春の夜、断頭台で嗤う
どうしよう、ワクワクが止まらない。私はそれこそお菓子の国に迷い込んだ子供のような興奮を感じていた。
それは、4月の初めのこと。ヨーロッパの小国であるアルビレオ王国で開催される春のカーニバルを見学しに来た私、東雲風香と私の双子の妹である穂香は潮風を浴びながら会場へ向かっていた。
「私は今回星祭りのフィナーレにある花の合戦で投げられる花をゲットするという目標を立てました!」
「うわ、チャレンジャーだね。あの戦争に飛び込むなんて」
「ふふ、私の自慢は男性をお姫様抱っこ出来るほどの怪力ですよ。力比べではそんじゃそこらの人間に負けません!」
「他人に怪我をさせないようにね。あぁ、メインイベントのショーが始まるまであと三十分か。人が来る前に行こう」
お祭りは町の真ん中にあるマセナ広場を中心に行われる。たくさんの屋台が出ていておいしそうな匂いが辺りに立ちこめていた。何から食べよう? お客さんの中には仮装をしている人もいた。女の子は、背中に羽をつけたお姫様の格好が定番のよう。中には季節外れのサンタの格好をしている人もいたけど。暑くないのかな? 因みに、私はお店で見て一目惚れして買ったグリム童話の『眠り姫』をイメージしたという、いばら柄のフリルをあしらったベージュ色のワンピースを着ている。
お祭りごとが大好きな穂香ちゃんは折角だからと、黒の地に紅白の桜をあしらった袴風のドレスを着ていた。ヨーロッパで和装は目立つのに勇気があるなぁ。音楽が鳴り響き、色鮮やかで豪華な衣装をきた人々が踊り始める。さっき屋台で買ってきたツナ、卵、オリーブ、野菜などを丸パンにサンドし、オリーブオイルをかけたアルビレオ名物の「パン・バーニャ」やら、星の形に成形されたコロッケをぱくつきながらダンスに見入る。円盤の中にはドラムやサックスが入り、縦にクルクル回りながら音色を響かせていた。下で数人がコントロールしている巨大な風船に折角だからと触っておく。子供たちは大きな風船が目の前に来てとても嬉しそうだ。何だか和むなぁ。
「おい、また治療院で人が亡くなったそうだぞ。今度はネリム婆さんだと。まぁ、90近いからいつお迎えが来てもおかしく無かったけどな」
「やけに人死にが続くなぁ。昨日だって相次いで二人亡くなったぞ」
「キジタ様もショックだろうな。ネリム婆さんの所にも熱心にお見舞いに通っていて、本当の孫娘のような献身ぶりだったからな」
祭りにそぐわないしんみりとした話題が隣から聞こえてくる。そういえば、昨日この街を観光していた時も教会の弔い鐘が鳴り響いていたっけ。
祭りのメインイベントである花の合戦は、お祭りの山車を綺麗に飾る花をパレード中観客に投げるというもので、デージーやバラ、ガーベラが投げられる中私も必死に花をキャッチしようとするが、この人混みの中では上手くいかない。それに皆花集めのプロですかと言いたくなるくらいに拾うのが上手い。あっという間に花束を一つこしらえている人もいた。
「無念です。一輪も拾えませんでした」
「あれは素人に取るのは難しいよ、元気出して」
穂香ちゃんが慰めるつもりか、イチゴのアイスをくれた。私は有り難く受け取る。甘い物大好きな私はこれだけで幸福を覚える。うん、我ながらなんて単純!
