8話
家主にかまうことなく夕ご飯の準備を手際よくサクサクと進める桜さんに何故僕の家の食器の場所を全て把握しているのか激しく問い詰めたかったが、聞いたら後悔が立ちこめそうだったのであえて聞かないことにした。
桜さんは四人分のご飯を用意していた。
え。四人分・・・?
その時ご飯が出来上がったのをまるで見計らっていたかのように、来客を知らせる壊れかけのインタホーンが鳴った。僕は背中に冷や汗をかいていることを自覚した。
「ちょ、ま・・・」
「はいはーい」
家主よりも先に出やがった。しかも誰かも確認せずに。
桜さんは勢いよくドアノブを開けた。ただでさえボロくて今にも壊れそうな建物なのだからもう少しせめて丁寧に扱ってほしい。ドアノブが壊れたら桜さんのせいだ。
「よく来たねー!上がって上がって!」
玄関が狭いせいで誰が来たのか確認ができない。もとより桜さんが邪魔すぎて見えない。恐らく桜さんの様子から察するに一階に住んでいる二人がご飯を食べに来たのだろう。
いや、そんなことはどうでもよくて。よくないけど。
「ちょっと桜さんいい加減にしてくださいよ。不法侵入するわ、勝手に人ん家の食材使って鍋作るわ、人ん家を集合場所にするわ、本当に迷惑なのでやめてください」
「え?別にいいじゃん。僕と夢見時君の仲なんだし。それにこの二人も最近夢見時君に会いたいって言ってたからさー、今日は皆で久しぶりにご飯食べようよ」
キラキラと爽やかに笑いながら桜さんは、ね?と、またも首をあざとく傾げた。いや、だから。可愛くないんだって。そもそもどういう仲だ。ただの管理人と住人だろうが。ひょっとして彼の中で僕は友達認定されているのか?だとしたらこんな迷惑なことはない。
桜さんはニコニコと笑いながら「早く早くー」と、楽しそうに後ろにいる男女の右手と左手をそれぞれ取って、手をつなぎながら僕の家の奥にずかずかと上がり込んだ。
「あの、本日はお招きいただきましてありがとうございます。本日我らが管理人さんの桜さんにお呼ばれされたんですけど、間違っていましたでしょうか・・・?」
ベレー帽を目深にかぶり、どこか昭和チックな水玉のワンピースを着て視線をさまよわせている女性は一階に住む菊野さんだ。
いつもおどおどとしており、視線が合ったことは一度もない。彼女は様々な精神疾患を抱えているが、病気に負けず、漫画家として頑張っている。らしい。
「今日の夕食は鍋なんですか?こんなに暑いのに鍋・・・なんですか・・・」
期待していた夕食が鍋だっただけに落胆の色を隠せていないこのご老人はこれまた一階に住む住人の源治さんだ。最近このボロアパートに越してきた方だ。
管理人の桜さんはよく自分のアパートの住人を自宅に招いたり遊びに誘ったりしている。
昨今の地域交流が希薄になってきたことを危惧しての行動だと、彼は前に熱弁していたが、僕からすればニートゆえの暇な時間を住人を巻き込んで消費しているとしか思えない。迷惑な人である。
しかし遊んだりどこかに行くときの交通費なんかは全部桜さん持ちなので集まりは良かったりする。
ちゃぶ台を囲んで四人で席に着く。もともとボロくて狭い一人暮らし用の部屋なので大の大人が四人も集まれば当然狭い。
「暑い~」
言いながら机の上に置いてあったクーラーのリモコンに桜さんが手を伸ばした。
こいつ・・・。勝手に人ん家に不法侵入した挙句、食材を使って鍋を作った挙句、そのうえ電気代がかかるクーラーまで勝手につけようとしているのか?
「ちょっと。クーラーはやめてください。電気代かかるんですから。扇風機で我慢してください」
「え?やだよ暑いし」
きょとんとした顔をしたかと思えば、桜さんは普通に何のためらいもなくクーラーを起動させた。
「やめてくださいって。ていうか、今から心霊番組観るんでしょう?涼しくなるからって鍋まで用意したわけだし。だったらクーラーなんて要らないでしょう」
僕はリモコンを半ば無理やり強奪すると電源を切った。
「え・・・?今から心霊番組観るんですか?私心霊番組苦手なんですけど」
菊野さんがすみません、と申し訳なさそうな顔で謝る。
「え?そうなの?うーん、どうしようか。僕今日めっちゃ心霊番組観る気でいたんだよねぇ。涼しくなると思ってこうして鍋まで作って皆呼んだわけだし。困ったなぁ。あ、じゃあ菊野さん帰る?」
「え」
桜さんはしょうがないよね、と言ってまたクーラーの電源を入れ始めた。人の話をまるで聞かないこの男は自己中心的という言葉を擬人化したみたいだ。
桜さんの理不尽な言葉に菊野さんは困ったような顔をしながらも怯まない。
「あの~桜さんが帰られてはいかがでしょうか。なんか、夢見時さんもご迷惑していらっしゃるようですし。そんなに心霊番組が見たければひとりでご覧になったらいいのではないでしょうか。それに人様の家のクーラーを勝手につけるだなんて失礼に値するのではないでしょうか。クーラーは電気代だってかかるんですよ?」
菊野さんはノンブレスでそこまで言うとさぁ、と言って玄関のドアを開け、桜さんに帰るように促す。
この人は普段おどおどとしていてメンタルも弱く、視線も合ったことがことがないけれど、気は強い。ケンカを売られたら率先して買うタイプだ。なんでこの人普段おどおどしているんだろう。
「まぁまぁ。ケンカはそこまでにして皆でご飯を食べましょうよ」
