそれは足手纏いにしかならなかった。一瞬で凍らされ無力化されるあの魔女の力には、俺一人で対決する方が良いと、そう判断したのだ」
竜帝陛下、直々に?
危険を冒して魔女とたった一人で対峙したって。
セレナは驚愕に目を見開いてアウグストゥルスの話を聞いて。
確かにあの魔女と対等に渡り合えるものでないと、一瞬で死が待っているだけ、というのはわかる。
でもそれでも。
「にゃにゃぁ」
大変だったのね。
セレナはそんな想いを込めて鳴いた。
伝わらないだろう、それはわかっていたけれどそれでも。
セレナのそんな鳴き声に癒されたかのように笑みをこぼして。
「ああ。お前が本当に姫の生まれ変わりで、そうして言葉がわかるのなら。俺はなんとでも、どうとしてでもお前を姫の姿に戻してやるのに」
そう呟いた。
「魔女は倒した。しかし、その最後に氷の魔女は言った。俺たちの探している大事な姫は人には転生できないよう呪いをかけた、と。もし今この世界に彼女が在ったとしても、それは虫かも知れないし小動物かもしれない、人では無いものでしかないのだと」
「くそ! あの魔女め、意趣返しのつもりなのかは知らないが死の間際にそんなことを言いやがって! おかげで呪いの解き方を吐かせる間も無かった。女神の計らいで俺たちはこうしてこの時代に転生できたというのに肝心の姫が……」
語っているうちに激昂し、最後は泣き崩れるように声が小さくなって行った竜帝。
(でも俺たちって。他にも何人かケイローンの方々が転生しているのかしら。であればよかった。わたくしの願いは天に通じたのですね……)
セレナはそれが嬉しかった。
自分はともかくも、あの悲劇に巻き込まれた人々が転生し幸せな人生を送り直せたのならそれが嬉しい、と。
それに。
もしも呪いを解くことができたのだとしても自分は猫であり、この人たちと共に人として歩む事は叶わないのだ、と。
自分にできることはせめて、この姿で彼を慰めてあげることだけだと。
セレナは頭をアウグストゥルスの体に擦り付けて「にゃぁ」と鳴く。
親愛を込めて。
その気持ちが通じたのか無骨な手でセレナを撫で回してくれる彼。
「魔女を倒したのち前線のキャンプ地としていたあの山小屋に戻る途中でお前を見つけた。灰色狼がもて遊ぶかのように噛みついていた毛玉がお前だった。瀕死の状態ではあったが俺にはお前の魂の光が見えた。セレナ姫と同じ魂の色を」
「魔女の話を聞いて居なかったら気がつかなかったかもしれない。いや、聞いたからこそそう思いたかったのかも知れない。思い違いでもなんでも構わなかった。俺はお前を放っておけなかったんだ」
セレナを抱きしめて頬ずりをする彼に。
彼女もその彼の魂に懐かしさを感じて。
「俺は姫に恋していた。騎士ユリウスはその一生をかけてセレナ姫を護るのだ、そう誓ったはずだったのに」
(ああ。ああ。ユリウス。あなたはユリウスだったのね……)
彼女も、セレナも、ユリウスを愛していた。
ああ、どうか。
ユリウス様が来世で幸せに暮らせますように。
それが彼女が死ぬ間際、最後の願いだった。
アウグストゥルスの頬にひと筋の涙がながれ。
セレナはそれを舐め、そのまま頬にキスをした。
その時だった。
彼女の身体が白銀の光に包まれ。
マナの糸が吐き出され周囲を覆った。
そして。
セレナはアウグストゥルスの腕の中で、真っ白な繭となったのだった。
■■■■■■■■
竜帝の凱旋。
それは帝都において盛大なパレードをもって披露された。
そして、彼が連れ帰った女性との婚約も同時に発表されたのだった。
白銀の竜帝の隣に並ぶ白銀の美女。
魔女の呪いによって引き裂かれていた前世からの恋人。
そのロマンスは民衆にも広く知れ渡り。物語として末永く語り継がれた。
マナの繭が弾けた時、セレナは以前と変わらぬ人の姿を取り戻していた。
それは魂に刻まれた彼女のすがたをマナに写し取って、そして再現したかのような魔法。
魔女の呪いによって妨げられていた、女神の恩寵であったのかもしれない。
これはまだ、神々が身近にあった、そんな時代のおはなし。
End