「あの、失礼ですが東洋の方ですか?」
もぐもぐアイスを頬張っていると遠慮がちに可愛らしい声がかかった。
「はい、日本から来ました」
「それは遠い所から。良かったら記念にどうぞ」
彼女は手に持っていた花束から赤いガーベラを二本抜き、私達に手渡した。
「ありがとうございます。よろしいのですか?」
「はい、どうぞ」
「あの、私は東雲風香と申します」
「わたしは風香の双子の妹の穂香です、よろしく!」
「私はシンシアと申します。レストランでお菓子を作るお手伝いをしていますが、本来はその店の隣にある教会の修道女です」
シンシア。月を意味する名前だね。淡い金髪に優しげなオリーブグリーンの瞳を持つ絵から抜け出たような美少女だ。天使が目の前に居るみたい。
「教会ってもしかしてあの名高いサント・クロワですか?」
私の問いかけにシンシアさんが控えめにうなずいた。
「サント・クロワ礼拝堂と言えば確か徳の高い修道女がいたよね? 病気にかかった貧しい人に日夜美味しい食事を届けたり、熱心に看病しているって。しかも容姿も綺麗なんでしょ。会ってみたいな~」
穂香ちゃんも噂は知っていたようだ。見事な赤い髪の妖精のような可憐な美女で、信奉者は大勢いるとか。
「はい、キジタ様のことですね。キジタ様は身寄りのない子供たちも進んで世話をしているとても優しい方です。私もあの方に拾われた身ですから」
そうなんだ。何だか悪い事聞いちゃったな。
互いに自己紹介をして、せっかくだからと一緒にお祭りを楽しむことになった。パレードが終わると、道行く人たちは売り子から買った紙ふぶきを見知らぬ人に投げ合いながら家へと帰っていった。私も色とりどりの紙ふぶきを購入し、投げあっていると……。
「わぁ、見て! 空から花が降ってきてる!」
七色に光り輝く星の形をした花は、フワフワしながら人々の周りに浮かんでいる。この花はカーニバルの終わりを告げるものであり、触れるとその人に合わせて色が変わる。その色は今年一年その人が一番いい運の色なのだ。私は興味津々で手近にあった花に触れた。
白と紫の斑色。可愛いけどこれは……?
「仕事及び勉強運。直感が冴えわたるとき。自分の勘を信じて、だってよ」
ガイドブックを見ながら穂香ちゃんが教えてくれた。
なお、結果は穂香ちゃんは赤で健康運、シンシアさんはオレンジ色で友情運だった。
「そういえば、最後は祭りで使ったオブジェなどは燃やしてしまうのですよね。なんだかもったいない気がします」
しかし、火にまみれ、もとの形を失っていく様は大層美しかった。薄闇の紺に炎の赤が映え、この世の物とは思えない。私は思わずスケッチブックを取り出し、真っ白いページを開いた。鉛筆を持つ手が震える。この感動もそのままに私はスケッチし、色を付け足し、閉じ込めていく。
「あの、この後よければ私がお手伝いしているお店に来ませんか? 食堂なのでご馳走しますよ」
絵を描き終えた満足感に浸っていると、シンシアさんが素晴らしい提案をしてきた。
「えっと、じゃあお言葉に甘えて」
うわ、なんていい人なんだ。後光がさして見える。可憐で美しい上に心根まで綺麗だなんて本当に地上に舞い降りてきた天使なのかもしれない。
レストランまでの道には市場が出ていた。私は名物のオリーブオイルを買い、凛華ちゃんは装丁の美しいアルビレオの童話集を買っていた。そして、市場の終点。白い大きな塔を持つサント・クロワ礼拝堂の隣にその店はあった。
「お帰り、シアちゃん。これはまた、可愛らしいお客さんを連れてきましたね。珍しいな、東洋から来たのか?」
お店から出てきた青年は不思議そうに私たちを見た。癖のある糖蜜色の髪を肩のあたりまで伸ばし、後ろで無造作に一つに結んでいる。こっちは白の調理服を着ていた。アーモンド形の目は赤で、すっと通った鼻筋に薄い唇のイケメンさんだ。
「俺はカイル。この家の隣にある教会を守護するガーゴイルだ」
おおう、ただならぬオーラを感じたけどやっぱり人間じゃなかったんだ。サント・クロワのガーゴイルってことは、かなり強いのではなかろうか。
「貴方方も人では無いようだな」
驚いたようなシンシアさんの目線がこちらをみる。
「家に憑きその家族を守る妖怪ですよ。貴方と同じようなものです」
ガーゴイルと友達なシンシアさんはすぐに驚きから回復すると、自然な笑みを浮かべて美味しそうな料理で持て成してくれた。
「何これ、美味しい!」
前菜であるトマト、ゆで卵、ツナ、アンチョビ、オリーブを使った見た目も鮮やかなサラダを一口食べた穂香ちゃんが頬を押さえながら叫ぶ。
