ライライ村
ライライ村は、アルタイル王国から少し北上した場所にある小さな村落である。人口も少なく、村の端から端まで歩いたとしても十五分もかからない。農業で生計を立てている者が多く、比較的年齢層も高めの村だった。実際見える範囲でも、畑を耕している老人や、家畜の世話をしている老婆などが目に入った。
俺たちがライライ村に辿り着いた時には既に陽は沈みかけており、夕日が赤く空を染めていた。村からはどこか落ち着いたのどかな雰囲気が感じられる。時刻的に皆、仕事が終わりかけなのだろう。
俺とミランダが村の入り口に到達すると、一人の村娘が近付いてきた。
「あ……お二人はまさか……⁉」
そうしてこちらを見て一驚した。ミランダが彼女に言葉を返す。
「私たちはアルタイル王国から来た勇者とその仲間です。魔王を討伐するため、本日より旅に出ることになりました」
早速、ミランダが礼儀正しく村人に挨拶をした。如才ない態度は旅人としての模範といえたのかもしれない。俺は後ろで黙って立っているだけだ。
「あなた方が、噂の……⁉」
ライライ村からアルタイル王国までは比較的近い。そのため、今日から勇者達が旅立つという情報はなんとなく入っていたのだろう。彼女は手を口元に当て、どことなく尊敬の眼差しでこちらを見ている。悪い気はしないが、同時に罪悪感も感じてしまう。俺は勇者という使命を果たす気などさらさらなく、途中で投げ出す気でいるのだ。思わず目を逸らしてしまった。
村娘と俺たちが会話をしていることに、他の村人もどうやら気がついたようだ。そこら中の村人達がわらわらと俺たちの近くへと集まってきた。
「勇者様だと?」
「そうか、今日はいよいよ旅立ちの日じゃったか」
「いよいよ、魔王討伐に向かうのね。お若いのに立派だわ」
そうして人だかりに囲まれ、様々な言葉を投げかけられる。こういった小さな村は、イベントがあるごとに騒ぐことが多い気がする。日々平穏と過ごしているため、ちょっとした出来事が大きいように感じられるのかもしれない。
あっという間に村人に囲まれていき、人だかりがさらに何事かということで人が集まってくる。
どうでもいいが、俺はこうして注目されてしまうのが本気で苦手だった。どう対応して良いのかもわからないし、そもそも期待される道理はないはずなのだ。単に勇者という称号を持っているだけで持て囃すのは止めて欲しい。
ミランダが愛想良く対応していき、村人は好意的に質問などを投げかけてくる。これからの目的や旅立つにあたっての意気込み、勝算について問われる。だが、旅立ってまだ半日も経ってもいないのに大した考えなどあるわけがない。俺はまだ学生気分なのだ。しかしミランダは意識高い発言をバンバンしていく。
「そうですね。私たちはまだまだ未熟であると自覚していますので、一筋縄にはいかないと思います。これから冒険をしていくことで、己を鍛錬し成長していき、目的を達せられればと考えています」
「まずはグラリア王国へ向かおうと考えています。グラリア王国は多くの人々が集い、商業も大変発達した王国だと聞いています。そこで武器防具等を調達し、また情報収集をしていく予定です」
「非常に厳しい戦いになるということは理解しています。先だって討伐に向かった英雄は悲しい結末を迎え、志半ばでこの世を去ってしまいました。しかし、私たちはそのようなことにはならないので安心して下さい。必ず魔王を倒し、皆様に平和と安寧の日々を取り戻すと約束いたします」
勝手に約束されても困るが、ミランダは決意を持った口調で、集った人々に演説していく。人々は、しきりに感心している。彼女は民衆の心を掴む力も持っているようだった。
俺が何も喋らずに横に突っ立っていると、ミランダに肘で小突かれた。
「なんだよ?」
「勇者、あれをお渡ししてあげて」
「あれ?」
「種よ。ほら王様に頂いたでしょ。皆様に配ってさしあげないと」
「え……」
