第五話・市場に向かう新聞記者はなぜか食料視される
薄いコーヒーにミルク、豆からできているというクラッカーような食べ物をほんの少し。
22歳男として転生した胃袋を満たすには程遠い朝ごはんだが、俺の分を捻出するだけでも、大きな負担のはずだ。
申し訳ない気持ちになりながら、外へ出る。
申し分ない日差しが、瞬時に心まであたためてくれる。
「ねえサバトロ。聞いてもいい?」
白いキャップを被ったマチの横顔は、レースがつくる陰影でぐっと大人びて見える。
「うん? なにを?」
「あなたさ……どこから来たの?」
石畳の道。軽やかに歩を進めながら、マチが俺にぶっこんでくる。
「えーっと、それはですねえ」
東京?日本?東洋?転生?
どういえば通じるのだろうか。
「……ちなみに俺、どんな状態で見つかったの」
苦し紛れに逆質問。
「覚えてないの?」
「はい、全く」
覚えているのは、転生前の、俺がお亡くなりになる瞬間までです。
「寝てたのよ。うちのベッドに」
「はいーー?」
寝ていた?ベッドに?
っていうかこの人達、そんな俺をふつうに受け入れて看病していたのか?
「なんか物音がするなあと思ったら、あなたがいたからびっくりしちゃったわよー」
「あの、見ず知らずの人間がいきなり自分ちで寝ていて、身の危険などは考えなかったのでしょうか……?」
「危険だなんて。高熱出して、息も絶え絶えの人が?」
そんなこと考える余裕なかったわよ、とマチ。
「もちろん、驚きはしたのよ。でも、昔はよくあったことだってパパが」
「え、そうなの?」
「この国……オスマイト王国の史詩にあるの。異世界より来たりし者、異形の職で偉業を成す」
異形の職で、偉業を成す。
「パパがね、この人はおそらく異世界人だから、丁重に看病しなさいって。うちのパパは、やたら人を見る目があるのよ」
「ああ……そうみたいだね」
異形の職で、偉業を成す。
俺のリミテッドジョブ:新聞記者が、それに当たるってことなのだろうか。
ふつふつ考えていると、目の前に小柄なおばさんが現れた。
「マチちゃん。おはよう」
「おはよう!ネトロさん。膝の具合はどう?」
ネテロさんっていうのか。彼女に合わせて、マチが歩調を緩める。
「ふふ。おかげさまで、なんとかね」
「ネトロさん、市へ行くの? 必要なものがあれば、あたしが買ってくるわよ」
「ありがとう。でも、できるだけ自分でやらないと、ますます弱っちゃうから」
左足をちょっと引きずりながら、ネトロさんは笑う。
「そっか。じゃあおしゃべりしながら一緒に行きましょう。そうしたら、市までなんてすぐよ」
「あら、いいの? ボーイフレンドもいるのに」
おばさんが俺をちらりと見て、ほほ笑む。
「やだ、そんなんじゃないから!」
そんな全力で否定しなくてもーーー。
「マチちゃん、買い物か?」
「あーマチねえちゃんだー」
「ちょっとマチちゃん、聞いてってば」
「おや、マチちゃんじゃないか!」
マチは始終誰かに話しかけられ、市までの一本道をぽてぽてゆく俺たちは、いつの間にか大集団になっている。
足の悪いネトロさんに合わせてのゆっくりペースだということを考えに入れても、人の集まり方が尋常じゃない。
マチ、どれだけコミュ力高いんだ。
こういう「クラスの中心人物」的女子って、前世では俺にとって、怖いだけだった。
格下と見なしたヤツ(つまり俺とか)のことは、イジりもせず、ただ無視するから。
でもマチはきっと、どこにいても、だれにでも、やさしいんだろうな。
ほら、子どもにまで好かれて、ぎゅっと手を握られている。
「ねえねえマチねえちゃん。あのおにいちゃんはだれー?」
マチからくっついて離れない女の子が、こっちを指さす。
え? 俺のこと?
マチの左手をしっかりつかんだ小さな女の子が、俺を不思議そうに見上げる。
3歳くらいだろうか。
もう赤ちゃんではないけれど、すぐに「だっこー」とか言いそうなサイズ。
「えーと、俺はですねえ……」
いつの間にか、女の子と同じ疑問符を浮かべたまなざしで、マチが俺を見ている。
「俺は、新聞記者です!」
おおおおおお。
自分で言って、自分の言葉に、ちょっと感動している。
言った!ついに言ってみた!
ところが、
「しんぶんきしゃー? なにそれーおいちいのー?」
おっと。まさかの何それおいしいの。
俺を見上げてぽかんとする女の子。
「んー、ある意味、おいしいかな」
偉業を成す、異形の職業ならば。そりゃ、おいしいポジションだもんな。うんうん。
「おいちいのーたぺたいー」
俺を見る女の子が、駄々をこね始める。おい、腹をつつくな。
「そうだねー食べたいねー」
「たぺたいーたぺたいーたぺたいようー」
軽く話を合わせていたら、女の子は立ち止まって、涙をこぼしはじめた。
えっ。なんでなんで。どうしよう。
「あーごめんごめん。いいこいいこ、いないいないばー」
赤ちゃんじゃないんだから、いないいないばーはないだろと冷静な自分が諫めるが、これしか小さい子のあやし方を知らない。
「たぺたいーたぺたいーおなか、すいたようーーーーー」
泣き声はどんどん大きくなっていく。
うわー。俺が、泣かしたんだよ、な?
マチがしゃがみこみ、女の子をすっと引き寄せて抱きしめる。
「よしよしリトル・リル。おなかがすいたのね」
マチのペチコートにぐりぐりと涙と鼻水をなすりつけている。
「マチねーちゃん。リル、しんぶんきしゃ、たぺたい。おいしいんでしょ」
水をすくうように小さな手でボウルをつくり、ぐいっと差し出すリトル・リル。
「うーん、新聞記者っていうのは、今は食べられないの」
「なんでー。おいちいのほしいようー」
「新聞記者はね、これから、すごいことをしてくれるから」
「すごいこと?」
「そう。だから、今食べちゃったらもったいないわよ」
リトル・リルが無表情になる。
どうも、あたまの中でいつ「新聞記者」を食べるべきか、計算しているようだ。
「わかった。あとでたぺる」
リトル・リルがキッと俺を見た、のを俺は見た。
「えらいえらい。じゃあがんばって、市まで行きましょうね」
こくり、頷くリトル・リル。
えらいえらいって……。
俺、完全に食料視されているんですけど……。
1日午前8時半ごろ、城下町通の路上で「少女が号泣している」と110番通報があった。王国福祉課によると、泣いていたのはリトル・リルさん(3)で、目立った外傷はなく、命に別状はない。リルさんは「しんぶんきしゃがたぺたいのに、もらえなくて悲しかった」と話している。