「お口に合ったようで良かったです」
ワインを注ぎに来てくれたカイルさんが、嬉しそうな笑顔で答えた。心臓に悪い笑顔だな~。ちょっとドキッとしちゃったよ。
メインは牛フィレ肉の赤ワインソースで、お肉はとっても柔らかくてジューシー。ソースの旨みもあって頬が落ちそうだ。大事に食べて、次はいよいよデザート! ワクワクしながら待っていると。
「今日のお菓子は自信作です」
誇らしげなにっこりスマイルでシンシアさんは言った。
「へぇ、見たことない菓子だな。シアちゃんが考えたのか?」
「えぇ、そうよ。そしてこれが私の答え……」
小さく呟いた言葉の意味が分からず私は首をかしげる。カイルさんはハッとしたような顔になり、次いで悲しそうにそのケーキを見つめていた。
「ルリジューズです。大きなシューの上に小さなシューを載せてその上から溶かしたチョコレートを流しかけました」
「『修道女』という意味ですね。確かにヴェールをかぶった修道女に形が似ています」
口に入れると上品な甘さが口に広がる。ん? このクリームの風味はもしかして……。
「林檎を使ったクリームですか。珍しいですね!」
「そうです。あの、お口に合いますでしょうか?」
「えぇ、とても美味しいですよ。甘みがあっさりしているのでとても食べやすいです」
「ありがとうございます。あ、そうだ。カイ君、これこのケーキのレシピよ。良かったら使ってね」
「もう、ここには来ないつもりか……?」
うつむき、低い声でカイルさん尋ねる。私にはそれが泣き出す前兆に思えた。いや、なにこの突然のシリアス展開!?
「いいえ、そんな事ないわカイ君。ただ永遠に一緒にはいられないから」
彼女は儚く笑い、礼拝の時間だからと店から出ていった。
「……これは、振られたって事だろうか?」
「えっと、取りあえずカイルさんとシンシアさんって付き合っているのですか?」
「いいえ、意を決して告白したのが先週でしたが、まだ返事貰ってなかったんです」
シンシアさんがさっき言っていた『答え』は告白の返事だったのね。
「まぁ、人と妖怪じゃ寿命も違うからね、シンシアさんが悩むのも無理ないですよね」
「分かっているさ。最後は空へと還るまでだろ」
人の生は短い。ガーゴイルである彼にとって人に恋をするということは蝉に恋するようなものだろう。
「あのさ、二人は一体どうやって知り合ったの? ガーゴイルって普通は人と関わらない種族だったと思うのですけど」
「それは、今から十五年ほど前になるかな。流行り病で両親を失った彼女はサント・クロワ礼拝堂に預けられた。俺はそこの教会にある悪魔の像の姿を取る怪物で、なんとなく彼女のことを見ていた。あの教会に子供は大勢いたのにな。最初は好奇心だったのに何時しか目が離せなくなって。姿を現すつもりなんてなかったのに、あの日は祭日で礼拝に訪れた信者に修道女たちは菓子を配っていたんだが、人ごみに押されて、シアちゃんがバランスを崩して、お菓子を落としてしまったんだ。泣きそうな顔で踏まれて形の崩れたタルト・タタン(林檎のタルトの一種)を拾っている彼女を見たら思わず人の姿を取って彼女の前に現れていた」
祖父の遺産として残された建物で何かお店をやろうと考えていたシンシアさんは、お菓子作りの練習もかねて成人しても教会を出ずに、修道女として今も勤めているらしい。お菓子を作って町の人に配るのも、教会の重要な仕事だからね。そして、カイルさんは、彼女が心配でこっそり様子を見に来たところ、思わぬ料理の才能を発揮してこの店の料理人になったらしい。
「それ、一歩間違えばストーカーじゃない?」
「言わぬが花ですよ。穂香ちゃん」
穂香ちゃんは若干引いたような表情を浮かべていたが、やがて考えをまとめるように視線が宙を彷徨い出した。
「何故わざわざ林檎のクリームにしたのか。それはカイル君と出会ったきっかけだったから。でも、教会の戒律で修道女をやめない限り恋愛はできないよね。で、彼女はこの修道女を意味するケーキを作ったと」
カイルさんは項垂れた。失恋の二文字が私の頭の中に重くのしかかる。私はもう一度シンシアさんが来てからのことを回想し、思考する。
「一つ確認なのですか、カイルさんは夜って教会に戻っていますか?」
「まぁ。本来の俺の役目は教会内に魔物が侵入することを防ぐことだからな」
夜の方が悪霊の動きが活発ですからね。私の中である一つの考えがまとまりかけたその時。
「失礼する! ここにカイル・デューラーと申すものはいるか?」
入って来たのは黒衣を纏ったこの国の警備兵だった。一体何の用だろう?
