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残響に耳を塞いで  作者: もちもちのき
2/22

2話

 「はい今日の授業はここまで。お疲れさまでした」

「今日もありがとうね、先生」

 愛崎さんはそう言ってやはり麦茶をグラスに並々注ぎ、ぐびぐびと一気に飲み干した。

 愛崎さんの自室にはクーラーなんてものはないので、冷えている麦茶と壊れかけの扇風機で体を冷やすしかないのだ。

 クーラーはあるにはあるのだが、どうやら壊れているらしい。そのせいで家庭教師の僕もとばっちりを食らっているのである。要するにものすごく暑い。まだ六月に入ったばかりだというのに今年は昨年よりも暑い。異常気象だ。

 「毎度思うんだけど、こんな暑い部屋でごめんね。クーラー壊れてるしさ、暑いよね」

 毎度そう思うのなら親に頼んでクーラーを修理するか新しく買ってもらってくれ。とはさすがに言えなかった。

 「いや、クーラー病になる心配もないしむしろいいんじゃないかな」

 「そう?ならよかった」

 僕は当たり障りなく適当にそう言うと、机の上にあるテキストと筆記用具を素早くカバンの中に入れた。愛崎さんにはああ言ったが、正直この部屋はめちゃくちゃ暑く、カーテンも窓も扉も全て締め切られているせいか、ものすごくじめじめとしているので愛崎家から、というよりこの部屋から一分一秒でも早く出て、クーラーがガンガンにかかっている我が家へと帰りたいというのが本音だ。もはやこの部屋はサウナだ。外の方がまだマシなんじゃないのか。一台しかない壊れかけの扇風機は全然涼しくない。

一度だけ換気のためと窓とカーテンを開けようとしたことがあるのだが、ものすごい剣幕で怒鳴られたため、それ以来、僕はこの締め切ってじめじめとした、岩の裏のような部屋で熱中症を危惧しながら勉強を教えている。

切実に早く帰りたい。しかしそう簡単に家に帰してくれないのが愛崎さんである。

 「先生は大学楽しい?」

 授業が終わるとこうして雑談を始めるのだ。

 「普通だよ。まぁ、楽しいかもね」

 「ふーん、どんなとこが?」

 「クラスがないとことか学食が美味しいとことか」

 「なにそれ。ウケる」

 風呂に入っていないからであろう、脂ぎった長い髪の毛を指にくるくると巻いてけらけらと笑う愛崎さんは楽しそうだ。ちなみに表情は長い前髪のせいで見えない。何がそんなに面白いのか。

それにしてもこの部屋は本当に暑い。熱中症にならないかが割と本気で心配になってくる。愛崎さんは長袖で暑くないのか・・・?

 僕は愛崎さん同様、グラスに並々麦茶を注いで一気に飲み干した。もう冷気を失っているそれは生ぬるくて余計に不快になった。飲まなければよかったかもしれない。

 「・・・・・愛崎さんは学校行かないの」

 「行かないよ」

 間髪入れず彼女はきっぱりと断言した。

 「なんでとか聞かないでよね。それを当てるのが先生の役目なんだから」

 「・・・・・」

 「言っとくけど一応私に弱みを握られてるんだからね?先生は。もし私の家庭教師を辞めたりなんかしたら先生の秘密バラしちゃうからね。じゃなくてもゲームから降りたりルール違反を次からした場合もバラすから」

 僕は目の前にいる不衛生な女子中学生に改めて弱みを握られていることを突き付けられた。もう何度も聞き飽きたゲームのルールと脅し文句。しつこいくらい言ってくるのは常に自分が上の立場にいるとわからせるためなのか。

 僕の弱み。誰にも知られたくない秘密。それをこの少女は握っている。

 「・・・・分かってるよ」

 「そう?なら、いいけど・・・。先生汗、すごいよ」

 「・・・暑いからさ、この部屋」

 僕は汗をハンカチで拭った。


 中学生。思春期真っ只中。一番めんどくさく、取り扱いが難しい年頃。そんな子供を相手に家庭教師のアルバイトを始めて二年がたつ。

 時給の良さにつられて始めたこのバイトだが、勉強を子どもに教える楽しさを少しずつ感じ始め、一時は教員になるのも悪くないかも、なんて思っていた時期もあったが・・・。

 「今は子供がこええよ・・・」

 あの僕の弱みを握っている悪魔の、もとい愛崎さん家、もといサウナからの帰り道。

 今年は異常気象もあって外は近年稀に見る暑さだ。暑くて喜んでいるのか、憂いているのか、蝉はオーケストラを奏でている。何故こうも蝉の鳴き声は暑さを助長させるのか。

それでもあのクーラーが壊れた汚部屋にいるよりは外にいる方がはるかに涼しいし、健康的にも思える。精神的にも肉体的にも。

というか他人をあんな汚部屋によく呼べるよな・・・。 あんな暴れた後みたいな部屋に・・・。今更ではあるが。思春期の女子ってもっとこう、恥じらいとか人一倍強いと思ってた。

