幼き日の思い出
——グレイブ
どこかで俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。
——グレイブ、剣を持て。投げ出せばそこで全てが終わりだ。
ああ。これはあいつの声か。
随分と懐かしい声。
今はもういないあいつの声。
だけど、今でもはっきりと耳に残っている。俺に剣の基礎を教え、毎日のように稽古をつけてくれたあいつの声は、今でも耳にこびりついている。
アルタイルでの幼い頃の一齣だ。あの頃はまだ、将来は逞しく立派な剣士になろうと、頑なに信じていたっけな。
「お前のよくないところは、そうやってすぐに諦めの心が出てくるところだ」
あいつは、偉そうに俺に向けて説教をしている。
どうやら俺は夢を見ているようだ。ここ最近はずっと見なかった夢。当時のアルタイル最強の剣士に稽古をつけられていた時の夢想であった。
「でも、僕の方がずっと身体が小さいし、大人なんかに勝てるわけないよ」
今より随分と身体の小さい俺が、言い訳じみた言葉を口にする。幼い頃から性格自体は変わっておらず、俺は稽古中ことあるごとに陳弁を振るった。
「そうやって諦めの心が出るのがよくないといつも言っているだろう。能力を最大限に出し尽くせと言っているんだ」
「でも、勝てない相手にはどうやったって勝てないよ。三十六計逃げるにしかずって言うじゃないか。見切りは早いほど、被害を最小限に食い止められると思うんだ」
俺には、実は負けず嫌いな一面もある。稽古中、完膚なきまでに叩きのめされた後は、必ず思い立った言い訳をぶつけた。
呆れながらあいつは応える。
「お前は……ほんと弁ばかり立つな。そういったところは母さんに似か……」
「どっちに似てるとか関係ないよ。僕はただの精神論じゃなくて、理論的に物事を捉えたいんだ」
昔から可愛げのない子供だったと思う。不満があると、ことあるごとにぶつくさ文句を垂れていたように思う。もっともこの性格もミランダによって去勢され、段々と無口な男へと変わったわけだが。
「グレイブ……精神論と馬鹿にするがな、そもそも気合いがなければ勝利も逃してしまう。特に同等の相手が敵の場合は、心の持ちようで勝敗を決してしまうんだ。だから戦士は精神を鍛えていく必要がある」
俺の言い訳に対して、苛々することもなく、真っ向から応えるこの男は本当に人間ができていたのだと思う。実際、返ってくる言葉は正論ばかりだったし、強くなる心構えとしては納得できる部分も、今考えれば多かったように思う。ただ当時の俺は単純に歯が立たないことに、腹を立てて、正に聞く耳を持たない状態だった。
「父さんは、同等の人間じゃないやい。僕、もう疲れたから今日はやめるよ」
そう言って、俺は木剣を放置したまま、家へと戻っていく。
「おいグレイブ、私が言っているのは例え格上であっても、常に勝つつもりでな……」
父の言葉を全て聞かず、家へと入っていく俺。
俺はこんな風に、幼い頃から毎日のように厳しい稽古を父につけられていた。
そうして負ける度に言い訳を垂れた。
父の稽古は強い戦士に育てるプログラムだったため、辛いことが多かった。それでもなんだかんだで続けていたのは、純粋に強くなりたかったからだろう。
俺は多分……父に憧れていた。
そんな毎日に終わりが訪れたのは、新たな魔王が復活し、第一の勇者の訃報を知らされてからだった。ある日の稽古終わりに父は言った。
「グレイブ、私は旅立たなければならなくなった。明後日には出立の予定だ」
俺がこの時なんて返したか、あまり詳細に覚えていない。ただ、父が行ったら二度と戻って来ないような気がして、必死に引き留めたのは記憶に残っている。
「誰かが行かなければいけないのだ。魔王を放っておけば犠牲者が増えるばかりだ。これはアグストリア家に生まれた宿命みたいなものだと思っている」
使命を帯びた父の目には、力が宿っていた。それでも幼い俺は……父の言葉に共感を覚えることがなかった。
「前の勇者は死んじゃったらしいじゃないか。父さんももしかしたら……」
「心配するなグレイブ。私の強さはよく知っているだろう」
「でも……」
「大丈夫だ、必ず戻ってくる」
父は結局そう言って、家を出て行ってしまった。
俺の父は、当然ながらアグストリアの血を継いでいる。俺の前の前の勇者……ややこしいが二番目の勇者に当たるのが父だった。
だが、あれほど啖呵を切って出ていったにも関わらず、父は二度と俺の前に戻ってくることはなかった。一番目の勇者と同じように、二度と返らぬ人となったのだ。
やってきたアルタイルの兵士から報告された訃報は、淡々としていた。
母は泣き崩れ、俺はただ呆然と立ち尽くすだけだった。当時どのような感情が俺に渦巻いていたのか、言語化するのが難しい。死んだという現実を受け止め切れなかったというわけでもない。やっぱりな……というのも違う気がする。悲しいと単純に形容できない複雑な思いが、心中に渦巻いていた。
——グレイブ
——母さんを……アルタイルの皆を頼んだぞ。
旅立ちの日に言った最期の父の言葉。それは、俺の頭の中にいつまでも残っていた。