「はい、それは俺ですが」
「サント・クロワ修道院長のキジタ・ヘロデ殺人未遂の罪で逮捕する!」
はい? ちょっと待ってください。
「な、なんでカイルさんが殺人犯にされないといけないのですか! 証拠はあるのですか?」
胸倉を掴む勢いで尋ねると、捕縛しようとしていた警備兵たちが面倒くさそうに私を見た。
「キジタ様はここの食堂で作られたマドレーヌを食べて倒れたんだ。普段はシンシアという修道女がお菓子を作っているらしいが、今日はお前が作ったんだろう」
「あぁ、それはキジタ様に頼まれたから」
「そして、そのマドレーヌには植物毒が入っていたのさ」
「あの、キジタさんが食べる前にマドレーヌに触った人はいなかったのですか?」
私は当然の疑問を口にした。
「彼女は帰ったあとすぐにそれを食べたそうだ。そして、吐血し倒れたところにちょうど書類を持ってきた修道女に発見され、医者に運ばれた。一時は生死の境を彷徨われたが、神のお慈悲か無事生還なされた。そして、このマドレーヌを誰が作ったのか今聞いてきたという訳さ」
警備兵が来るのに時間がかかったのはそのせいか。
「でも、そもそもカイルさんが修道院長を殺す動機があるのですか?」
「そりゃ、こいつは修道女のシンシアに惚れていたのだろう。告白現場を偶然目撃した奴がいたから確かだ。しかし、こいつはキジタ様にも好意を向けられている。キジタ様に恩のあるシンシアは当然こいつの気持ちには答えられない。だから殺したんじゃないか。恋というのは厄介だねぇ」
しみじみとした口調で兵士の一人が言う。というか、一介の警備兵にも恋をしていることがバレバレって、どれだけ態度があからさまなんだろう。
「さぁ、早くいくぞ」
「やってもいない罪を着せられても困るんだが」
「言い訳は番所で聞く。連れていけ」
私はじっとサント・クロワ礼拝堂の方を見つめる。カイルさんが兵士に連れて行かれるのを見送ってから、私は穂香ちゃんに向き直る。どうやら考えていることは同じなようですね。
「兵士に突っかかってもどうせ碌なことにならないからね。さーて、現場検証行くよ!」。
「明朝までに真実を見つけないと、カイルは処刑されるでしょうね。あの修道院はこの地方で大きな権力を握っていますし、キジタさんは信仰厚く、立場の弱い人たちを助けようと日々努力され、人々の信頼も厚いですから。その修道院長を未遂とはいえ殺したとなれば、市民や教会の力でうまい汁を吸っている王侯貴族が黙っていないでしょう」
「え、でも殺人罪で死刑になる可能性はあってもその前に取り調べとか裁判があるでしょ? 明日までに処刑なんてそんな早くは」
穂香ちゃんが不思議そうに尋ねる。ここが日本なら当然その通りなのだが。
「この国の司法制度は中世の封建制から何も変わって居ないのですよ。領主が黒だと言ったら例え白でも黒になる」
「なるほどね。まぁ、もしもの場合は処刑の前にカイルさんをさらおっか」
いくらガーゴイルでも、ギロチンで首を切り落とされたらアウトですよね。教会を守護する魔物には人に危害を加えられない呪いがかかっているから逃げられないでしょうし。
「でも、出来れば真実を明らかにしたいですね」
「よーし、情報収集がてら修道院に行ってみよう!」
隣の白い教会に足を踏み入れると、何人もの修道女がキリストの祭壇に向かって祈りを捧げていた。十の教会の屋根を支える円柱と天井のアーチが美しい礼拝堂だ。瑠璃色のステンドグラスは厳かな光を投げかけている。
「あの~、キジタさんいます?」
