6話
「え?!本当?!」
「図書館なんだから静かにして」
相変わらず係の人以外、人が見当たらない大学の図書館の中に僕と斉藤さんはいた。
斉藤さんの声は相変わらず大きく、響きやすい声質なので今回は前回の失敗も踏まえ、死角になっている一番隅の席を選んだ。とはいっても、係の人はマンガを読んでいるし、人も僕たち以外にいないので、そんなに神経質になる必要はないのだけど。それでも一応図書館なので配慮することにしたのだ。せめて斉藤さんが小声で喋れる人だったならこんなクーラーが一番効きにくい席に座ることもなかったのに。
僕は大学ノートをうちわ代わりに扇いだ。分かってはいたが涼しくない。それでも扇ぐことによって気持ち涼しくはなっている、ような気がする。
「愛崎さんと私と時久の三人で、場所は時久の家でならオッケー・・・。ふぅん、なるほどね」
いつの間にか呼び捨てが定着している。今すぐやめろと言いたかったが、言ったところで斉藤さんが聞き入れてくれるはずもないので僕は諦めた。
「言っておくけどデリカシーのないことは言わないでね」
「言うわけないじゃん!てか、会う前にざっくりと、どういう子なのか知っておきたいんだけど」
「どういう子・・・」
僕は愛崎さんを思い浮かべる。長い前髪、白く細長い指、異臭をまとった華奢な体。暴れた後のような自室。開かないカーテンに閉め切った窓。壊れたクーラー。異常な子。僕の秘密を知っている、女の子。
「・・・・」
「なぁに、自分の教え子なのにどういう子かも説明できないわけぇ?」
「・・・・指がきれいだよ」
「は?何それ・・・。時久は指フェチなの?ま、いいや。・・・・。私さぁ、実は妹がいるんだよね」
「え」
唐突に斉藤さんは話し始めたかと思うと、カバンから缶コーヒーを取り出すとプルトップをカシュっと開け、飲み始めた。
おい。図書館は飲食禁止だぞ。
斉藤さんはまるでビールを一気飲みするかのごとく、ごきゅごきゅと喉を鳴らしながら飲み干すと、ぷはっと空き缶になったそれを勢いよく机に置いた。一つ一つの動作がうるさい。ていうかコーヒーってそういう風に飲むものじゃないだろ。
「妹の友達がさ、不登校の子だったの。妹とその子、すっごく仲が良かったんだよ。うちにも良く遊びに来てたし、私とも仲が良くてね、三人で遊んだりもしたんだ。すっごく明るい子で、人から好かれるような子だった。だからある日突然急に学校に来なくなっちゃったからびっくりしたよ。なんで学校に来なくなったのかもわかんないし、話してくれないし、会ってくれなくなったんだ。で、昨年自殺しちゃった」
「昨年・・・。自殺・・・?」
「いじめもなかったみたいだし、誰もその子がどうして不登校になったのか、何で自殺したのかわかんなかったみたい。家庭に何か問題があったわけでもなかったみたいだし。妹はその子が死んじゃってすごく病んじゃったの。私もすごく妹同様に可愛がってたからショックだった。そういうこともあって、なんか、それ以来不登校とか子供の自殺の話とか聞くと過剰に反応しちゃうんだよね。だから今回の愛崎さんっていう子にも会ってみたくなったし、その子が自殺をいつかしちゃうんじゃないかって心配なんだよ」
「・・・・・」
はじめて斉藤さんから語られる言葉に僕はなんて言っていいのかわからない。
そもそも今日を合わせて二回しか話したことがないのにこんな急に重い話をされても正直困惑するだけだった。
妹の親友が不登校の後に自殺したのが相当トラウマになっているのか、愛崎さんをその子に重ねているのかは知らないが、僕にとってはどうでもいいことだった。だから反応に困った。
いや、そんなことより。
「・・・・意外だな」
「え?」
「てっきり暇つぶしとか面白半分で愛崎さんのことに首を突っ込んでるんだと思ってた。だから、ちゃんとした理由があったから、何か、正直びっくりした」
「・・・・。時久ってデリカシーがないってよく言われない?」
斉藤さんはまぁいいけどと言うと、愛用しているのであろう、白いカバンからスケジュール帳を取り出した。
白色という最も汚れが目立ちやすい色のカバンを使っているのに、汚れや傷が一つも見あたらないのは、カバンを買ったばかりなのか、大切に使っているからなのか、どっちなんだろう。なんとなく後者っぽい。何故そう思ったのかはわからない。
「来週とか私、暇だから空いてるんだけど。時久と愛崎さんはどう?」
「愛崎さんはいつでもいいって言ってた。僕も別にいつでもいいよ」
「じゃあ・・・。そうだな、来週の火曜日にしようか!時久、自宅の地図送って欲しいからline交換しようよ」
「・・・・・・・・・・」
一度携帯機器で脅された身である。一回脅された相手にやすやすと連絡先を教えていいものか・・・。しかも連絡先と自宅の場所を教えるんだよな・・・。正直に言わなくても普通に嫌だった。
「あ、もしかしてまた私が時久の個人情報を使って脅したりしないか心配してるんでしょ。そんなことしないから安心しなって!ちょっとゼミの皆に自慢するだけだから」
「それが嫌なんだけど。ていうか、僕の連絡先と自宅を知っていたところで何の自慢にもならないと思うんだけど」