ね?と年長者の源治さんが助け舟を出した。
「心霊番組は録画して後日観ましょうよ。一人が怖かったらその時は私が付き合いますから。菊野さんも、そうめんでも食べて頭をいったん冷やしましょう」
源治さんはそうめんを菊野さんに進めて二カッと笑った。
「源氏さん・・・」
宥めるような言葉が二人に届いたのか、桜さんと菊野さんはお互い一言ごめんねと謝ると先ほど座っていた位置へと戻った。
「じゃあ気を取りなおして鍋パーティを始めましょう」
桜さんが観たがっていた心霊番組は録画して、後日源治さんと二人で観るということに落ち着いた。
密室で大人四人で食べる鍋はやはり、というか、当たり前に暑く、結局僕は暑さに負けてクーラーをつけることになった。この電気代はあとで桜さんに請求するつもりだ。
僕は横目でちらりと菊野さんを見た。
菊野さんは一人だけ涼しい顔でそうめんを食べている。本来それは僕のそうめんのはずだった。
思うところはあったが、たかだがそうめん一つでケンカするのも大人としてどうなんだろうと思って僕は黙って鍋をつつくことにした。
「うんうん、涼しいところで食べる鍋はおいしいね!」
能天気に桜さんは頬に食べ物を詰めながら喋る。
「今日はもう別にいいですけど、次から勝手に僕の部屋に入らないで下さいね。お二人も、桜さんに呼ばれたからと言って安易に僕の部屋に入らないように。僕にだって都合とかあるんですから」
「えー、夢見時君に都合なんてあってないようなものでしょ。友達も恋人の気配すらないんだから」
桜さんはおかわりをよそいながら悪びれることなく言った。
「それに夢見時君の部屋が一番物が少なくて集まるのに便利なんだよねぇ」
「一人暮らしの男性にしてはとてもきれいにされてますしね」
「なんとなく落ち着きますよねぇ」
三者三様に呑気に意見を交わしあう。皆他人事なので好き勝手言い放題だ。
そういえば、と僕が食べるはずだったそうめんをつるんと、涼しそうにすすりながら菊野さんは続けた。
「夢見時さんて桜さんと同じくらいにかっこいいのに彼女さんとかいらっしゃらないんですか?」
え!?菊野さん、僕ってかっこいい!?かっこいいの!?と目をキラキラと輝かせて興奮している桜さんを無視して菊野さんはさらに続ける。
「夢見時さんほどかっこよかったら告白とかされるんじゃないんですか?それはなくても女子から人気そうですし、どうなんですかそこらへん」
「どうって言われても・・・」
僕はその時なぜか斉藤さんの言葉を思い出した。
『夢見時君、密かに女子から人気なんだよ。顔がいいしクールだし。だから偶然出会えた今のうちにつばつけとこっかなーって』。
なぜ今思い出したのか自分でも疑問だった。
「連絡先に女の子とかいないの?もしかして夢見時君てソッチ系の人とか?」
「やだ!!桜さんてば!!え、そうなんですか夢見時さん!?」
なぜか興奮している菊野さんは桜さんの肩をバシバシと叩く。ソッチ系ってどっち系だよ。
「ソッチ系がどっち系だが知りませんけど、ただ単にそういう友達とか恋人とかっていう人付き合いがめんどくさいんですよ。それに言うほど僕モテないですし」
「つまんないのー」
「夢見時さんて確かに顔はいいけど、どっか人を寄せ付けない雰囲気があるもんねぇ、女の子からしたら距離を感じるのかもしれないねぇ」
「あー、ヤれない美人よりヤれるブス的な?」
桜さんは菊野さんと源治さんに全然違う!と左右から殴られた。
桜さんはごめんなさいと、小声で謝ると、でもさぁ!と負けじと改めて声を大にして言った。
「僕は、そういう人間関係がめんどくさいから人と関わらないって、あまり良くないと思うよ!地域の交流も希薄になってきた時代だし、学校なんてそれ以上かもしれないけれどね、やっぱり人とはめんどくさくても関わった方がいいと思うよ!若いうちにいろんな人と会話して視野を広げたり人脈を築いておけば困った時に助けてくれるかもしれないからね」
桜さんはそれに、と続ける。
「女子大生と関われるのは現役大学生のうちだけだからね。学生の立場を利用しないともったいないよ」
最後の一言でぶち壊しだった。前半の言葉だけ言っていればよかったのに。本当にこの人は一言余計だ。
「私は関わりたくないのであれば無理に人付き合いをしなくてもいいと思いますけどね、無理して形成した人間関係なんて疲れるだけですし。私の様に必要最低限の人間関係だけ構築できれば普通に仕事をして生きていくことだってできるわけですから。漫画家、おすすめですよ」
菊野さんはフフ、と笑うとお茶を一口飲んだ。いや、そんな理由で漫画家を勧められても。
「まぁ、結局は夢見時さんの人生なわけだから夢見時さんの好きなように生きていいとは思いますけどね。ただ、なんか困ったこととか悩んでいることがあれば私たちに話して欲しいとは思いますよ。同じこのアパートの住人のよしみです、出来る限りお力になりますよ」
源治さんは僕の手を包み込んだ。
なんだかいい話の風にまとめられているがこの人たち自分のことは完全に棚に上げているよな。
まず僕はこの自由奔放な管理人をはじめ、住人にも困っているわけなのだが。
そんなに親身に考えてくれるなら早く僕の部屋から出て行って欲しい。等とはこの空気の中で言えるはずもなく。
「あ・・・。じゃあ、あの、女子中学生が貰って喜ぶものって何だと思います?」