穂香ちゃんがのんきな口調で尋ねると、一人の修道女が答えた。
「キジタ様はまだ眠っておられます。命に別状はございませんが、今夜はお話することは出来ないでしょう」
「そうですか」
修道女の姿を見ていると、シンシアさんが何か話したそうに私達を見ていた。近づけば、彼女には中庭で話したい、と言われたので、そのままついていく。細かい彫刻一つ一つに鮮やかな彩色がなされている列柱廊は、円柱をわずかにずらすことで視覚効果が生まれており、歩いていると柱が無限に続くような錯覚に陥った。だから、丸みを帯びた優雅な噴水と、白い水仙の花畑が美しい中庭に出ると、私はホッと息を吐いた。彼女は思いつめた口調で尋ねる。
「カイ君が番所へ連れていかれたとは本当ですか? 修道院長殺しの罪を着せられて」
「はい。でもわたし達は、犯人は別にいると考えています。カイルさんの疑惑をはらしたいからシンシアさんも協力してくれませんか?」
彼女は真剣な顔でうなずいた。
「あの、キジタさんに盛られた毒の種類は分かりますか?」
「はい、確か水仙の毒だとお医者様が仰っていました」
穂香ちゃんが微妙な顔になる。
「モチーフとしては美しいけど、植物毒は量を多く摂取すると人間の防御反応ですぐ吐き出されちゃうんだよね。だから、水仙だけで人を殺すのはかなり難しいよ。確実さだとやっぱりヒ素とかじゃないかな」
もしかして、犯人にはキジタさんを殺す気が無かったのだろうか。単なる脅し? うーん、分からない。
「あのさ、シンシアさん告白された事誰かに相談したりした?」
「え、なんで知っているのですか!?」
シンシアさんの顔が一気に赤くなる。
「と言っても、いつの間にかキジタ様に知られていて、キジタ様の方から相談に乗って下さいました。あの方だってカイ君が好きなのに、キジタ様は親身に相談に乗ってくれ、励ましてくださいました。なのに、こんな事に……」
シンシアさんの瞳が涙で潤んだ。やっぱり修道院長だけあって、自分の気持ちを押し殺して他人の幸せを応援する立派な人なのねぇ。
「あの、本当に誰もキジタさんが食べる前にマドレーヌには触っていないのですか?」
シンシアさんがうなずく。
「多分、というのもキジタ様はあまり甘い物がお好きではないので滅多にお菓子は召し上がられないのよ。だから、あのマドレーヌを見てキジタ様の召し上がられるものだと思う人は少ない気がします。あのマドレーヌをカイ君が作ったってことは甘くない特別製だったのかしら?」
小首を傾げながらシンシアさんが言った。そんな仕草もとってもキュートだ。カイルさんが好きになる理由が分かる気がする。
「そうですか、ありがとう」
「もう、質問は無い?」
穂香ちゃんが確認するように私を見る。私はうなずいた。
「よーし、お前ら会議するぞ~」
シンシアさんと手を振って別れ、私は高台にある城跡公園の傍のカフェにやって来た。夜なので海の波音しか聞こえないが、昼間なら青い海と中世の面影を残した美しい町並みが一望できそうだなと思う。蝋燭によって闇夜に照らし出された、かつてギリシャ人によって作られた神秘的な白い建物を眺めていると、注文した甘夏のタルトと紅茶がやって来た。私は思考しながら口に入れる。甘夏のジューシーさと甘さ控えめのクリームが調和してとても美味しい、……じゃなくて事件の真相を!
「キジタの花言葉は『死んでも離さない』だったよね」
そうつぶやくと、穂香ちゃんはスコーンに桃のジャムをかけ、一口食べて頬を押さえる。どうやらかなり美味しかったようだ。
ん、ジャムをかける。自分で?
