殺し屋 大王
第二話 殺し屋 大王
1999年7月1日
大王は、手に伝わる生温かい液体に思わず顔をしかめた。ふと顔を見上げると、相手の目はすでに何も見ていなかった。大王は相手の心臓に向かって的確に突き刺したナイフを抜く。そして常に肌身離さず持っている除菌シートを鞄から取り出し、それでナイフと手を拭いた。人を殺すというのは、いつも汚れが伴う。どうにかして汚れない方法はないものかと、人を殺すたびに考えるのだが、いい方法は思いつけていない。今日もまた、汚れない方法を考えていると、突然携帯が鳴った。ジャジャジャジャーンと、ベートーベンの運命が流れる。電話なのだから突然鳴るのは当たり前なのだが、それにしたって突然すぎる。大王は、この急に鳴る着信音が嫌いだった。せめて、今から運命が流れますよ、と小声で忠告してから流して欲しいものだ。
「はい、今仕事は終わりました。何でしょうか?」
「おお、終わったか。相変わらず仕事が早いなぁ。」
電話をしてきたのは、大王の上司である加藤だった。この男は、実にマイペース、いや、マイペースと言っていいのかも分からないほどのマイペースぶりなのだが、そのナマケっぷりなら、業界ではナマケモノと呼ばれていた。そのままである。
「実はよ、すこーしばかり困った事になった。」
「何があったんです?」
ナマケモノがすこーしという時は、たいていの場合すごーくであった。なんだ、面倒事ではないといいのだが。
「お前、知ってるか?今月末、世界は滅ぶらしいぞ!アンゴルモアの大王がやって来るんだ!」
「その話、散々テレビでやってますよ。」
やはり、ナマケモノはマイペースだ。
首尾よく死体を処理した後、大王は近所のカフェで一服していた。やはり、一仕事終えた後のコーヒーは美味い。
「いらっしゃいませー!」
可愛らしい女の子の声が響いた。A女子大学2年生、文学部、相沢姫。頭の中に、彼女のプロフィールが浮かんでくる。大王は、このカフェでバイトをしている彼女に恋をしていた。ここに通い詰めている理由もそれである。殺し屋という殺伐とした仕事を終えた後に彼女の優しそうな顔を眺めるのが、大王の癒しとなっていた。ちなみに、彼女の大学やなんかを知ったのは別にストーカーをしているからではない。この前の仕事で彼女の大学の教師を殺した時に偶然知ったのだ。大学内で彼女を見かけた時は、流石の大王も仕事を放棄しそうになるほど喜んだ。
「それでねー、実は私の彼氏がさ。」
「えー!それホント?」
隣で、大きな声でバカみたいに喋る女性2人組がいた。彼女達のせいで、姫のありがとうございました、が聞こえなかった。大王はムッとして、思わず2人組を睨んだ。2人は、まさか殺し屋が睨んでいるとも思わず、バカ話を続けた。
「なんか、ホントかウソか分からないんだけどね、私の彼氏、どうやら怪しい奴らと関わっているらしいの。」
「怪しい奴ら?何それ?」
「なんかこの前狂っとような目をして言ってきたんだよね。お前もモア軍に入らないかって!」
「モア軍?何の事?」
「ほら、アンゴルモアの大王だよ。何でもアンゴルモアの大王から生き残る為に、良いことをしようっていう集団らしい。」
そこまで聞いて、大王は思わず笑ってしまうのを堪えた。軍団というくせに、する事は助かる為に良いことをするとは。どうせなら、アンゴルモアを倒すとか言うほうがカッコいいのに。
「何それ?冗談じゃないの?ていうか、確かに胡散臭いけど、別に怪しくはなくない?だって良いことするわけでしょ。」
「それが、ここからが本題なんだけどね。良いことをする為に、悪い奴らを倒そう!とか言いだしてんの。」
「悪い奴ら?」
「何でも、殺し屋だって。」
殺し屋、その単語に、思わず大王は反応してしまった。なるほど確かに殺し屋は悪かもしれない。しかし、殺し屋を倒したところでアンゴルモアが許してくれるとも思えないが。どうやら話を聞いていた女性もそこで耐えきれなくなったようで、顔を真っ赤にして笑っていた。
