怒りの矛先
「勇者様⁉」
再び覚醒し、現実世界に意識が戻ってきて最初に聞こえたのは、アイリの心配そうな声だった。
「アイリ……か?」
「よかった。全身に酷い火傷を負われていまして……完治するまでもう少し時間がかかりそうです」
安堵した様子で応えるアイリ。真剣な様子で、手を腹に当て回復に専念している。
「ミランダは⁉」
俺は勢いよく起き上がる。全身に火傷による痛みが走った。
「勇者様! まだ動いてはいけません。ミランダさんは今、一対一でブラックヒドラと戦っておられます」
見ると、随分離れた場所で、地上に降りたブラックヒドラとミランダが戦っているのが見える。魔法による光が双方に向かっていったり、ブラックヒドラが接近し爪での攻撃を仕掛けているのが見える。上手いこと回避しているが、遠目から彼女の焦りと怪我を受けているのがわかった。すぐに助けにいかなければ不味いと直感的に感じてしまう。
俺の頭の中に、またしてもあいつの声が聞こえてきた。
——グレイブ、剣を持て。
俺は傍にあったツーハンデッドソードを持って立ち上がる。
「勇者様、いけません! まだ傷が治りきっていません。この傷で戻るのは危険です!」
アイリに止められるが、俺は構わず一歩一歩進んでいく。
——後は頼んだぞ。
頭の中にあいつの言葉が反響する。俺は、ぽつりと言葉を返す。
「てめぇが……」
「え?」
自分に声をかけられたと思ったアイリが、不思議そうに問い返してくる。
俺は、彼女の方を振り向かず走り出した。
アイリが「勇者様!」と叫ぶ。
俺は構わず、走ってブラックヒドラの元へ向かう。
そうしてこれまでの鬱憤を晴らすかのように、あいつに向かって怒鳴り声を上げた。
「てめぇが死んじまったら、意味ないだろうが!」
俺はもういないあいつに向かって声を上げる。
父の訃報を聞いてから、幼かった俺は泣きもしなかったため、強い子だと周囲に言われた。無責任な大人たちから、さすがは勇者の子だとも言われた。だが、自分自身の感情がなにに属するのかわかっていないだけだった。
ブラックヒドラとの命を決する戦いを経験したことで、不思議と俺自身の父への感情の正体を気がついた。
それは怒りだったのだと思う。勝手に旅立って行った父。約束したにも関わらず戻って来ない。必ず戻ってくると言ってくれたにも関わらずだ。
あいつがもう何年か待てば、俺と共に行くこともできたはずなのだ。それを強い正義感から、早く平和にしたかったという理由から、全てが無意味と帰してしまった。
だから精神論は嫌いなのだ。
思い起こせば、俺の性格がここまでねじ曲がってしまったのも、父がいなくなってからだったように思う。事あるごとに勇者という立場や、古くから伝わってきた慣習に不満を持つようになった。細かな社会情勢に心の中で突っ込みをせずにはいられなくなり、駄目そうだと思ったらすぐに諦める癖がついた。
そして、勇者が魔王を討伐するべきだという空気が作られてしまったことにも疑問を感じるようになった。最初の勇者が途中でやられてしまった時点で、周りの人が止めるなり手伝うなりしておけば、父は死ななかったかもしれないのだ。一人で旅立つと言い出した父も悪いが、それに甘えてしまっている民達も悪い。俺が、旅の途中で疾走してしまおうと考えているのも、この脈々と続いてきた制度を終わらせてやろうという意味合いが強かったのかもしれない。
俺は走っていき、ミランダの近くまでやってきた。
ミランダは肩から血を流し、表情も焦燥しきっている。俺が少し気を失っている間、相当激しい戦闘が行われていたようだ。
「ミランダ!」
俺が声を上げると、ミランダがこちらを向く。
「勇者、あなたまだ傷が……」
俺の着ている服の上半身は破れ、肌は赤く爛れている。だが、痛みはあるが、動けないほどではない。
「一旦下がって、アイリに回復してもらってきてくれ」
「でも、勇者……」
「大丈夫だ。一人でなんとかしてみせる」
俺はブラックヒドラを見据えてそう応えた。
自信があったわけではない。でも強がっていたわけでもなかった。もしかしたら俺は怒りの矛先を見失っているだけで、この魔物に八つ当たりがしたいだけなのかもしれない。
俺の真剣の様子が彼女にも伝わったのか、彼女は頷き、戦線離脱する胸を伝えてきた。
「わかった……傷を手当てしたらすぐに戻るわ。頼むわね……」
ミランダは気だるそうに言って、アイリの元へと向かって行った。普段はしっかりとしている彼女だったが、思った以上に心身共にダメージを負っていたのかもしれない。覚束ない足取りである。
そうして、少し離れたところで倒れてしまっていた。アイリが駆け寄っていく。
(ミランダも限界だったか。危なかったな……)
改めてブラックヒドラのやばさを認識する。ミランダさえいれば大抵のことはなんとかなると思っていた。だが、やっぱり彼女も一人の人間で、強大な敵を前にしてしまえば、為す術がない場合もあるのだ。
ブラックヒドラは、再び復帰した俺を警戒しているのか、すぐに攻撃をしてこなかった。
俺はジリジリと左方向へと動いていく。
少しミランダとアイリからの距離を離しておきたかった。炎などによる攻撃が、回復中のアイリの方へ飛んでいったらまずい。
俺の動きに合わせて、少しずつだが接近してくるブラックヒドラ。どうやら一対一で戦ってくれる気らしい。
ある程度距離を離し、俺は立ち止まる。
じっくりと目の前にいるドラゴンを見据えた。
改めて見るブラックヒドラの威圧感は相変わらずだが、先ほどより恐怖心は和らいでいるかのようだった。死の淵に立つことで、逆に平常心を取り戻す。人間とは不思議なものだ。
俺はかつて父がなんて言っていたのか思い出す。父のことは尊敬こそしていたが、俺は当時全く言われたことを無視していたように思う。根性曲がりな性格だったため、素直に従いたくなかったのだ。
「グレイブ、お前は剣の才はあるが心が弱すぎる。すぐに卑怯な手に頼るのは愚策というものだ」
「卑怯じゃないよ。楽そうに勝てる選択肢を選んでいるだけだよ」
「さっきも手に泥を投げて目潰しをしようとしてきたが、あんなものは集中している相手に効くわけがない。この間は木の陰から出てきて不意打ちをしようとしたが、優れた剣士は常に警戒しているものだ。簡単に回避されてしまう」
「でも大分前にやった不意打ちはうまくいったよ」
「あんなものは成功とは言わん。いいかグレイブ、相手と真剣に向き合って戦うことで見えてくるものがあるんだ」
「例えば?」
「相手の呼吸、独特な癖、嫌いな形、性格等々。向き合うからこそ見えてくるものがある。それを最初から、ずる賢く倒そうとしていけば、相手を観察する能力も身につかない。そして相手をしっかり見ることで、勝機に繋がることもあるんだ。最初から負けているからと思って、始めから狡い手を使うのは間違いだ」
「わかった! じゃあ相手を真剣に見て、それから楽に勝てる方法を考えるよ!」
「お前な……」
確かに真面目に敵と向き合うということは、旅が始まってから一度もなかったような気がする。
俺はブラックヒドラをしっかり見て、相手の動きを待つ。
今までにもなく真剣に、丘の主と再び対峙するのであった。




