憤怒の魔女
アイリと共に家を出て、細い路地を歩く。大通りに向かうためだ。
「しかし、ミランダさんを探すのが大変になりますね。彼女の行き先に心当たりはありますか?」
彼女に問われるが、俺にはすぐ見当がついた。
「いや、すぐにわかるよ。ほら、上空のあそこ見て」
俺は天のある一点に向けて指をさした。アイリはそちらに顔を向ける。するとそれを目にした彼女は、表情を強ばらせ唖然としながら言った。
「な、なんなんですか? あれ」
驚くのも無理もない話だ。上空に黒い煙霧が立ち上っている。その姿はさながら悪魔のようで、不吉な感じを受けずにはいられなかった。周辺の住人もそちらのほうに視線を向けて、あれはなんだとちょっとした騒ぎになっている。
あれは先ほども上がっていた、ミランダが無意識に漏らした魔力による煙霧だろう。憤怒によって生じさせた魔力の漏れ。つまりは未だ彼女の怒りが収まっていないことの証左だった。
俺はその事実を考えると身震いする思いだった。二度と姿を見ないつもりで逃げ出したはずなのに、これからノコノコと彼女の前に姿を晒さなければならない。一体どれほどの実害を被ってしまうのか、想像ができなかった。
俺は覚悟を決め、煙に向かって歩き出す。一発は魔法を喰らうことを覚悟しながら。
大通りに出ると、早朝にここを通った時よりも、多くの人が行き来していた。そこを通って行くと時々「あの煙はモンスター襲来なのか?」とか「さっき若い女の子から黒い煙が……」とか聞こえてきて恥ずかしかった。
ミランダの居場所はわかりやすかった。現在それほどアクティブに動き回っているわけでもないようだ。
アイリは、顔を少しばかり顔を強ばらせながらついてくる。仲介をすると買って出たものの、まさかあんな煙霧を立ち上らせるような魔女が相手だとは思ってもいなかったのだろう。
俺は俺で緊張していた。かつて、学舎にミランダと共にいたころのことを思い出していのだ。何かあればすぐ説教が飛んできて、勇者とは何なのか永遠と説諭をし出すマシーンと化す。
俺だけではなく、同級生も不幸だったと思う。俺と一緒に説教のとばっちりを受けていたからだ。酷いときは、廊下に並ばされて、男子七人が逆らうこともできずにミランダに正論を投げかけられた。思い出すだけで泣きそうになってくる。
さすがに全く関係のないアイリまで巻き込むようなことはしないだろうが、今の怒り具合を見ていると一抹の不安もでてくる。良心で付いてきてくれた彼女を、巻き込むようなことはしたくはない。最悪彼女だけでも逃がす判断を下すべきだろう。「俺は勇気のある男、勇者だ」心の中で念仏のように唱えつつ、煙に徐々に近づいていった。
位置から察するに、どうやら彼女は公園にいるようだった。都市の中央にある噴水のある大きな公園。前日に色々な人と話す課程で寄った場所でもあった。大通りからそのまま公園へと向かう。
公園に着くと、彼女をすぐに発見することができた。
彼女は考えこむように噴水前をウロウロと歩いていた。俺の行き場所に心当たりがないのか探っているのかもしれない。ミランダを拠点として滲み出る黒煙は、そんな噴水前で彼女が移動するとユラユラと揺れながら動いてくる。
魔物襲来と街人が勘違いするのも無理はなかった。未だ城の兵隊が飛んできていないのは、グラリア王国の軍隊の怠慢なのか、あるいは偶然他の対応に追われていてこちらまで手が回らないのか、いずれにしても奇跡としかいいようがなかった。
公園にはそれなりの人がいたが、異様な状態のミランダから距離を取るように、噴水前に誰も近寄っていかない。皆、煙を見ながら、何事かといった風に驚愕しているみたいだった。
俺は意を決して、彼女に近づいていく。声をかける。
「ミランダ!」と。
すると噴水前にいた彼女が、こちらを振り向く。そして憎悪の視線を向けられ、声を震わせながら言った。
「勇者! あなた今まで一体何処で……!」
怒気を混じらせた声を上げ、彼女も俺の方に歩いてくる。俺の予想に反して、魔法がすぐに飛んでくることはなかった。公園内には一般市民も多い。自重したのかもしれない。
「……勇者?」
