7話
「今日のヒント、友達」
相変わらずサウナと化した愛崎さんの自室は今日もじめじめとして蒸し暑い。この部屋に来るたびに早くクーラーを直してくれと切実に願う。最近ではこんなにも願って、祈っているというのに一向にクーラーを修理する気配がないのを見ると、本当は神様なんていないんじゃないかと思えてくる。唯一の頼りの麦茶と壊れかけの扇風機は、日に日に上がる気温に負けていっている。暑い。
「友達、ね」
僕はいつものメモ帳に記入した。毎度のことながらこのヒントと名付けられた単語たちは本当にヒントなのかと疑ってしまう。
いつか点と点をつないで出来る星座のように、このヒントたちが繋がる日が来るのだろうか。僕は答えが導き出せないようなヒントを出されているんじゃないかと、たまに疑って、不安になってしまう。
「そういえば来週の火曜になったよ。斉藤さんと会うの」
「そっか、わかった。私はその日どうしたらいい?」
「僕が愛崎さんの家に迎えに行くから愛崎さんは家で待ってて」
「わかった」
「あと一応誤解のないように親御さんには僕から伝えてあるから」
「えー、いちいちそんなことしなくてもいいのに。先生って心配症だよね」
「こういうのはきちんとしておかないと後から困るんだよ」
シャーペンを指で器用に回しながら斉藤さんはふーんと相槌を打つ。来週のことが本当に楽しみなのか声のトーンで伝わってくる。普段は大人びているように見えるが、案外素直で年相応に子供だ。僕は彼女の心情をなんとなく聞いてみた。
「楽しみ?」
「少しね。女の子と話すのなんて本当に久しぶりだからちょっと緊張するし、何言われるかわかんないけど」
初対面の年上の女子と会うわけだからそりゃあまぁ、不安になるし緊張するよな。実質斉藤さんが愛崎さんになんて言うか心配だし。余計なこととかデリカシーがないことを言わないよう、祈るばかりだ。最近の僕は祈ってばかりだ。無宗教なのに。だから願いが届かないのだろうか。
「あ、そういえば中間テスト、愛崎さんはどうするの?」
「んー、めんどくさいけどちゃんと受けるよ。保健室で」
「そっか」
そうなのか。僕は少しだけほっとした。
「ちゃんとワークとか、提出物もやるんだよ」
「うるさいなぁ、分かってるよ。でもちょうど会うのが火曜で良かった。テスト、火曜までだから」
「さすがにテスト前には誘わないよ。くどいようだけど、受験生にとってテストって本当に今後の人生を左右するものになるからしっかりね。ま、愛崎さんのことだからそこまで心配はしてないけど」
そして出来ればお風呂にもちゃんと入るんだよ、とはさすがにデリカシーがなさすぎに思えたので言わなかったし、言えなかった。
花の女子中学生だし。思春期真っ只中だし。こういうのは下手に発言するとセクハラになる可能性があるのでここら辺のことはできれば斉藤さんに言ってもらいたい。
最近近年稀にみる猛暑ということもあり、愛崎さんの異臭が強くなってきたように思う。
こちらとしてはいつも隣に座って教えるわけなので、必要最低限の身だしなみはしてもらいたい、というのが本音だ。ついでに部屋も綺麗にしてもらいたい。
と、まぁ。本音は置いといて。
そういえば、斉藤さんといえば見た目からも分かる通り派手な、容姿にとても気を使っているどちらかと言えば、見た目から入りそうな女子であるわけだが、風呂に入らない、髪は伸ばしっぱ、爪も切っていない、異臭を放っている女子中学生相手にちゃんと愛想よく会話できるのだろうか。
それこそ一言目に『臭い』などとデリカシーがない言葉を放たないか不安だ。斉藤さんは物言いがはっきりしている分、伝えたい事がストレートに伝わりすぎて相手を傷つける節がある。
当日はちゃんとしっかりと斉藤さんを監視していよう。
日程的には中間テスト後になるわけだから、テストを頑張ったご褒美も一応用意しておくか。次のモチベーションにも繋がるだろうし。にしても女子中学生が貰って喜ぶものってなんなんだろうか。
愛崎さんをちらりと見やれば、すでにテスト範囲分のテキストを終えて答え合わせをしていた。
ほとんどのページが赤い丸で囲まれていた。テストは心配なさそうだった。
突然だけれど、斉藤さんはおしゃれだと思う。持っている物や身に着けている物がいかに自分によく似合っているか自覚しているし、自分に似合うおしゃれの仕方を心得ているようにも見える。
