勇者、脱走する!
——どうやら朝のようだ。
カーテンからは日差しが部屋に入っており、外から鳥達の甲高い囀りが聞こえてきた。深淵へ落ちていくような眠りについた俺だったが、起床予定時間の十分前には不思議と目が覚めていた。
覚醒状態も悪くなく、睡眠時間は大して取れていないにも関わらず、極めて身体は正常だ。まるで脳がこの時間に起きろと指令したかのようだった。気がつくと、立ち上がって着替えを始めている。
現在の時刻は朝の六時五十分。
もう十分もすればミランダが俺を起こしにやってくるだろう。このまま待っていれば、昨日と同じように冒険が始まり、ミランダが前夜に立てた計画を実行するために、今日は奔走することになる。
しかし、それは過酷で、茨の道とすら表現するのも、生ぬるい道を歩まなければならなかった。
正直俺は、昨日の説教を受けた時点で限界を迎えていた。
自己分析では根性がないと自覚しているため、ここいらでリタイアした方がいいのではないかと思い始めていたのだ。
このままミランダと共に旅をしていたら、マジで死んでしまうかもしれない。魔物に倒されるのではなく、過重労働による過労死でだ。
二日程度では見切りが早すぎると、周囲の人間は言うかもしれない。
だが、当事者には当事者にしかわからない負担がある。下手に心の病に患ってしまったら一生ものだと聞くし、自分を一番大切にすることこそが、大事だと俺は思っている。
いずれにしても、そのうち逃げ出す気でいたのだから、とっとと逃亡生活に入っても良いのではないか。これだけ疾風の速度で失踪したと聞けば、人々は落胆もそれほど大きくはならないはずだ。
室内にある時間を確認すると、六時五十五分となっていた。
——あと五分もすれば、ミランダが部屋にやってくる!
既に着替え終わっていた俺は、身体が勝手に、窓のドアを開け始めていた。音を立てないように。誰にも気がつかれないように。そろりそろりと窓を開閉していく。
開け放した場所から、俺は窓の外へ移動する。
二階であるこの部屋は、窓下が瓦の屋根になっており、若干の傾斜となっている。
うっかり足を踏み外して、下へと転落しないように警戒しながら、俺は瓦屋根に足を乗せた。
窓を閉めている余裕はない。
どちらにせよ部屋にいないとなると、窓から脱出したとバレてしまうため意味がないのだ。
逃走経路が複数あるなら、あらゆる偽装を企てて発見を遅らせる手もあったのだが、逃げ道は窓以外あり得なかった。
もう一つの出口にドアがあるのだが、ここは鍵を閉めておいて時間を稼ぎたかった。ましてや普通にドアから逃げると、時間が時間だけに、ミランダとの鉢合わせの可能性がある。また、宿主に見つかってしまえばそれはそれでアウトだ。
そんなわけで、窓から脱走するのが現状の最善だと判断した。逃げ道がわかっても、その後の行動でいくらでも錯乱させることは可能なはずだ。つまりはここからが本当の勝負である。
ちなみに代金はチャックイン時に支払っている。ミランダもいることだし、ここで俺がいなくなったところで、街の兵隊にまで追われる心配はまずなかった。
傾斜のある屋根を降りておき、縁まで来ると下を見る。幸い、朝の早いこの時間は、まだそれほど人通りが多くないようで、目視する限り誰もいなかった。
瓦屋根から下まではそこそこの高さはあるが、飛び降りることができないほどではない。あまり躊躇している時間はないと見て、俺は屋根から飛び、地面に着地した。足をクッションにして、なるべく音を立てないように工夫する。音はそれ程響かず、上手いこと飛び降りに成功した。我ながら完璧な着地だ。
着地後、いそいそと俺は歩き始めた。顔をフードで覆い、誰にも俺のことを見られないように気をつけながら、宿から離れていく。通りはそれほど人がいないが、先の方に疎らに人が歩いているのが見える。
顔を隠しながら、早足で進んで行く俺。
宿から出たところは誰にも見られてはいないが、油断は禁物だ。ここで迂闊に怪しい行動を取ったりしていると、道行く人の印象に残ってしまう可能性が生じる。そうなってしまうと、のちのちミランダが俺を探す足がかりになりかねない。
できるだけ自然に、慌てず、急ぎすぎず、でも速く!
俺は道を進んでいった。
途中で馬車に乗った商人や、職人らしき人、兵士などとすれ違うが、訝しんでいる様子はなかった。
このまま何事も起こらず、無事グラリア王国から抜け出せることを心底渇望しつつ、俺は石畳の道を歩いて行く。