俺の後ろにいるアイリが、ミランダの声に反応にして疑問を口にする。勇者ということは黙っていたため、仕方のないことではあるが、一旦彼女は置いておかなければならない。まずは怒っているミランダをどうにか説得しなければならないのだ。
「勇者……勝手に宿から抜け出して、何処へ行っていたのよ!」
彼女の憤怒の問いかけを無視して、俺は勝手に自分の言いたいことを告げる。
「ミランダ……これからミンクの丘へ行かないか?」
「ミンクの丘って、いきなり何を……!」
確かに彼女にとっては、藪から棒に何を言い出すのか、といった感じなのだろう。だが、俺は正直、怒っている彼女を前に余裕がなくなっていたのだ。だから、できるだけ省略してミランダにアイリの家の事情を説明する。
「彼女のお父さんがレッドオオバリバチに刺されて、寝たきりみたいなんだ。毒性の強い針に刺されて、歩くことも困難な状態で……」
俺はアイリを簡単に紹介し、これまでの経緯を話した。正直、突然宿から失踪した上に、魔王討伐に関係のない場所に寄り道しようとする提案に、さらに激昂すると思っていた。だが予想に反して、彼女の反応は明るいものだった。
「偉いわ、勇者! 逃げ出したのかと思っていたけれど、人助けのために奔走していたのね!」
あまりの変わりぶりに俺の方が戸惑ってしまう。瞬時にして、彼女から立ち上っている煙霧が消え去った。
意識高い系の彼女としては、人助けという前向きな行為は、勇者として好ましいと考えているらしかった。説得に難航するとばかり思っていた俺は、若干拍子抜けしてしまう。
もしかしたら彼女は、前日に説教したことにより、俺が考えを改めたと思っているのかもしれない。
昨日は、ミランダに任せっきりで、俺は、ほとんど後ろからついて行っていただけだ。説教の最中、俺の消極的な行動についての駄目だしもあった。それで、急に困っている市民を助けたい衝動に駆られたと、俺が考えたという思考回路に至ったと考えれば、怒りが静まるのも納得がいく。
なんにしても、機嫌が直った彼女に、再び油を注いでやる必要はない。とりあえず彼女の言うように、いかにも民を救いに街に出たという風を装った。そして、横にいるアイリに声をかける。
「というわけだ……アイリ、ちょっと待っててくれ。ミンクの丘に行って、必ずルーラン草を持って帰るから」
アイリは俺の目を見て、固まっていた。少し状況を整理するのに、時間がかかっているようだ。元々彼女は、俺とミランダの仲を取り持つために着いてきたのだ。それが、いきなり自分の父を救うと、目の前の二人が言いだした。混乱してしまうのは無理もない話である。
「あの……勇者様だったんですか?」
やっとのことで彼女が口にしたのは、当然の疑問だった。
「まあ……一応な」
俺は曖昧な頷きをする。今更、格好なんてつけられるわけがない。彼女には散々情けのない姿を見られている。せめて、アイリの父親の体調を無事治してあげて、少しでも彼女に良いところを見せてあげたかった。
結局のところ、今回俺が人を救おうと決意したのは、アイリにいいところを見せたいという、男の根源的なプライドによるものなのかもしれない。情けない限りだが、元々俺はどうしようもない人間だ。
「それじゃ、行くかミランダ」
「ええ、行きましょう! 勇者」
先ほど怒っていた人間とは思えないほど、快活な様子で彼女は答えた。
「それじゃ、行ってくる」
俺はアイリにそう言い残し、その場から去ることにした。アイリは呆然と立ち尽くしている。未だに何が起こっているのか整理がついていないような表情だった。
少しずつ離れて行くアイリに、ミランダは気さくに手を振っている。まだ会って間もないはずなのに、馴れ馴れしいやつだ。
彼女は立ち竦んだまま、ずっと俺の方を見ていた。言いたいことはあるが、言葉はまとまっていない。そんな感じを受けた。
(待っていてくれアイリ。必ずお父さんを救ってみせる)
それは、やる気のない俺らしくない、勇者っぽい決意だったのかもしれない。ほんの数時間だけ過ごしたアイリ宅での記憶が頭の中に過る。温もりを感じるあの出来事を胸に、俺はミンクの丘を目指すことにしたのだった。