ゼミでも派手系の女子とつるんでいるし、流行にも敏感だ。常に人の輪の中にいて輝いている人間、それが斉藤あすかという人物だ。カーストで言えばぶっちぎりで最上位に属する人間だろう。
そんな彼女に女子中学生が貰ったら嬉しいものは何だと思うかと参考程度に聞いてみたところ、よくわからない呪文のようなコスメブランドを言われたのであまり、というよりかは全然参考にならなかった。恐らく彼女は女子中学生ではなく、自分に置き換えてもらったら嬉しいものを答えている。
とんだ無駄足を踏んだ。余計な時間を浪費した。
そういうこともあって、僕はいつ崩れてもおかしくないくらいに錆びついているボロアパートの階段を、イラつきを隠すことなくカンカンと登っていく。
本当に、いつ底が抜けても不思議ではない床を歩いてから家の中に入るたびに、今日も無事に帰れたことの喜びを噛みしめる。喜びを噛みしめた瞬間、さっきまで感じていたイラつきが昇華された。安い人間だなと自嘲すると同時に何故僕はここまで命の危機を感じながら暮らさなければならないのだろうと思った。多分これは抱いたら負けな疑問だ。
「ただいま」
僕は一人暮らしなので家には誰もいないが、幼少の頃からの防犯対策は二十を超えた今でも染みついてしまっている。
本来ならば返事や物音が聞こえてはいけないはずなのだが、今日は自分の家から、誰もいないはずの家から声が聞こえた。
「お帰り」
「え」
声のした方に慌てて勢い良く視線を移せば、そこにはこのボロアパートの管理人、桜さんが両手に鍋掴みを嵌め、鍋を持って立っていた。
「・・・・・いや、何でいるんですか」
ていうか何してんだ。
「合鍵で入った」
「不法侵入じゃねえか」
桜さんは何のこと?とあざとく首をかしげると、そんなことよりと言った。
いや、全然そんなことよりじゃねぇよ。しかも全然可愛くない。
「今日ねー心霊番組やるんだってー」
「だから何ですか」
「一人で見るの怖いからさ、皆で夢見時君のお家で見ようよ!」
「帰ってください」
僕は桜さんを締め出した。桜さんは待って待って、痛い痛いと泣き叫んでいたが無視した。
ガッと靴を玄関の扉の隙間に滑り込ませ、必死に言い訳を捲し立て始めた。
「いや、ほんとに勝手に入ったのは悪かったよ!それは謝る!ごめんね!でもさ、最近全然夢見時君と話してないなーとか遊びたいなーとか思ったら居てもたってもいられなくなってさ!マジで!悪気はないんだってば!」
「・・・・・」
「無言でドア閉めようとすんのやめてぇ!ほら、あの、ご飯つくったからさ!それで許して!」
「・・・・ご飯」
桜さんは持っていた鍋を見せつけ、アピールしてきた。ご飯に釣られたわけでは決してないけれど、このままキャンキャン騒がれるのも近所迷惑になるので僕は仕方なくこの不審者、改めボロアパートの管理人を自宅に招いた。
一見可憐な名前なので騙されるかもしれないが、桜さんはれっきとした男性である。二十代後半の彼は、顔立ちは整っているものの、アパートの管理人という立場に胡坐をかいているニートだ。アパートは親から譲り受けたらしい。つまり金を持っている顔がいいニート。そして金を持っているくせにこのボロアパートの修繕をまったくしないケチな管理人なのだ。
「で、今日のご飯は何ですか?」
「キムチ鍋だよ!心霊番組で肝っ玉冷えるかと思って、あえてあったかい料理を作りました!」
「死ね」
心で思っていた言葉が口をついて出てしまったが許してほしい。てかなんで心霊番組を見ることが前提なんだよ。家主の意見はガン無視か。
「こんなクソ暑い中鍋なんてつくんじゃねぇよ」
「夢見時君が冷たい!!いつものことだけど!!」
鍋を持っている時点でまさかとは思ったが、僕の家には調理器具が鍋しかないので、別の料理を鍋で作ったのかと期待したのに。まんま鍋なんか作ってんじゃねぇよ。
僕は冷蔵庫から、実家から送られてきたそうめんを取り出して一人分ゆでる。少しでもこいつに期待した僕が馬鹿だった。念のために冷蔵庫をチェックすると商店街で買っておいた野菜と肉が根こそぎ減っていた。鍋の食材って僕ん家の冷蔵庫から取ったのかよ。
「ふーん、夢見時君はそうめんは冷蔵庫に保管しておく派なんだねぇ。別にパスタと一緒に棚に閉まっておけばいいのに。変わってるね~」
不法侵入者の変人に言われたくはなかった。法律がなくなったらまず一番最初にこいつを殺すかもしれない。