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残響に耳を塞いで  作者: もちもちのき
11/22

11話

約束の火曜日。

 僕は愛崎さんの自宅に彼女を迎えに行った。

 今日で中間テストが終わるため、学校は午前までなのだ。

 別段期待等はしていなかったが、やはりいつも通り彼女は不潔さを身に纏っていた。

 風呂に入らないため、髪の毛はぎっとりと脂ぎってテカっているし、細く長い四肢からは微かに酸っぱい異臭がただよっている。長く伸びた前髪のせいで表情が読み取れないのもいつも通りだ。

 初対面の年上の女性に会うからと言って、彼女が今更身だしなみを気にするとは思えなかったが、ここまでいつも通りとは。 というか、その格好のまま登校したのか。


 僕は小さくため息を吐いた。


 斉藤さん・・・。どんな反応するだろうか。

 

 「先生どうしたの?」

 「何でもないよ。じゃ、行こうか」

  僕たちは並んで家を出た。隣にいる彼女をちらりと盗み見れば、中学生の平均(僕が今まで受け持ってきた中学生の生徒の中では)より少し高い身長ということが判明した。いつもは座って授業をしているので、同じ横顔でもだいぶ印象が違って見える。愛崎さん、こんなに身長高かったんだ。160センチそこそこといったところか。

 平日の昼間なので人通りは少ない。

 普段家に引きこもっている彼女が外に出やすいように時間設定を昼くらいにしたのだ。

 それでもやはり久しぶりの外で緊張しているのか、愛崎さんの表情は硬い。(ような気がする。如何せん、長すぎる前髪で顔が見えないのでただの憶測に過ぎないが)

 辛うじて長い前髪の隙間から見えた口元はきゅっと固く結ばれていた。

 周囲が気になるのか、隣にいたはずの彼女は少しずつ、僕の後ろに隠れるようにして歩く。

 「そういえばテストはどうだった?」

 僕は少しでも周囲から意識が逸れるよう愛崎さんに話しかけた。

 「え・・・。別に、普通」

 どこかそわそわしている。落ち着かない様子だ。話す言葉がいつもより早口だ。

 「僕の家、愛崎さんの家から近いんだ。商店街を抜けちゃえば今よりも人がいなくなるからもうちょっと頑張ってね」

 「・・・・・・・。うん」

 緊張しているのかやたら素直だった。僕の服をきゅっとつかむと再び下を向いて歩きだした。

 視線はずっと下だ。決して顔をあげない。大き目の白いシャツワンピースは分かるほど汗を滲ませていた。変色している。

 元から新陳代謝が良いのもあると思うが、その尋常ではない汗の量に彼女が今どのくらいの勇気をもって外に出ているのか分かった。

 そこまでして斉藤さんに会う価値はないと思うが(正直な話)、頑張ることの一歩を彼女のおかげで進めているのならそれに越したことはない。

 けれど、僕にはそこまでして愛崎さんが斉藤さんに会う理由がわからない。話し相手が欲しいという理由だけでここまで出来るものだろうか。

 まぁこれはあくまで僕から見たらという話なので、愛崎さんのなかでは話し相手がいないことは死活問題なのかもしれない。

 苦手な外出を頑張ってしまえるくらいには、話し相手が出来ることの方が重要なのだろう。

 愛崎さんは依然として僕の服を掴む手は緩めない。

異常なほどの量の汗に覚束ない足もと。周囲におびえているような感じ。見ているだけでこちらが不安になって来る存在。

そして・・・-。

 そして僕はその姿を見てデジャヴを覚えた。この既視感は果たしていつの光景だったか。見たことがある。

 僕は、このつついたら崩れ落ちていきそうな少女を知っている。これは。そうだ、確か。あれは・・・-。

 「先生」

 愛崎さんの声で過去の記憶に浮上していた意識が現在に引き戻された。

 いつの間に着いたのか、気が付けば良く見知った、今にも倒壊しそうなボロアパートがそこにはあった。

 どうやら無意識のうちに家へと辿りついていたらしい。

 確か今日は過去最高気温だとニュースで言っていた。暑さに少しやられたのかもしれない。頭がぼーっとしている。

 愛崎さんはもう僕の服を掴んではいなかった。

 「先生大丈夫?なんかぼーっとしてるけど・・・。熱中症?」

 「そう・・・かな・・・。でも大丈夫だよ、ありがとうね」

 愛崎さんはそう、とだけそっけなく言うと、長袖の腕をまくった。普段は絶対にどれだけ暑くても決して上げない袖を愛崎さんがまくるということは、今日がそれほどまでに暑いということだ。