 あの様子じゃあ、両親も娘に関しては放任主義か過保護を貫いているのだろう。普通の親だったら部屋を片付けさせたり風呂に入れたりするものだろうし。それを言わない(もしくは親の言うことを聞いていないだけなのかもしれないが)ってことは多分そういうことだ。

 普通ではない。あの家庭は。異常だ。今更だが。

 「いや、てかそもそも中学三年の不登校児の受験生を僕に丸投げすんなよ・・・」

 これも今更ではあるが。

 学校の担任とかどうしてんだろ。いや、担任はほかの生徒の進路相談とかで手いっぱいだろうな。わざわざ一不登校児なんかにかまってる暇なんかないだろうし。それにしたって。それにしたって、なぁ・・・。

 「今月中間テストなんだよな」

 テスト。それは受験生ならば避けて通れない道だ。さすがにあの愛崎さんが教室でテストを受けるわけないだろうし。保健室で受けるのかな。それもなんとなく考えられないけど。

そのことについて今日話せば良かったかもしれない。

 大体不登校になる理由は人間関係が大半だ。多分愛崎さんも例に漏れず人間関係でつまずいて不登校になったんだろう。だとすると、やっぱり。一番考えられる無難なものは。

 「いじめかな」

 まぁ、予想でしかないけれど。


 「ただいま」

 商店街を突っ切って、曲がって右に僕の家はある。家というにはいささか情けないぐらいのボロアパートだけれど。このボロアパートも最初のうちはそのボロさ加減に驚きもしたけれど、住んで生活していくうちに慣れた。隣人がうるさかったり、病んでたり、変人だったりして案外おもしろかったりするし。人間とは順応する生き物ということを僕は身をもって知った。小さな不満は数多くあれど、まぁ一人暮らしの苦学生がギリギリ出せる家賃価格なので文句は言うまい。それに通り道が商店街なので案外買い物が楽だったりする。安いし。

 朝からつけっぱなしのクーラーが効いた部屋はもはやオアシスだった。

僕は愛崎さんの家庭教師のバイトがある日は決まって朝から部屋をクーラーであらかじめ冷やしておくのだ。でないと、とてもじゃないが死んでしまう。生徒の部屋はサウナで外は炎天下なのだ。せめて自室くらいはキンキンに冷やしておきたい。ちなみに電気代には目を瞑ることにしている。

 「さて」

 僕はカバンの小さいポケットからメモ帳を取り出した。ここには今まで愛崎さんが不登校になるに至ったヒントたちが記載されている。

愛崎さんの家庭教師のバイトは週に二回。授業一回につき基本的にヒントは一つ与えられるが、彼女の気分次第ではヒントを教えてくれなかったり、多く教えてくれたりするので、あまり回数はあてにならなかったりする。

 とりあえずこの二か月間で得たヒントをまとめてみた。

同級生

クラス

学校

二年四組

花壇

美化委員会

女子

男子

来年

10、受験

11、スカート

12、階段

13、手

14、アイドル

15、いい子

16、悪い子

17、昨年


 うん、全然わからない。そもそもこの17のヒントからなる共通点がさっぱりわからない。

本当にこれがヒントなのだろうか。ヒントとは名ばかりで、適当に言っているだけなのでは・・・。

 とにかく愛崎さんの合格発表の日までにはなんとしても答えを見つけ出さなくてはならない。

正解。正しい答え。

でなければ彼女は飛び降り自殺を決行し、僕は僕の秘密をバラされてしまう。

 僕の秘密。誰にも知られたくない、秘密。彼女だけが知る僕だけの秘密。

もし、彼女の不登校の理由が分かれば、正解すれば、晴れて僕は彼女から離れられるし、秘密も守られる。そして彼女も生存ルートを辿ることになる。これが最善のハッピーエンド。

 まぁ、最も彼女が僕の秘密をバラさない保証も彼女が本当に自殺するつもりなのかも定かではないが。

 不登校児がただ単にストレス発散で大人をからかって遊んでいるだけなのかもしれない。けれど、仮にそうだとしても。弱みを実際に握られているうちは彼女の言うことを聞いておいた方が利口だ。正直、僕は僕の秘密をバラされなければ彼女が不登校のままだろうが、自殺しようがどうでもいい。大事なのは秘密を誰にもバラされないことだ。だから彼女が死ぬようなバッドエンドにはならないようにしなくてはならない。バッドエンドとは彼女にとってではなく、僕にとってのバッドエンドなのだ。彼女が自殺をするルートを辿れば僕の秘密をバラされるルートにもなってしまうからだ。

 そんなわけで僕はバカバカしくもいち女子中学生の毎回出すヒントをこうして丁寧にまとめているわけである。

 「本当に何してんだが。僕は」

 僕はヒントをまとめたメモ帳を放り出すと、ちゃぶ台に突っ伏した。一日つけっぱなしにしていたせいか突っ伏したちゃぶ台はひんやりとしていた。頬から伝わる冷気は少しだけ頭を冷静にさせてくれる。

 愛崎さん。僕は君が本当に何を考えているのかわからないよ。


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