「あ、もしかして」
私はおもむろに立ち上がり、テーブルにお金を置くと、例の場所へ向かった。
「ど、どうしたの、いきなり?」
「確かめたいことがあります」
私は目的の場所へ向かった。その部屋に鍵はかかっておらず簡単に入ることが出来た。
戸棚や書棚を漁り、次に机を探すと真ん中の引き出しに鍵がかかっていることを発見した。
「魔法で開けるね」
穂香ちゃんはノリノリで開けてくれた。中には厳重に封がされた手紙やメモが入っていた。私は手紙や資料を読みこんでいった。
資料をあらかた漁り終わり、私達は町外れにある処刑の丘へと向かう。
「しっかし、役人たちも早急ですね。今は夜中の一時だからまだ事件発生から六時間しか経っていないのに! 冤罪だったらどうするつもりなんだか!」
穂香ちゃんが拳を振り上げながら叫ぶ。かなり頭にきているようだ。
「誰が犯人かは関係ないんですよ。誰か適当な生贄を捧げて、民衆や他の貴族たちが納得して領地が安定すればそれでいいのですから」
「なるほどねー。うわ、もうこんなに人が……」
たいまつの明かりに照らされ異様な存在感を放つギロチンの周りには、市民たちが押し合いへし合いしながら、事の成り行きを見守っていた。カイルさんが役人に引かれて現れると、群衆は罵詈雑言を浴びせかけた。どうやら、キジタさんはかなり人気があるようだ。
「私の目が黒いうちは誰も死なせたりしません!」
そう力強く宣言し、キョロキョロと辺りを見渡す。
見事な長い赤い髪を持つ、美しい修道女がじっとカイルさんの方を見ていた。彼女がキジタさんか。その隣には、シンシアさんが悲痛なまなざしでこの光景を見ていた。
これは何の悪夢でしょうか。顔を青くしているわたしの背をキジタ様は優しくなでてくれた。
「大丈夫よ、シンシア。辛いなら見なくてもいいわ。抱きしめてあげましょうか?」
カイ君は殺人者なんかじゃない! そう周りに叫びたかったのに何故か声が出なかった。非難されるのが怖いから? 何処かで彼を信じ切れていないから? あぁ、なんてわたしは醜いのだろう。純粋にわたしを愛してくれる人の事も心から信じられないなんて。
わたしは裕福な家の一人娘だった。優しい両親の愛情を一身に受け、何不自由ない暮らしをしていたが、あの冬の日、両親は流行り病であっさりとわたしを置いて行ってしまった。それまで、わたしに優しく接してくれた親戚たちは、薄汚い本性を現し、醜い遺産争いや後継者争いを繰り広げていった。女であるわたしには、家を継ぐ権利は無い。わたしはさっさと厄介払いのためにサント・クロワ修道院に預けられた。残ったのは、祖父が生前皆に内緒でくれた建物だけ。
わたしは両親を一度に失ったショックと親戚の豹変ぶりに驚き、誰の事も信じられなくなっていた。こんなに苦しい思いをするなら誰の事も好きになんかなりたくない。わたしの気持ちは頑なだった。そんな時、カイ君と出会った。わたしの作ったお菓子が床にこぼれてグシャグシャになっていたのに、彼は躊躇うことなくそれを食べ、「うまい」と言ってくれた。その時の笑顔が何故かわたしの作ったお菓子を美味しそうに食べてくれた父の笑顔と重なった。全然似ていないのに。そのすぐ後、わたしはキジタ様の協力もあって念願のお店を開くことが出来た。そして、なんとカイ君とお店を手伝ってくれることになった。
何時しか、夜一人で泣くこともなくなり、わたしは彼の事が大好きになっていた。ずっとこんな毎日が続くと思っていた。でも、この前わたしはカイ君に告白された。嬉しいはずなのに恐怖を感じた。愛されるのも愛するのも怖かった。愛を囁くこの人が、親戚たちみたいに豹変してしまったらどうしよう。だから、わたしは遠回しに気持ちを伝えた。臆病者だから。
本当は処刑の現場なんて見たくはないのに、教会の皆に半ば無理やり連れていかれた。心の中では風香さん達が何とかしてくれかも、という淡い期待を抱いていたけど。
あぁ、何で顔を上げてしまったのだろう。カイ君とまともに目があってしまった。最初に感じたのは罪悪感。わたしがもっと強くて、賢かったら貴方をこんな目には合わせなかったのに。彼は静かなまなざしで、じっとわたしを見つめていた。瞬間、脳内に彼の声が直接響く。
『さようなら、大好きな人』
その言葉に心は溢れた。
「ダメー! 処刑なんてしちゃダメ!」