 これはなかなかに珍しい光景だった。

 「・・・。何。あんまりじろじろ見ないで。ところで先生、体調が大丈夫そうなら早く進もうよ。歩けないくらい悪いなら、私近くの自販で水かなんか買ってこようか?そこの廃墟、日陰になってるから休んでて」

 「廃墟・・・」

 彼女が指を差して廃墟と言い放った場所は僕の家だった。

 そうか、客観的に観ると僕の住んでいるアパートは廃墟と何ら遜色ないのか。まずその事実に軽くショックを受けた。次に今からその廃墟に招いてしまうことに若干の罪悪感が募った。

 おそらく愛崎さんは僕が熱中症で体調が悪くなり、歩みを止めたと思っているのだろう。ごめん愛崎さん、僕が歩みを止めたのは家の前に来たからなんだ。

 「ええとね、愛崎さん」

 「何」

 「大変言いにくいんだけど、この廃墟、実は僕の家なんだ」

 「・・・・・は」

 愛崎さんは僕と廃墟、もといボロアパート、もとい僕の自宅を交互に見た。それから嘘でしょ、とぼそりと呟いた。

 「え・・・。だって普通に考えて人が住めるような場所じゃないでしょ。階段とか今にも崩れそうだし・・・。えぇ・・・?先生本気で言ってるの?」

 正気を疑われてしまった。

 「ここまでボロいのはさすがにおかしくない?だって普通だったら工事とかリフォームとかなんかやるんじゃないの?」

 「それが管理人が全然仕事をしない人でね・・・。まぁ、だからその分家賃がありえないくらい安いんだけど。言ってしまえばある種事故物件みたいなもんだね。・・・さすがにこの家に入るのはちょっと嫌だよね」

 冷静になって考えてみればこんな廃墟然としたところに女子中学生を招き入れるのは少しまずいような気がしないこともない。

 僕の家でしか斉藤さんに会わないという条件だったので、仕方なく了承したが、事前に前もって僕の家のことを話しておくべきだったかもしれない。そうすれば愛崎さんも少しは考えを変えたかもしれないのに。

 というか、なぜ説明しなかったんだ、僕。

 「や、でも逆にこういう部屋の中って興味あるから大丈夫。どうなってるのか見てみたいし」

 「・・・・・・。そう」

 またもや冷静になって考えてみた。

 愛崎さんの部屋も遜色ないくらい汚部屋だった。それはもう考えられないくらいに。不潔に慣れ、不潔を好んでいる彼女がそもそもこの程度で怯むはずがなかった。

 愛崎さんは爛々とした足取りで先に進んでいく。先ほどまで外に怯えていた様子が嘘のようだ。同一人物とは思えないくらいだった。

 「先生の部屋はどこ?」

 「二階だよ。けど、床が外れたら危ないから僕が先に進むね」

 カンカンと階段を上がっていく音が響く。床がいつ抜けてもおかしくない状態のため、いつも階段を利用するときは神経質になってしまう。まずはつま先から慎重に足をおろしていく。右足の次は左足のつま先から。この動作をゆっくりゆっくりと、焦らすように、交互に繰り返して階段を上がっていく。

そして階段を上がり切ると、一気に安堵感がこみ上げるのだ。良かった。今日も無事に生きて自宅へたどり着けた。

 僕がある種の感動を噛みしめていると、愛崎さんは馬鹿なの?とだけ言うと、普通に階段を軽い足取りで上った。

 どうやら大人一人と女子中学生一人の二人分の体重を支え切れる甲斐性はあるらしい。

 もしかしたら見た目よりかは頑丈なのかもしれない。

 僕はその事実にまたしても感動を覚えた。

 愛崎さんはきょろきょろと、もの珍しそうにアパートを見渡す。

 「なんかホラー漫画に出てきそうだね、私結構好きかも」

 「ありがとう」

 愛崎さんの趣味がいまいち分からなかったが、もしかしたらこんなボロアパートにしか住めない苦学生の僕へのフォローだったのかもしれないので、あまり気にしないことにした。


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