条件
「お前が3億円を受け取れる条件は【『坂本尚弥』と『藤宮天音』の恋愛関係が成立した状態で、『坂本尚弥』が『藤宮天音』を殺すこと】だ」
言葉が出なかった。
この人は何を言っているんだ?
自分が天音さんに告白するだけならそれはわからなくはない。でも彼女を殺す?
そもそも、人を殺すなんてことを自分ができるわけがない。
理解が追いつかなかった。
「……できません。僕には……僕には、そんなことはできません」
かろうじて絞り出した尚弥の答えは拒否。
そう、3億円なんて要らなかったんだ。そのライフ・ゲームなどというよくわからないものに参加する必要はないのだ。
そう考えれば目の前のこの大金も偽物に見えてきた。
自分にこの大金を見せることでまともな思考能力を奪うことで騙そうとしている。
そう考えればすべてに納得がいく。
騙す理由はわからないが、この男の悪ふざけなんだ。きっとそうに違いない。
尚弥の考えが徐々に固まっていく中で、尚弥の答えを聞いた男が口を開く。
「ああ、そうか。そりゃそうだよな」
尚弥の拒否を聞いた上でも彼の反応はあまり変わらなかった。
「こんな怪しい話信じたくないわな。でもな、これは本当のことだ。今のお前の答えは自分の人生の前に奇跡的に降りてきてくれた最高のチャンスを自分で捨てることになる。それは理解できているか?」
ゾクッとする言葉だった。
確かに自分にもう一度3億円が手に入るチャンスが来ることなど、まずありえないだろう。
そんな事はわかっている。でもその行動を行うことはできない。
人として。理性が、感情がそれを否定する。
「お前ができないと思っている枷を一つ外してやる」
それは間違いなく悪魔からの囁きだった。
「お前が藤宮天音を殺しても、お前は罪に問われない」
「な、何を言って……」
「そうだよなぁ、人を殺すってのは大罪だ。だが、お前は十三歳だから刑事責任が問われないんだよ。お前の誕生日は七月二十一日。つまりそれまでに彼女と恋愛関係になった上で彼女を殺せば問題はないのさ」
「そういう話じゃ……」
「ああ、母親のことを気にしてるのか? あーそっちも安心しろ。ライフ・ゲームの運営によって彼女は守られる。お前もだがな。
条件を実行した時点でお前には3億円が与えられて、更にライフ・ゲーム運営によってお前と母親の戸籍や住所は別人に改竄される。つまり、お前にかかるのは藤宮天音を殺したときの自分への罪の意識だけ、確か良心の呵責っていうんだっけな」
「そんなことできるわけが……」
「できんだよ。あいつらには。なにせ人の人生をいじることが許される連中なんだからな」
その言葉には説得力を感じてしまう。
人に金を見せつけた上で殺人を推してくる組織。
さらにその後の生活の保証までつけてくる。
尚弥の心が少しずつ黒く色づいていく。
彼女を殺せば3億。
なんで、天音さんなんだ。
もし、あいつならば。
あいつを殺せば3億円であったならば、自分はためらいなく殺せたかもしれないのに。
いつの間にか人を殺さないと思っていた理性が少しずつ崩壊していく。
「それでも……それでも僕には天音さんを殺す……なんてことはできません」
だが、尚弥の理性は踏みとどまる。
ガチガチと歯が当たる音を出しながら。
「僕はライフ・ゲームには参加でき……!」
「落ち着け」
そういうと、彼は最後まで言わせないようにと尚弥の口を手で抑えていた。
大人の人に口を抑えられると本当に話せなくなるのだと尚弥は驚いた。
それほどに彼の力はそのひょろひょろとした姿からは想像できない強さだった。
しばらく抑え続けた後、彼はようやく手を離す。
「結論を出すのが早すぎるんだよ。よく考えろ。ったく。」
「いや、でも僕には」
「今のお前にはそもそも3億をもらう資格がないのわかってるのか? 仮に今お前が藤宮天音を殺害しても無駄なんだぞ?」
「わかってます」
「わかってないな。別に慌てて結論を出す必要はないんだよ。まずお前が3億を得るためには、藤宮天音と恋愛関係にならないといけない。これが前提なんだ。そこはわかるな?」
「ええ……」
「なら、お前が3億を得るために藤宮天音を殺害するかどうかは、恋愛関係になってから決めればいいんだよ」
「それは……そうですが」
「それなら、俺がお前のサポートをしてやれる」
「はい?」
「お前が藤宮天音と付き合えるように手伝ってやるって言ってるんだよ」
手伝う?
