やる気のない勇者の朝は弱い
「勇者、起きて、起きなさい」
微睡みの中で俺は声をかけられる。
身体を揺すられるのを感じ、覚醒してしまう。目を開けていないものの、誰がベッド横に立っているのか、しつこく起こそうとしてきているのか、瞬時に悟ってしまった。俺の腐れ縁であり、忌むべき存在である幼馴染みのミランダだ。
「勇者、今日はあなたの十六歳の誕生日よ。さあ、起きなさい」
命令口調で、ミランダは俺の身体を揺すり続ける。段々と力がこもっているのがわかる。
俺が起きていないと思い、早く起床して欲しいという焦りが感じられた。まだ二言目であるにも関わらず、短気な奴だ。
「さあ十六歳になった朝は、行かないといけない場所があるでしょう? 早く起きるのよ」
懲りずに起床させようと、声をかけ続ける彼女。
だが、正直無視をしようと決めていた。そもそも、無理やり呼び出されるというのが、まず気に食わなかった。人間という生き物は、個人の主体性によって選択肢は定められるべきなのだ。ましてや俺は昨日夜更かしをしており、就寝はだいぶ遅かった。つまりはまだまだ寝たりない。
やがて、俺を揺する力が弱まり、ベッドからミランダが離れていくのが感じられた。声をかけても起きないと諦めたのだろう。
俺はベッドの中で、寝たふりを続けたまま、ホッと一息つく。
やれやれ。これでやっと、惰眠を貪ることができる。しっかりと寝ないことによる健康被害のリスクを考えると、人は本来しっかりと睡眠時間を確保するべきなのだ。
俺がそう思っていると、少し離れた位置からブツブツと小声で呟いているのがわかった。一瞬、呪詛でも唱えているのかと思ったが、現実はもっと酷かった。
彼女が何をしようか瞬時に理解する。俺はベッドから飛び起きた。
「待てミランダ! 起きた! 勇者は今、起きた!」
しどろもどろになりながらも、俺は起床を宣言した。しかし、彼女のぼやきのような呟きは止まらない。全ては遅かったのだ。彼女が唱えている声——これは間違いなく、強力魔法を使うときの詠唱だ。
「アルタイルの民を属目する神々よ。烈風を司る神霊よ。怠慢なるこの者に、激烈極まる旋風を巻き起こしたまえ!」
詠唱の内容が、完全に危険なモンスターに使うあれだ。
彼女がそう唱えると手の平が青く光り、次の瞬間には、俺の体は吹き飛ばされていた。
「うおっ!」
直後、背後の壁に激突した。俺はうめき声をあげる。
だが、俺の身体は、部屋の壁にぶつかっただけにとどまらなかった。ミランダが放った強力な風魔法は内壁をも破壊し、そのまま俺は外へと放り出される。
俺は二階の部屋から宙を漂いながら飛ばされていく。周囲の時間がゆったりと流れ、大きな穴の開いた我が家が遠巻きに見えた。
——グッバイ、我が家
ミランダの魔法によって、宙を漂っている刹那、様々な思い出が想起された。元々、引きこもりがちだった俺は、自宅での思い入れが強かったのだ。無理やり教え込まれた剣技に疲れて帰り、憩いの場となった俺の部屋。ミランダに散々説教を受け——心の拠り所となっていたあの場所。そんな大切な場所と別れなければならない悲しみを、中空を飛ばされている間に回想していた。
宙を吹っ飛ばされていた俺は、やがて地面に到達した。勢いよく俺の身体は、地面を滑るように擦っていく。摩擦で、接地している腕や足の部分に痛みを伴いながら地を這った。
「痛てててっ!」
俺はうめき声をあげながら、家から二百メートルくらい離れた場所でようやく静止する。擦った地面は若干の窪みができており、今起こった惨劇を物語っていた。
少しすると、ざっざっと規則的な足音が聞こえた。音はこちらに向かってきている。俺はそちらに視線を向けた。大きなハットを被り、ゆるりとした服を纏っている女が、徐々にこちらに近付いてくるのがわかった。その威風堂々たる姿は、おぞましい魔女であるかのように感じさせた。
倒れている俺を見下ろしてくるミランダ。今し方、幼馴染みを魔法で吹っ飛ばしたにも関わらず、悪いと思っている様子は微塵も感じられない。
「なにすんだよっ!」
地べたに這いつくばったまま、ミランダを見上げ俺は文句を言った。
だが、彼女は冷ややかな目線を俺に送り続けてくる。
「あなたが早く起きないからいけないの。今日がどれだけ大切な日なのかわかるでしょ」
説諭するかのように正当性を唱えてくる。俺の身体の心配などいっさいなしだ。
「だからって、部屋を壊すことはないだろう!」
文句を垂れるが、お構いなしという風に彼女は反駁する。
「今日から旅に出るのだから、いくら倒壊しようと問題ないでしょ。さあ、立ちなさい。早く王様のところへ向かうわよ」
彼女はそう言うなり、背を向けてスタスタと王城に向かって歩き出した。俺は立ち上がる。付いていくのは億劫極まりないのだが、ここでぼんやりしていると再び魔法が飛んでくるのは十分予見できた。部屋の壁を破壊しておいて、悪いという感情をまるで見せない奴なのだ。彼女にとって王様に呼び出されたことは、とにかく重要度が高いことのなのだろう。
ミランダ・リー。俺の幼馴染みであり、自分達が世界を平和にすると信じて疑わない盲目的なまでの真面目人間。
そう。
彼女は、特に意識の高い魔法使いだったのだ。