「殺し屋って、何それー!」
「いや、真面目な話なんだってば!」
窓を見ると、姫が外を歩いていた。どうやらバイトが終わったらしい。という事は、大王がここに留まる理由もなくなったわけだ。大王は残ったコーヒーを飲み干すと、会計を済ませて外に出た。
「おう!お疲れ!」
新宿の古びたビルの一角、大王達の事務所はそこであった。大王がカフェから事務所に戻ると、何やらパソコンを弄っていたらしいナマケモノがヒョコッと顔を出した。
「おい大王!これ終わったらちょっと話があるんだが、いいか?」
「いいですよ、どうせ暇なので。」
言いながら大王はソファに腰掛け、テレビをつけた。この時間帯のテレビは面白いものがやっていない。しかし、ナマケモノの「終わる」はそれはつまり終わらないの訳だと思っているので、ナマケモノが今日中に終わらせるのを諦めるまでは時間を潰さないといけない。大王はテレビに目を向けながらも、頭の中ではいかに汚れずに人を殺せるか考えていた。やはり罠を仕掛けるのが1番だろうか、しかしそれでは確実に殺せるか分からない。やはりプロたる者、その辺はしっかりしなければ。となると、ナイフではなく銃か、しかしあれは音が大きすぎる。いやまて、銃声を抑える機会もあったな。けど銃だと至近距離の相手にはあまり向かないか。万が一反撃されたらたまったもんじゃない。どうするべきか…
「おーい!大王!聞いてるか?」
気がつくと、横にナマケモノがいた。時計に目をやると、まだあれから30分しか経っていない。
「え?もう仕事終わったんですか?」
「おう!俺は仕事の早い奴だからな!」
「…熱測ってみます?」
「どういう意味だ。」
そう言いながらナマケモノは冷蔵庫を開け、中からコーヒーを取り出して大王と自分の分のコップに注いだ。それを大王の前に置き、自分は大王の前に腰掛けてテレビを消した。大王はそれはそれは驚いた。なぜならナマケモノがコーヒーを入れるという行為を行ったからだ。あのナマケモノに気をつかうなんて事が出来るなんて、大王は到底信じられなかった。まさか目の前にいる奴はナマケモノではないのではないか、もしくはこれは自分が見ている夢の世界なのか、と大王は疑う。疑いだすとキリがないもので、部屋のいたるところが変に見えてくる。そもそも、誰も今見ている世界が夢ではないと証明することなんて出来ないだろう。これが夢じゃないなんて保証はない。
「ほら、飲めよ。」
「あ、ありがとうございます。」
ナマケモノが用意したコーヒーに口をつける。飲みながら、大王はナマケモノをジッと観察していた。どこかにおかしいところがあるはずだ。コイツがナマケモノなわけない。
「それで、大事な話っていうのはな?」
「何ですか?もしかして、ついに本物のナマケモノになったんですか?」
「ちげーよ。昼間、アンゴルモアの話をしただろ?」
「ああ、あれが何か?」
今月末に世界が滅びるというにわかには信じ難いニュースが、ここ最近テレビでは毎日のようにやっている。そんなニュースを今まで知らなかったというのだから、昼間のナマケモノは間違いなくナマケモノだった。その話を知っているということは、今目の前にいるのもナマケモノなのだろうか?いや、本人から聞き出した偽物かもしれない。
「いいか、俺は死にたくない。俺は生きていたいんだ。」
「まぁそりゃそうですね。」
「だから、良いことをしようと思う。」
「良いこと?」
どこかで聞いた話だなと思いながら、大王は何だか嫌な予感がして、ここから抜け出す口実を考え始めた。しかし、ナマケモノは続けて言う。
「良いことをすれば、アンゴルモアも救ってくれるかもしれないからな。だから」
ここでナマケモノは一息ついてから言った。
「俺は会社に謀反を起こす。モア軍団で立ち向かうんだ!」
こんなヘンテコリンな事を言い出すとは、やはり目の前に居るのはナマケモノらしい。