3話
「え?嘘。夢見時君何読んでんの?」
「斉藤さん」
大学内にある図書館はあまり人が来ないことが唯一の長所だと思っていたのだが、今日でその更新は途切れたようだ。
彼女、同じゼミの斉藤あすかが僕の傍らに立っていた。ゼミでのキャラを見ている限りでは、あまり図書館などに来るような人物ではないのに。偏見だったようだ。彼女は声が大きいので、静けさを好む僕にとっては少し天敵だったりする。
斉藤さんは僕の隣にずいっ、と座ると、興味津々に僕が読んでいた本を覗き込んだ。どうでもいいがやたら人との距離感が近い女子である。
ふわふわに巻いた茶髪の髪の毛にバッサリとした長いまつげ、ふわりと薫るきつめの香水は今時の女子大生という感じがして苦手だ。無駄に派手。
「不登校のSOS・・・?なにこれ、何でこんな夢見時君とは無縁そうな本読んでるの?」
「別に・・・」
少しでも愛崎さんの考えていることが分かるかもしれないと思い、参考程度に手にした本だ。まさか同級生に声をかけられるとは思っていなかったので調度いい言い訳が見つからない。別に隠す必要もないのだが、何となく斉藤さんには愛崎さんのことを知られたくなかった。
僕から本を勢いよく奪い取ると、さも興味なさげにパラパラと本をめくっては『ふーん』『へー』、『ほー』、等と、つまらなそうな反応を示した。この反応と本をめくる速さで絶対に読んでいないことがわかる。
一通りパラパラと本をめくり終わると、彼女は乱暴に机に本を置いた。どさっ、と静かな空間に大きい音が響いた。僕たちと係の人以外に人がいないとはいえ、ここは一応図書館だ。静かにしてほしい。というか普通に態度が悪い。今の態度で僕はだいぶ彼女の印象がマイナスになった。
「夢見時君、なんか悩んでるの?」
「別に。斉藤さんには関係ないよ。それより何か用?」
「用はあるっちゃあるし、ないっちゃないよ。私の用はね、夢見時君とお喋りすることだから」
「はぁ・・・?」
斉藤さんは長く伸びた、手入れの行き届いた髪の毛を耳にかけた。愛崎さんと同じくらいの髪の長さなのにこうも違うのか。斉藤さんの髪の毛はとても綺麗だった。露わになった耳にはいくつものピアスが開いていた。なんというか、そのピアスはおしゃれ用のピアスとかではなく、本当にただ穴をあけて塞がらないように適当に差しているだけのピアスのようだった。服装に全然合っていない。なんとなくそれが意外だった。
「夢見時君、密かに女子から人気なんだよ。顔がいいしクールだし。だから偶然出会えた今のうちにつばつけとこっかなーって」
「はぁ」
僕って女子から見たらそんな印象なのか。これまた意外だ。どうでもいいけど。
「反応薄っ!ま、いいけどね。てかそんなことより本当に夢見時君みたいな人がこんな本読むなんてすっごく意外なんだけど。どうしたの?兄弟が不登校とか?そうでもないと夢見時君みたいな、いかにも他人に興味ありませんーって感じの人が読むなんて考えられないんだけど?」
慇懃無礼な女子だな。僕は一瞬でさらに彼女の印象がマイナスになった。苦手を通り越してもはや嫌いなタイプの人種かもしれない。
「別に・・・。ただ家庭教師先の生徒が不登校なだけ」
「え?そうなの?てか夢見時君て家庭教師のバイトしてたんだ。意外だなぁ。カテキョもいろいろ大変なんだねぇ。でも、ま、不登校なんて今時珍しくもないでしょ。宿題が嫌とか人間関係にちょっとつまずいたとかで最近の子はすぐ学校休んだりするし。別にいじめじゃないんだよね?」
「さぁ。教えてくれないから」
「なるほど。原因不明で、その理由を何かと探してるってわけね。たかがバイト先の子供なのにそこまでするなんて優しいね。これも意外な発見」
斉藤さんはうーん、と唸ったかと思うと、次の瞬間にはポンと手をたたいた。そのしぐさで彼女が何か閃いたのを感じ取るのと同時に嫌な予感がした。
「私も手伝うよ!」
的中した。
「手伝うって・・・。何を?」
一応聞いてみた。
「どうしてその子が不登校なのか私も一緒に考えるよ!で、そんでその子が学校に通えるようにしよう!」
斉藤さんはそう言うと、肩にかけていた白のカバンからメモ帳とボールペンを取り出した。
