第六話・値切ったり泣いたりビビったり食べ物はなくても市場ってやつは
焼きたてのパン、瓶入りのバター、ざるいっぱいのレンズ豆、牡蠣の大樽、ニシン、軒先の丸鶏。
量り売りで大胆に売られる色とりどりの食べ物、行き交う花売り、ハーブウォーターの屋台。
値切る男を鼻であしらうおかみさん。その駆け引きをはやす声。
駆け出す子供の手には、買ってもらったばかりのお菓子。
笛吹きが奏でるメロディーに、ステップを踏む若い恋人。自慢の歌声を張り上げてご満悦のおじいさん。
そんな市場の光景が現れるのを、今か今かと待ち焦がれて。
「はい、到着。サバトロ、ここが街の市場よ」
「え。ここ……?」
それは、広場であり、道のどん詰まりだった。
「市って、もっとにぎやかなものじゃ……」
広場にはぽつぽつと、古びた布が敷かれていて。
その上に並んだ、わずかな豆や痩せた野菜が売られている。
寒々しい光景。まるで、早すぎた花見みたいだ。
広場の中央には、枯れた噴水。
噴水の周りでたむろしている人たちは一様にぼんやり、うなだれている。
小さな体育座りが、「俺が抜かれたせいでクラス対抗リレーでビリになった小三」のごとく、負のオーラを発散している。
「豆が売っているって言うのは、うそだったみたいね……」
ひよこ豆を期待していたシベリアさんが、腰をさすりながら言う。
「奥さん、ちゃんと売っているぜ。ほら、ここに」
土の上に敷いた布と同化したようなボロを纏った男が、小袋を指さす。
「これっぽっちで銀貨一枚なんて! 誰が買えるものかい!」
シベリアさんが言い捨てる。
「買えないなら、しょうがないね。こっちも商売なんでね。……おや?」
視線を上げた男が、シベリアさんの背中をさするマチに目をとめる。
唇をゆがめ、黒い笑いを見せる。
「これはこれは。麦商家、ブロック家のお嬢さんじゃあないか。あんたまで豆を買いに来るなんて、小麦はいったいどうしたんだよ」
「麦屋だって、豆は使うわ」
「はっ。あんたに売る豆なんてないね。あんたのとこが麦を売ってくれないから、みんな飢えて困っているんだ」
「売らないんじゃなくて、入荷できないから売れないの」
「どうだかねえ。自分のとこで食べる分だけは、がっちり蓄えているんだろ、どうせ。もっぱらのうわさだよ」
「まさか、そんなこと!」
マチが唇をかみしめ、男をにらむ。
ぎゅっと結んだ両手の握りこぶしが、ふるえている。
その手に食い込む爪を想像すると、俺の胸に、爪を立てられたような痛みが走る。
「言いがかりはそのくらいにしておきなさい」
大柄なおじさんが、ずいっとマチの前に出た。
「ブロックさんがそんな、こすいこと、するわけないだろう」
「そうよそうよ。大変なのは街中いっしょよ」
「こんな高値で豆を売って、よく恥ずかしくないわね! ブロックさんを見習いなさい!」
マチと一緒に市へやってきた皆さんが、口々にマチをかばう。
「みなさん……ありがとう」
マチの瞳からひとしずく、涙がこぼれ落ちた。
「マチねえちゃん、なかないでー」
リトル・リルが悲鳴に近い声を上げてマチに駆け寄り、自分のスカートを持ち上げて涙を拭おうとする。
「マチねえちゃん、おなかすいて、ないているのね? しんぶんきしゃ、たぺようか?」
リトル・リルが幼子とは思えない鋭い視線で俺を見る。ひいいーーー。
しかしその視線におびえているのは俺だけで、街のみんなは笑い転げ、一気に場はなごむ。
「5袋で銅貨1枚! それ以上は出せないね!」
「お調子に乗りすぎだ! そんなんじゃ大損だよ!」
豆売り男とマチをかばった皆さんの攻防は、値切り合戦に発展している。
「大損!? 恨むなら、ベーダー家を恨むんだねっ」
誰かの発したひとことに、にぎやかだった空気が凍り付いた。
マチも、はっと顔を上げる。
「え、なになに? どうしたのみんな?」
俺一人が、その雰囲気についていけない。
豆売りの男が慌てて立ち上がり、きょろきょろと辺りを見回す。
「俺は知らないぞ、何も聞いていないし、言ってないからな!」
1日午前9時半ごろ、城下町第三広場で恒例の皐月市が開催された。広場はカップルや家族連れでにぎわいを見せる一方、市には目立った商品はなく、枯れた噴水の周囲では失業者の姿が目立った。レンズ豆を買いに来たという女性(38)は「人はいっぱいいて気晴らしになるが、豆はなかった」と話している。