「だからぁ、前にも言ったけど、時久は女子の間ではそこそこ人気があるんですぅ!イケメンでミステリアスでクールなとこがウケてんの!けど、時久って何考えてるかわかんないし話しかけづらいから皆エンリョしてんの。時久狙いの子なんてたくさんいるよー?」
「そんなことないと思うけど」
「そんなことあるから言ってんの!そんななかで私だけが時久の連絡先と自宅を知ってたらすっごい優越感に浸れそうだよねぇ。あ!私だけが知ってるってとこがキモね!時久は今後私以外の大学の女と連絡先交換するの禁止ね!」
「なんで彼女でも友達でもない斉藤さんにそんなこと言われなきゃいけないわけ?ていうか、そもそも連絡先を教えるなんて言ってない」
「え!?教えてよ!!」
「やだ」
「教えてって!わかった、ゼミの子たちにも自慢しないから!!」
「やだ」
「個人情報を悪用したり脅したりもしないから!」
「やだ。そもそもそれは当たり前のことだ」
「やだやだやだ!イケメンの個人情報知りたい!あ、じゃあさじゃあさ、こないだの写メ今目の前で消してあげるから!ね?!」
斉藤さんはこれでどうだと言わんばかりにメロン、もとい胸を張って得意げに言い放った。
確かに揺らぐ言葉ではあった。しかし僕が斉藤さんの胸を揉んでいるかのように見えるでっちあげられたあの写真と、僕の連絡先と住所では等価交換が割に合わない気がする。
個人情報を与えたら何をするかわからないこの女子に果たして教えていいものか・・・。しかし写真という物的証拠を削除するのであれば・・・。うーん、どうしたらいいんだ。
けれど、今日みたくゼミがあるときや授業が被った時とかにいちいち『後で話があるから来てほしい』って伝えるのもめんどくさいし。冷やかしがうざいんだよな・・・。斉藤さんはまんざらでもなさそうだけど。それを考えると、わざわざ話しかけに行かなくても必要な時にスマホでやり取り出来たら楽だよな。
しかし斉藤さんに連絡先を渡しても周囲に見せびらかされそうだし、SNSとかに普通に上げられそうで怖い。
でも。うーん。
「・・・・・わかった」
僕はしぶしぶ折れることにした。
連絡先を交換するということは必然的に僕も彼女の連絡先を知れるし。もしまた何か脅されるようなことがあれば僕も彼女の連絡先を売ることにしよう。
「やったー!イケメンの連絡先ゲット!あ、写真は今消すから安心して!」
斉藤さんは慣れた手つきでフォルダの中に入っていた、僕が斉藤さんに痴漢を働いている(ように見える)写真を目の前で消してくれた。
これバックアップ取ってあるとかそういうオチないよな・・・?
そういえば。写真と言えば。
僕はスマホアプリのlineのQRコード画面を開きながら、聞きたかったことを斉藤さんに思い切って聞いてみることにした。
「あのさ、聞きたかったんだけど。斉藤さんは誰にでもこうやって自分の体を触らせて、でっち上げの証拠を撮って脅したりとかよくするの?」
「あ、怒ってる?」
「まぁ、もちろん怒ってはいるし、呆れてもいるんだけどね。余計なお世話かもしれないけど、こういうことあんま、ていうか、しないほうがいいよ。僕の連絡先のこともそうだけど、優越感に浸るために、とかそういうのも、友達なくすよ」
ん、と。僕はそっけなくlineのQRコード画面を差し出した。
同い年の女子と連絡先を交換するのなんて初めてだ。まさか初めて交換する相手が斉藤さんだとは夢にも思わなかったけど。
斉藤さんはちょっと待ってと言って、lineのQRコードを読み取る。友達追加された彼女の名前は眠り姫と表記されていた。アイコンは眠っているお姫様のイラストだった。ちなみに一言は『ずっと眠っていたい』。
「よしっと。友達追加完了―!ありがとうね、時久。で、なんだっけ?」
斉藤さんはスマホをいじるのに夢中で僕の話を聞いていないようだった。あるいは、聞いていないフリをしているのかもしれない。
「・・・・やっぱ何でもない」
僕はそれ以上追及するのをやめた。
それから来るべく来週のことを少し話し合って、図書館からの帰り道にブラックの缶コーヒーを奢らされた。今日で缶コーヒーを二本飲んでいるけど大丈夫なのだろうか。コーヒーを飲まない(飲めない)僕からするとコーヒーは体に悪いイメージが強い。カフェインが含まれているから夜眠れなくなって寝不足に陥る、あるいは眠たいのに眠気覚ましのために仕方なく飲む、というイメージが強いのだ。何よりもあのどこまでも続く、黒くてすさまじく苦い、深い闇を好き好んで飲む人の気持ちが理解できない。斉藤さんは美味しくてコーヒーを飲んでいるのだろうか。
『ずっと眠っていたい』のなら、目が覚めるコーヒーなんか飲まなきゃいいのに。
ピロン、と通知を知らせる可愛らしい音がポケットから響いた。
可愛らしい音なのは初期設定から弄ってないからだ。恐らく十中八九今しがた別れたばかりの斉藤さんだろう。
lineを開くと案の情そこには斉藤さん、もとい眠り姫からトークが届いていた。
『さっきはコーヒー奢ってくれてありがと!来週愛崎さんに会えるの楽しみしてる!』。
缶コーヒー一本奢っただけでわざわざお礼のlineを送るとはなかなか律儀な人だ。
僕は普段こういった画面上でのやり取りをまったくしないのでなんて返信していいか迷ったが、結局はこう打った。
『どういたしまして。でも大学生で所持金五十円はやばいと思う』。