どうやら愛崎さんについてメモをするから詳しく教えろということらしい。斉藤さんは目をキラキラと輝かせてこちらをじっと見ている。いい暇つぶしが見つかったと、顔には書いてあった。
「守秘義務」
「えー!!なんでよ!」
「そもそも不登校なんてデリケートな問題に何の関係もない赤の他人を巻き込むわけないだろ。面白おかしく首を突っ込まれても迷惑だ」
「いけず」
斉藤さんは子供がするように不満そうに頬を膨らませた。・・・。この子本当に僕と同い年なのか・・・?年齢の割に子供っぽい。もしくはあざとい。
「絶対学校には行った方がいいのに。その子何年生なの。名前は?性別は?」
ここで引き下がらないのは果たして彼女の長所なのか短所なのか。ぐいぐいと顔を近づけてくる斉藤さんは好奇心と意地が半々を占めている。僕はここにきてめんどくさい女子に絡まれていることにやっと気付いた。
やたら最初から距離感が近い女子は今後絶対に関わらないようにしようと心に決めた。ん、そういえば愛崎さんも比較的距離感が近い子のような気がしたが、ここは気のせいということにしておこう。
「迷惑だからもう帰って。うるさいし。ここ図書館なんだから静かにして」
「別にいいじゃん!私たち以外に人いないし!ていうか、ねえ、一緒にその子を不登校から救おうよ!もしかしたら話聞いてほしいのかもよ?私協力するからさ!私をその子に紹介してよ!」
「絶対に嫌だ。帰れ」
「やだ!」
「帰れ」
「むーっ!」
斉藤さんはメモ帳とボールペンを乱暴に机の上に置いたかと思うと、急に僕の手を掴み、自分の胸に思いきり手を押し当てた。初めて揉む女性の胸は柔らかく、それでいて弾力があった。そして服の上からでもわかってはいたが、まるでメロンのような大きさのそれは、人肌の体温をまとっており、いやに生々しかった。
ある種の感動と驚きを噛みしめていたのがまずかったのか、気づいた時にはカシャッと嫌な音が鼓膜に響いていた。それは一瞬の出来事だった。迂闊。
「え・・・」
「ふふん、犯行現場の証拠を押さえたナリ~!さ、これで夢見時君の弱みも握れたし、その不登校の子について詳しく教えてよ!」
斉藤さんはスマホの画面を得意げに見せつけた。そこには斉藤さんが僕の手を掴んでいるところはうまく写らないように撮ってあり、はたから見たら僕が斉藤さんに痴漢を働いているような写真だった。
「この写真バラされたくないでしょ?」
「・・・・・」
この女・・・。なかなかいい性格をしている。それにしても斉藤さんといい愛崎さんといい、なぜ僕の周りにいる女は僕の弱みをすぐに握ろうとしてくるんだ。女って怖い。
「ね、いいでしょ。絶対女の子がいた方が役に立つって!それに男の人には話しにくいこともあるだろうしさ~?私がその子のこと絶対に学校に行かせてみせるよ!そういうわけで私のことはあすかって呼んでね!」
「待って。愛崎さんに直接会うつもり?ていうか何がそういうわけでか全然わかんないんだけど」
「当たり前じゃん!まずはその愛崎?って子と友達になるの!で、名前呼びなのはイケメンに呼び捨てで呼ばれるのってすっごく優越感感じるから!あ、私も時久って呼んでもいい?」
「絶対に呼ぶんじゃねぇ」
「なんでよ!私のおっぱい触ったくせに!」
「触らせたの間違いでしょ」
「触ったことに違いはないでしょ。そんなこと言うとマジでこの写真拡散するからね!ハッシュタグもつけちゃうし」
「やめろ」
冗談めかして普通に脅しをかけてくるのは昨今の女子の間ではブームなのだろうか。だとしたら速やかにやめていただきたい。男子の肩身が狭すぎる。いや、握られる弱みを持っていることがまず問題なのか。女子の前では今後、僕は絶対に隙を見せないようにしようと心に誓った。
「そういうわけだから私のこと愛崎さんに話しておいてね!」
「・・・・嫌がるかもよ」
「拒否られたらそん時考えるから、時久はとりあえず絶対私のことを愛崎さんに紹介だけでもしといてね!もしかしたら会ってくれるかもだし!・・・・・ね、ところでさ」
いつの間にか取り出していたメモ帳とボールペンを閉まっていた斉藤さんがぐっと、たださえ近かった距離をさらに縮めて僕の耳元で囁いた。
「私のおっぱいどうだった・・・?」