箪笥の中で恐怖に戦く勇者
目についた民家に駆けていく俺。
強引にドアを開け放す。中へ飛び込んだ。
「た、た、た……たすけてくれぃっ!」
おおよそ勇者とは思えないような情けない声を上げて、俺は民家に許可なく上がりこんだ。完全に不法侵入の事案だが、そんなことを気にしている余裕は今の俺にはない。
玄関に入ると、目の前に、女性が立っていた。俺の突然の侵入に対し、驚き目を丸くしている。
若い——女性だった。俺と同い年か、若干年上のようにも見える。長い黒髪で清楚なイメージを感じさせる彼女は、小さな民家とは不釣り合いのほどに、品格と美しさを兼ね備えていた。こんな状況にも関わらず、一瞬時が止まってしまったかのように、眺めてしまう。
「あの、どうかしましたか?」
どう考えても怪しさ満天のはずの俺に対し、たおやかな声で彼女に問われる。そんな落ち着き払った調子に、取り乱していた俺は少しだけ冷静になれた。言葉を返す。
「すまない。追われているんだ。少しでいい。匿って欲しい」
「追われているって、モンスターか何かですか?」
不安げに質問されるが、俺は簡素に応える。
「人だ。もし、魔女みたいな女が来たら、俺はいないと答えてくれ」
俺は、彼女の許可を待たず、近くにあった簞笥を勝手に開けた。丁度一人が入れそうなスペースが見つかり、そこへ潜り込む。
簞笥を内側から閉めると、女性は特に何も言わずに、そのままその場から遠ざかっていく。
出ていけと言われなかったってことは、居ても良いということなのかもしれないが、疎ましくは思われているだろう。
いずれにしても、外ではなく、部屋の奥へ向かったところから考えて、不審者として街の兵士を呼びに行ったという心配はなさそうだ。
なんでもない一般人を巻き込ませてしまい申し訳ないとも思うが、俺は本気で恐怖に戦いた。
今は彼女の善意に甘えて、ミランダがここに来ることがないように願うことしかできない。もし、現在の究極のピンチを乗り切り、命があるのならばなんらかのお礼はさせてもらおう。
俺はすぐに諦めがちで根を持つタイプでもあるが、変に義理堅いところもあった。施しを受けっぱなしだとそれはそれで気持ちが悪く、与えてくれたのならば返したくなる性格だったのだ。
簞笥の中はまっ暗であり、外界がどうなっているのか、まったく見ることができない。
音を頼りに判断せざるを得ない状況だった。
どうやらこの家の住人である彼女は奥の方へ行き、会話を始めたようである。同居人が他にも居たようで、話し声が微かに聞こえてきた。
彼女以外に男性がいるようだ。危機的状況であるにも関わらず、一体どのような関係に二人があるのか気になってしまった。一瞬目にした、綺麗な女性の対人関係が気になってしまう。男というのは、本当にどしがたい生き物であると思う。
多少離れていることと、簞笥の中に入り込んでいるため、声は僅かにしか聞こえてこないが、どうやら俺のことを話題にしているわけでもないらしい。普通に雑談をしているようだ。客観的に見ても、異常事態であるにも関わらず、簞笥に入った怪しい奴を無視して、普通の会話に興じるとは、ここの住人は存外変わり者なのかもしれない。
その状態で五分は過ぎただろうか。
出ていけとは言われず、会話をしている二人の様子は変わることがなく、日常の生活を送っているように思えた。
もしかしたら、俺が家の中に入ったことを忘れているのかと思わせるほどだ。有り難いことだが、ここまで無関心でいられると、逆に興味も湧いてくる。一体彼女達は、突然入ってきた俺を、どういう心境で匿ってくれているのだろうか。
このまま何事もなく、ミランダが通り過ぎることを俺は祈っていた。
こちらを通らず、別の道へ行った可能性は高かったが、グラリア王国から出立していないことは明白だ。誰が入ったか、誰が出ていったかは、番兵がいる門を通らなければいけないため、間違いなく見られてしまう。つまり、ミランダが彼らに聞けば、俺が出て行っていないということはすぐにバレるのだ。
そのため、この後は、彼女に見つからないようにグラリア王国から出ることが課題となるだろう。
下手をするとミランダは番兵を買収して、俺を足止めしてしまう可能性は十分に考えられた。あの態度の悪い男達は、金で動きそうな気配がぷんぷんするのだ。
そうなると、別ルートを使って脱出を試みなければならないが、現状ではグラリア王国の地の隅々まで把握しきれていないため、まずは情報を集めなければならないだろう。王国はぐるりと石壁が聳え立っているため、一筋縄ではいかないだろうが、自由との引き換えであるため、命がけで臨むつもりだ。侵入されないために作られた壁であるがため、簡単にはいかないだろうが、必ずどこかに穴があるはずである。
決心をしつつ俺が簞笥に身を潜めていると、足音がこの家に近づいて来るのがわかった。
(嘘だろ…………)
絶望で真っ青になりそうだった。俺は、逃げる課程で、それほど間違った行動はとってなかったつもりだ。確かに途中で全力ダッシュをしたが、あの時は、背後に黒い蒸気が立ち上っていたため、人々はそちらに集中していた。俺の移動経路がわかるはずもない。
尋常ならざる集中の果てに、俺がこの辺りに来たのがわかったのだろうか。なんだかんだで付き合いが長いため、俺の逃亡しそうな方向を予測することができたのかもしれない。
足音はこの家の前に立ち止まる。
別人であってくれ——。信じてもいない神に祈りを捧げる。
そんな中、無機質で、不気味に……静謐とすら思わせるノックが室内に響いた。