どうやら、城を出る前に貰った種を渡せと言うことらしい。正直、ミランダが発案したことなのだから、お前が渡せよと思っていた。何より俺は、自分から話しかけに行くのが苦手なのだ。断りたい気持ちもあったが、こそこそとミランダと密談していたため、村の人からなんだなんだという感じの視線を注がれる。ちょっと変な空気が流れてしまう。そのため仕方なく渡さざるを得ない状況になってしまった。俺はパンパンに詰まった袋をポケットから取り出し、彼女らの前に歩み寄っていく。
「えっと、これ、種です」
種を一粒取り出して、恐る恐る一人の女性に向けて差し出した。
「種? えっと……」
俺がたいした説明せずに渡そうとしたためか、彼女は困惑した表情を浮かべている。
何これ? と言いたげな顔だ。それも当然だろう。俺だって急に種を渡されると言われても、意味がわからず混乱すること間違いないのだから。とち狂ってると思うかもしれない。
ともかくも、このまま彼女が受け取らず、種渡しがおじゃんになって欲しいという願いを込めて黙っていると、ミランダが口を挟んだ。
「こちらアルタイルの種になります。我が国自慢の植物で、温かくなると色とりどり様々な花を咲かせます。せっかくの出会いの記念として人々に配っているんですよ。良かったら皆様も土に植えて育ててみてください」
彼女が補足説明をしたためか、女性は微笑を浮かべ、俺の手から種を受け取ってくれた。若干戸惑いながらも「ありがとうございます」とお礼を言われた。
そうして、周りにいる他の人々にも次々と種を渡すことになった。一人一人に近づいていき、種を渡していく。なんというか、順番に渡していく様が、単発バイトでもやっているかのようで嫌だった。一応、表面上は有り難そうにしているが、実際のところありがた迷惑でしかないだろう。あるいは、若者がすることだからと、おおらかな気持ちで見てくれているのかもしれない。いずれにしても、意味のわからない行動だと改めて思ってしまう。実際、俺がいきなり種を渡されたりしても、渡し主がいなくなったのを確認した瞬間、剛速球を投擲するかのごとく遠方へ投げ捨てていることだろう。
集まってきた人々に種を渡し終え、なあなあな感じでその場を終える。村人は俺たちの前から離散することとなった。疲れたから宿に行って休みたいところだったが、ミランダがまだ会っていない村人と話したいと言いだした。逆らうことのできない俺は、仕方なく家々を尋ねて廻ることにした。村人と雑談をし、その旅に種を渡さなければならなかった。特に有益な情報を得ることはなく、無駄骨だった気がしてならない。ともかくも、ライライ村の全ての家は廻ることができ、俺はようやく肩の力を抜くことができた。後は宿に行って休むだけだ。
陽が完全に沈み、村は暗闇に包まれた。外にいた人々の大半も、家々に帰宅したようだ。家々からは温かな明かりが灯り、静謐とした空気が村に流れているように感じられた。
「よし、それじゃ宿に向かうか」
俺は伸びをしながら、提案をする。
「ええ、そうしましょう」
ミランダは了承を示すが、どうも彼女の機嫌が悪いことに気がついた。語調が、どことなく乱暴になっている。俺と彼女の付き合いはかなり長い。幼い頃から一緒にいたため、彼女の機微の変化はなんとなく察することができた。
とはいえ、いつも彼女が何を求めているのか、俺には理解できないでいた。それは恐らく彼女も、俺に対して同じようなことを思っていたことだろう。その度に衝突し、言い争いになった。もっとも言い争いというより一方的に俺が負けるため、言いくるめられるといった方が正しかったのかもしれないが。
単純に彼女とは価値観が合わないのだと思う。そもそも魔王をなんとしてでも倒したいミランダと、早々に切り上げて旅を止めようとしている勇者の意見が合うはずもなかった。考えたくもないが、恋人同士であればとっくに破局を迎えているほどの価値観の差だと思う。
ともかくもあまり気にしていても仕方がない。わからないものはわからないのだ。恐らく、有益な情報を得られず、今日一日前進しなかったことに憤っているのだろう。そう考えることにして、俺は宿に足を向けた。