このホームレスにしか見えないこの人が?
尚弥からすれば冗談にしか聞こえない言葉だった。
「あなたに何ができるっていうんですか?」
「そりゃあ、お前より人生経験豊富だからな。色々アドバイスしてやれる。殺す殺さないはこの際置いておけ。時が来たときに決めればいいんだよ。坂本尚弥、お前は藤宮天音と付き合いたいのか? 彼女にしたいのか?」
「そ……それは。し、したいです」
「なら、ライフ・ゲームに参加するんだ」
少し悩んだ後、尚弥は頷いた。
たしかに彼の言う通りだ。今ゲームに不参加を決めてしまうことは実に単純でわかりやすい答えだ。
でもそれでは何も変わらない。変えれない。
そして、藤宮天音さんと付き合えるのならば、付き合いたいと思う。
そして、そこでもし彼女を殺して3億得れるとしても、殺さなくても彼女とは付き合い続けられるのだ。
今断ることはデメリットこそあれど、メリットがない。
ならばと、尚弥はゆっくりと口を開く。
「……参加します」
「決まりだな」
男は、尚弥に手を差し出す。
「さっきは悪かった。俺にも事情があってな。お前に断られたら色々まずいことになってたんだ」
「いえ、あなたのおかげで、落ち着きました」
自分も手を差し出し彼の手を握る。握り返してくる彼の手は尚弥が改めて思っている以上に大きく力強かった。
「さてと、参加することが決定したってことでお前に追加でルール説明と渡すものがある」
「え?」
やはり、この人は詐欺師なのではないだろうか。
自分が参加することを表明したところで、後出しで追加の話をしてくるなんて卑怯だと思った。
「別にお前に不利になる話じゃない。これはお前を除くライフ・ゲームに参加するものへのいちばん大事なルールなんだよ。
それは『ライフ・ゲームの参加者は対象者に対して虚偽の報告をしてはいけない』ってものだ」
「それって……どういう意味ですか?」
「はぁ……単純に言えば、参加者はお前に嘘をつくことができないってことだよ。これは対象者に対して虚偽の報告をすることによって簡単に対象者を誘導することができないようにするために作られたライフ・ゲームにおける最も大きいルールだ」
「破ったらどうなるんです?」
「ゲームから追放される」
「追放?」
「ああ、ゲームへの参加権が失われる。そして金も得られなくなる。言っただろ。これは金持ち達のギャンブルなんだ」
「あなたも……なんですか?」
「ああ、だからお前には嘘をつけない。今まで言ったことは全て本当のことだ」
「なるほど……」
後こいつが渡すものだと彼は言った後、ポケットから四角い何かを取り出す。
一瞬またお金なのかと思ったが、ちょっとよく見ればそれがCMでよくやっている最新のスマホであることがわかった。
「これは?」
「俺との連絡用だ。あと藤宮天音との連絡に使ってもいい。通信量は気にしなくていいが、課金とかはすんなよ?」
「いやいや、こんなのをもらうわけには」
こんな最新機種のスマホを持っている事がバレたら母さんに何を言われるかわかったものではない。
そのときにうまくごまかせる自信が尚弥にはなかった。
「お前馬鹿か? スマホ無しでどうやって俺や藤宮天音と連絡取るんだよ? 家の電話か? 手紙か? まったくいつの時代の話だよ」
「でも、母さんにバレたら……」
「うまく隠せ」
そんな無茶なと思いながらも、渋々受け取る。
確かに、今の時代スマホがなければ、友人との連絡もろくにすることができない。
それは自分には連絡を取るような友人がいないって意味も表していた。
彼の言うことは時々荒いところがあったりして、ビクビクすることもあるけれど正しいのだ。
なんとか母さんにはばれないように隠すことを決意する。
「そういえば……あの」
「なんだ?」
「あなたのこと……なんて呼べばいいですか?」
「あーーーーー。そうだなぁ……」
彼は今までとは違い少し悩んだ上でこう続けた。
「なら、『先生』でいい」
「『先生』?」
「そう、お前より長く生きてるから、『先生』」
「それだと、長生になりません?」
「こ、細かい話はいいんだよ!」
少し動揺する彼に思わず苦笑する。
尚弥が最初持っていた彼への警戒心は少し和らいでいた。
「改めて。俺はお前を応援している。坂本尚弥。よろしくな」
「はい、先生」