勇者の決心
食事が終わると、アイリの父親はすぐに自室に戻り、再びベッドに横になった。無理をしていたのかもしれない。時々咳き込むのが、隣の部屋から聞こえてきた。
俺は朝食をしたテーブル席にそのまま座っている。テーブルからは食器類を下げられ、アイリは洗い物をしている状況だ。
旅であったことを話して欲しいと頼まれていたため、俺は先ほどの続きを彼女と話している。アイリは洗い場に立ちながら、しきりに感心を寄せた様子で俺の冒険話を聞いてくれている。どうやら父親の言うとおり、旅に強い感心を寄せているというのは事実らしい。飽くこともなく、俺の会話に付き合ってくれている。
「旅なんていいものじゃないよ。危険は多いし、新しい街ではストレスも多いしな。結局、定住していた方が気楽だし、住み慣れた土地にいるほうがいいと思うよ」
これは俺の本心だった。生まれてからすぐに無理やり旅立つことが運命づけられていたため、同じ場所に留まって生活していくことへ逆に憧れがあったのだ。
「私は旅人さんが羨ましいですけどね。私はグラリア王国で生まれ、グラリア王国で育ちました。街は兵士さん達に守ってもらっているので、魔物が入ってくることもありませんし、いい人ばかりですので不満もありません。けどやっぱり他国も見て廻って見てみたいな、って思うんです」
アイリは俺とは対極の立場にいるため、現状に若干不満を抱えているようだ。
どうでもいいが、俺はいい人ばかりと言う言葉に引っかかってしまった。門を守っていた門番に、功利的な道具屋の顔が浮かんでくる。あいつらは俺の基準ではいい人には属さない。ああいった奴らも、美人で親しみ易い性格をしたアイリには、いい顔をするのかもしれない。いやらしいやつらめ。
「他国もそんなに変わらないよ。この国はなんでも揃っているしな。俺は逆にアイリが羨ましいよ」
「そうですか? 私の生活は旅人さんに比べ、平凡そのものですよ」
うふふという感じの笑みを浮かべるアイリ。一点の曇りもないその表情からは、旅立つ先にはきっと希望が満ち溢れているという期待を持っているように思えた。
だが、俺はアイリのような純粋な心を持った人が、各国で危険な目にあって欲しくないと勝手ながら思ってしまう。世界には悪意が充溢しており、それは何も魔物達だけのことではない。
「それに」続けてアイリが口にする。「ミランダさんという方と一緒だと楽しそうです」
俺の断片的な情報を聞いて、どうやらアイリはとんだ誤解をしているようだ。俺は、あいつと一緒にいると段々と寿命が縮まっていく思いだった。楽しいという概念とは対極な気分にさせてくれるのがミランダという魔法使いだ。
「いや……そんなことは……」
今日初めて会うアイリの前で、幼馴染みのことをボロクソ言うのはさすがに気が引けた。曖昧な言い回しで、難を逃れようとしていると、アイリは予想外のことを言いだした。
「ねぇ、旅人さん。やっぱり仲直りしませんか?」
「え?」
「ミランダさんとです。今日旅人さんがここに逃げてきたのは、おそらく喧嘩したからですよね? でもこのまま永遠にお別れというわけにはいかないと思います。どういった事情があったのかわかりませんが、早めに謝ればきっと彼女も許してくれると思うんです」
アイリは俺の置かれた状況を全く知らない。そのため、単純に喧嘩別れだと思い込むのも無理のないことだった。だが、俺は本気で決別の意を込めて、宿屋から脱出してきたのだ。未来永劫彼女の顔を見なくてもなんの支障もなかった。彼女は続ける。
「僅かなすれ違いで人の気持ちってどんどん離れていくものです。早めに謝っておかなければ、きっと後悔すると思います。深くなってしまった溝は埋まることがなく、後々仲直りしたくても、どうしようもなくなってしまうことがありますから」
そう言ったアイリは、どこか悲しげな表情を浮かべる。その様子から、彼女にも過去にそういった経験があったのだと想像させてくれた。
「いや、でも……」
彼女に熱心に説得されるが、俺は言い淀む。今の状況は、彼女が考えるような仲違いではなかった。そして、俺は本気で恐怖に戦いているのだ。逆鱗に触れてしまった魔女からの本気の鉄槌を。
「私も一緒に謝りに行ってあげます。それだったら、少しは気が楽になるでしょ?」
どこまでも心優しい彼女だった。見ず知らずの男に対し、面倒な仲直りの仲介まで行おうとしようとしてくれる。
もっとも普通に痴話喧嘩だった場合、アイリのような綺麗な女性が仲介に立つと、余計ややこしい問題に発展する気もするだが……。まぁ、それでも彼女の優しさは伝わった。
「わかったよ……。ありがとう」
だから、俺は了承しつつ、お礼を言う。考えてみれば、感謝の言葉を述べるのは、旅が始まって以来だったのかもしれない。
彼女と一緒に行けば、いきなり暴力を受けないという打算もあった。けれど、再びミランダに会おうと決心した理由は別にある。
今度は俺が、アイリを救いたいという気持ちが強くなってきたのだ。人としての優しさに触れて、せめて勇者として一つくらいは成果をあげたくなったのかもしれない。
一人では多分無理だろう。だが、ミランダと二人で協力すれば、無事行って帰って来られるのではないか。
質素な暮らしをしていることから、アイリと父親はきっと家計も苦しいはずだ。それなのに、俺に美味しい朝食を用意してくれた。
ミランダから逃走するために宿から抜け出したというのに、再び会いにいくという意味不明の行動を取ろうしている。
それでも一個くらいは勇者らしいことをしておけば、この先隠居生活に入った後に、自分自身の慰めにもなるかもしれない。
「謝りにいくのですね」
「……ああ」
俺はそう言い、憤怒している魔女に会いに行く決心をしたのだった。