殺さないで。わたしから彼を奪わないで! 無我夢中で刑場の中に飛び込もうとしたが周りに居た人々の手によって抑え込まれる。わたしが化け物だったら、こんな人たち蹴散らして貴方をさらって逃げるのに。わたしは無駄だと分かっていても叫び、何とかして刑場の中に入ろうともがき続けていると。
「その処刑ちょっと待っていただけますか?」
処刑場に凛とした声が響き渡った。わたしは安堵の涙を零す。整いすぎるほど整った美貌を持つ、神秘的な黒髪をした少女の登場に周りは騒然とした。
突如処刑場の中に現れた見慣れぬ東洋人の姿に周りはざわめく。穂香ちゃんは、気配を消してカイルさんにそっと近づき、魔法で縄を解いた。
「な、何で?」
「助けに来たに決まっているじゃないですか!」
私は、カイルさんの腕を引っ張って起こしながら華麗に宣言した。
「な、ここに一般人は立ち入り禁止だぞ! 早く出ていけ!」
一斉に兵士に槍を向けられるが、私がため息を吐くと槍は粉々に砕け散った。穂香ちゃんは魔法でステンレス製のいかにも重そうなタライを役人たちにぶつけ、見事昏倒させていた。うわ、すごくいい音がしたな。おかげで邪魔者は消えたけど。家を守る座敷童の戦闘能力を舐めないでほしい。
「さて、キジタさんを本当に殺害しようとした人物を言いましょうかね」
私の言葉に場が静まり返った。
「そこにいる男じゃないのか!」
民衆の一人がカイルさんを指さす。私は黙って首を振った。
「では一体誰なのかしら? 私も知りたいわ」
いつの間にかキジタさんが私のそばに来ていた。私は軽く息を吸い込み、嗤って告げた。
「犯人は貴方だろう?」
私の言葉に彼女は意味が分からないという顔をした。
「そんな、私は毒を盛られたのよ! それに私は修道女です。自殺なんて罪深い事はしないわ!」
「いいえ、犯人はキジタさんですよ。だって自分で毒を飲んだら、こんなに簡単なことはありませんからね。そもそも、水仙の毒で人を殺すというのはなかなかに無理がある方法なんですよ。ほかに手頃でより確実な毒殺手段があるのに、使う毒薬としては弱いそうですから。なので、最初から殺すつもりが無かったのではないか、と私は考えました」
それから、紙の束を懐から取り出す。
「そしてこれです。この手紙はフランスで高名な医者からの返事ですね。これには、有毒植物のリストと致死量が書いてあります。水仙の所に赤い丸がしてありますね。確かに、サント・クロワの中庭には水仙がたくさん咲いていましたから多少無くなったところで気づかれないでしょうし」
「それを、どこで……?」
「あなたの部屋の鍵のかかった真ん中の引き出しからです。そして次はこの手書きの文書」
キジタさんの顔色が青くなる。
「これは、貴女が毒の効き目の詳細を確かめるためにした人体実験の記録です。病気にかかった貧しい人たちが収容されている慈善病院に貴女はたくさんの美味しい食べ物を差し入れましたね。毒入りの。病院の食事はまずいですから、患者さんたちは貴女を歓迎し、喜んでワインやお菓子を食べました。貴方は、どれくらいの毒を混ぜれば人は死ぬのか、死後、毒薬の痕跡は残るのか。やさしい言葉を患者さんたちにかけながら冷たい目で、患者さんたちの様子を伺い続けたのでしょう?」
見た目は天使だが中身は悪魔そのものじゃないか。
「でも、動機はあるの?」
穂香ちゃんが背後から近づき、キジタさんの体を抱きしめた。他人の記憶を読み取るつもりのようだ。
「君はカイルさんのことを愛していたのだろう? でも彼には既に好きな人がいた。同じ修道女であるシンシアさんをね。だから君はどうせ自分の物にならないなら彼を殺すことを考えた。でも、ただ殺したんじゃシンシアさんは一生彼の事を愛し続けるだろう。カイルさんを愛するのは私だけで十分だ。じゃあ、嫌われるよう仕向ければいい。だから」
「殺人の罪を着せようと思ったの」
天使のような綺麗な声でキジタさんは言った。
「私の好きな人が自分のものにならないならどうして殺しちゃいけないの? 私の愛する人が他の女のものになるなんて耐えられないわ。ねぇ、ずっと私の隣にだけにいてよ」
無邪気な笑顔を浮かべながら彼女はそう言い切った。それは、なんて身勝手で残酷な欲望だろう。周りは凍り付いたようにじっと赤髪の、女神のように美しい修道院長を見つめていた。と、唐突に彼女は穂香ちゃんの体を突き飛ばした。でも、見物人の一人がさっと受け止めた。ナイスですよ!
