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残響に耳を塞いで  作者: もちもちのき
16/22

16話

 「あれ?帰り遅かったねぇ夢見時くん」


 「げ」


 ボロアパートに帰宅すると、桜さんがいつ崩壊してもおかしくないサビだらけの階段に座りタバコをふかしていた。

 桜さんはたばこがよく似合う。


 「あんたは何してんですか」


 「僕?見ての通りたばこ吸ってるだけだよーん」


 桜さんは傍に置いていたジュース缶を灰皿にし、階段から腰を上げた。

 こうして見ると彼が改めて長身だと分かる。180手前くらいだろうか?顔が小さく整っているので、初対面で会う人はまず間違いなく芸能人だと思うだろう。

 

 「夢見時くんは何してたの?愛ちゃん送ってきたの?」


 「まぁそんなとこです。それよりあんた、いい加減人の家に不法侵入とかやめてくださいよ」


 「えー?いいじゃんサプライズだよ。そんなことよりちょっと散歩しない?僕、これ捨てたいし」


 桜さんはジュース缶を持ち上げ、人差し指で弾いた。今しがた吸っていたたばこのせいかそれは臭い。

ていうか家で捨てればいいのに。


 「あ!夢見時くん今ジュース缶だけにカンって鳴ったって思ったでしょ〜!」


 「思ってねぇよ。それより目の前に家があるんだから家で捨てればいいじゃないですか。そもそもそれどこに捨てに行くんですか?」


 「自販機の隣のゴミ箱。僕分別苦手だしよくわかんないから基本家にゴミってないんだよねぇ」


 ついでたしジュース奢ってあげる、といって桜さんはなかば強引に僕の背中を押して歩みを促した。

 この人は自分のペースに人を乗せるのがうまい。そこがきっと彼の長所であり、僕が彼の嫌いなところだ。


 「ねぇ、今日夢見時くん家にきた愛ちゃん。なかなかパンチ効いてたね。彼女、15だっけ?あの外見で親はなんも言わないのかねぇ」


 初夏の夜は風が涼しい。まるで昼間の暑さが嘘みたいだ。


 「外見て…」


 「お風呂、もう何日も入ってないよね?異臭と、頭が脂ぎってたし。あと、爪も黒かったし。それに今日は最高気温だったのに彼女長袖着てたよね?前髪も、尋常じゃないくらい長かったし、それに細かった」


 「まぁ」


 「まぁって。今日愛ちゃん家に送ってきたんだよね?親御さんには会った?」


 「軽く挨拶はしましたけど」


 「普通の親だったら身なりについてなんか指導するよね?親は放任主義なのかな、それにしても度を越しているし」


 「さぁ…。僕には関係ないことなので」


 「は?それマジで言ってんの?仮にも教え子でしょ。今日だって斉藤ちゃんと一緒に招き入れてたじゃん。それにもし虐待で、夢見時くんにsosを求めてたらどーすんの」


 桜さんが柄にもなく動揺している。

 いつも飄々としていて軽口ばかり吐く人の迷惑も考えないような人が他人を心配している。

 そういえば前に子供好きって言ってたなぁ。


 「いや…。ていうか…。桜さん今なんて?」


 「だーかーらー‼︎お風呂使わせてもらえないとかご飯ちゃんと食べさせてもらえないとか!虐待だったらどーすんのって‼︎」


 長い前髪。何日もお風呂に入っていない身体。クーラーが壊れたゴミ部屋。干渉しない母親。


 愛崎さんが不登校の、理由。

 学校に行かない理由。

 学校に行けない、理由。




 『あの人愛ちゃんのこと本当に好きなのかな』



 「…………なくはない、か……?」


 「は?何が」


 そうだ。今まで愛崎さん自身が横暴な態度だったから、僕の目の前では母親はいつも頭を下げていたから、思いつきさえしなかったけど、もし仮に愛崎さんが虐待を受けていたとしたら、それが学校に行けない不登校の理由なんじゃないのか?

いや、でも。

本当に虐待なのか?あの気弱そうな母親が気の強い愛崎さんを虐待しているとは思えない。むしろ逆だったらしっくりくるんだけど。


 「アザ…」


 「え?」


 「虐待されてるならどこかにアザがあるはず。それが愛崎さんにはない」


 桜さんは一瞬、ぽかんとあっけに取られた顔をして、次に深いため息を吐いて、それから盛大に呆れた顔をした。

 髪をガシガシと掻き毟ると、あのねぇ、と続けた。


 「夢見時くん、虐待っていうのは何も暴力だけじゃないんだよ。見えない暴力っていうのもあるの。別にアザがないからって虐待されてないってことはないんだよ。ていうか、愛ちゃんを初めて見たときに疑わなかったの?」


 「好きでああいう、不潔を好んでるのかと」


 「この馬鹿‼︎‼︎‼︎そんなわけないでしょ‼︎‼︎」


 桜さんはくるりと踵を返す。目的地の自販機はまだ先だ。


 「どこ行くんですか?」


 「帰って警察に電話するんだよ‼︎僕携帯持ってないから‼︎」



 「それはだめです」



 凛とした、けれど女性らしい柔らかな声が響いて後ろを振り返った。

 そこには白いワンピースと白い帽子を身に纏った菊野さんが立っていた。


 


 


 


 


 


 


 

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