「大丈夫ですか?」
「わたしは平気、だけど……」
穂香ちゃんの視線の先をたどると、キジタさんがカイルさんの体に抱き付いていた。カイルさんは引きはがそうとするが、どうも上手くいかないようだ。
「なぜ、私を愛してくれなかったの? 私はお前の体に飢えていたのに」
「悪いが、俺は貴女を愛することは出来ない」
「永遠に?」
カイルさんが頷くと、キジタさんは表情がごっそり抜けおちた顔でカイルさんから離れた。兵士たちに縄をかけられた彼女は、どこか狂ったように甘い恋の歌を歌い続けていた。
無事、カイルさんの無実が証明され、そのお礼として私たちはカイルさんとシンシアさんが作った豪華な食事をご馳走されていた。
「彼女がしたことは決して許される事じゃないけど、初恋をこじらせ過ぎて暴走した気持ちは分かるから同情の余地はありますね~」
スモークサーモンと車エビのソテーを食べていた穂香ちゃんがしみじみ言う。私は鴨のオレンジソースを口に入れ、飲み込むと口を開いた。
「私は彼女の身勝手さは嫌いです。自分の好きな人にはやっぱりその人の好きな人と結ばれて幸せになってほしいじゃないですか」
「お、良いこと言うね! 風香に愛された人はきっと幸せだろうね」
「そうですね、中々出来る事じゃありませんし。あ、そうだ。あのケーキの意味って結局何だったの?」
シーフードスパゲッティーをテーブルに運んできたカイルさんが小首を傾げながら尋ねた。何か可愛いな。
「あのケーキの話ってシンシアさんなりの愛の告白ですよね?」
私が軽い調子で言うと、シンシアさんの顔は真っ赤になった。
「貴女から話しますか?」
「いえ、風香さんが言って下さい」
「では、間違っていたら訂正をお願いします。私が想像した事は、カイルさんの正体はその恐ろしい姿で魔を払う妖怪です。なので、教会を離れるわけにはいきません。ずっと一緒にいる方法としては修道女として教会に住むのがお互いにとってベストなのです」
「じゃあ、あのレシピの意味は?」
「告白と思った二つ目の理由はそれです。彼女はいずれ自分がカイルさんを置いていくことを覚悟しています。でも、このお菓子のレシピを貴方に残したことで、作り、味わう度に自分のことを思い出してもらえます。出会いの場所となった教会ときっかけである自分のお菓子の味と共に。だから、このケーキは修道女の姿をしているのでしょうね」
「……本当によくお分かりですね」
どうやら真実はこれで合っていたようだ。
「林檎の花言葉は、『選ばれた恋』。二人の恋の結末は心配しなくてもきっと素敵なものだよ」
穂香ちゃんが微笑みながら呟いた。何処からか小夜曲が聞こえてくる。夕暮れ時、好きな人の家の窓に向かって歌う歌を聴きながら、私は二人の幸せを祈っていた。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
キジタ様のモデルは聖書に出てくるサロメです。愛に狂った女性書くの楽しい。
お祭りはフランスにあるニースのカーニバルを参考にしました。いつか実際に現地で見に行ってみたいな。